片倉景綱

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

「景綱・・・あの小僧には勿体ない家臣よのう。」
~ 片倉景綱 について、織田信長
「ほれ、胃薬やるぞ。」
~ 片倉景綱 について、徳川家康
「あんたも大変だな、あんな荒くれ者のお守りなんて。」
~ 片倉景綱 について、前田慶次


片倉 景綱(かたくら かげつな、弘治3年(1557年)-元和元年10月14日(1615年12月4日))は、戦国時代サムライであり、手のつけられない中二病独眼竜伊達政宗を飼い馴らした凄腕の猛獣使いでもある。因みに「小十郎」という名前は片倉家に代々継がれる名前である。

重度の中二病でありDQNでもあった政宗を胃痛に耐えながらも支え続けた忠臣として人気が高い。しかし普通なら耐え切れずに投げ出してしまう中二病患者の介護を最後まで行ったのだから、彼の精神力も化け物レベルだろう。


目次

[編集] 生涯

[編集] 幼少期、最初の尻拭い

幼少時は神社の神主の子供として誕生したが、巫女服が似合わないという理由で伊達家に奉公に出された。そして梵天丸(政宗)の調教師に選ばれた。当時、梵天丸の教育係は彼の中二病っぷりにうんざりして次々に脱走を図っており、困った父輝宗が景綱に息子の教育と矯正を頼んだのである。必死の嘆願に負けて教育係を引き受けた景綱は梵天丸のDQNっぷりに驚愕を覚えた。しかしここで引き下がるわけにはいかないと彼は必死に梵天丸に一般常識を教えた。しかし従順さに欠ける梵天丸は度々勉強をすっぽかして悪戯を繰り返していた。そんな時は魔法のネギをかざして「必殺☆極殺もーど」を発動させて梵天丸を懲らしめた。しかしこのモードは一度発動すると収まりがつきにくくなるので、普段は口元を布で封じ込めるようになった。

[編集] 青年期、暴走する主人

梵天丸が政宗と名を改め、伊達家の家督を継ぐと彼は伊達軍の軍師として務める事になる。しかし成人しても主人の中二病は治る気配を見せなかった。主人が暴れると極殺モードを発動し一旦は鎮まるもののしばらく経つとまた暴れるの繰り返しであった。そんな時に、北関東と奥州中の893連合が伊達家に襲いかかった。政宗はここで暴走を始め、ありとあらゆる戦場に独眼竜ビームを乱射し、戦場を火の海にした。それでも主人の暴走は止まる事は無かったので、景綱は主人を止める為に「必殺☆極殺もーど」を発動し、主人の暴走を3日間かけてようやく止めた。その後の景綱は猛烈な胃痛に悩まされ、一週間は胃痛により動けなくなった。それからしばらく経ったある日、主人より先に子供が産まれた。片倉重綱である。景綱はその子供をどうするか考えていた。重度の中二病である主人より先に子供が生まれては自分の子供が何をされるかわからない。彼は戦慄していた。しかし、当の政宗本人は子供の事など気にしてはいなかったばかりか、重綱に一目惚れしてしまい、「大きくなったら俺のペットにしていいよな?」とほざいた。我が子の命は守られたが同時に我が子に貞操の危機が訪れ、再び胃痛に倒れてしまった。

[編集] 壮年期、豊臣政権と関ヶ原の戦い

政宗が奥州の覇者(とはいっても、最上家等の家は存続している)となった後、秀吉の奥州討伐にギリギリで屈し、豊臣政権の下で生きる事となった。政宗が何か奇行を起こしてしまわないかと心配し、その度に胃痛を引き起こし徳川家康お手製の胃薬を貰ってどうにかやり過ごしていた。秀吉の死後、天下は二つに分かれ伊達家は東軍に所属する事となった。ここで再び戦場を火の海にしてはたまらないと景綱は必死に主人を説得した。政宗と景綱、二人の意見が交差するうちに関ヶ原の戦いは東軍の勝利に終わる。戦場を火の海にせずに済んだ景綱が安心したその時、政宗が自分の活躍する場を奪われた腹いせに八つ当たりとして山や木々を破壊してしまった。このままでは味方の軍まで巻き込まれると思った景綱は「必殺☆極殺もーど」を発動して1日かけて暴走を沈めた。結局政宗の暴走が祟り、100万石の件が白紙に戻されてしまった旨を聞き、景綱はまた胃痛に倒れてしまった。

[編集] 晩年期、大阪の陣、そして我が子へ

それからしばらくして、重綱が大きくなり文字通り政宗のペットとして働く事となった。政宗は重綱を大層気に入っており公衆の面前でKissしてしまうくらいの気に入りようであった。そして徳川軍として戦った大阪の陣では後藤又兵衛を討つほどの活躍を見せた。しかし戦後も主人の度重なる問題行動に頭を悩まされ、とうとう胃腸虚弱により倒れてしまう。荒くれ者の主君を止められる自分にいよいよ死期が訪れ、一抹の不安を感じた。我が子重綱と主君の息子忠宗に主君の暴走を止めてくれる事を願いながらこの世を去った。しかし死をもってしても政宗の暴走は止まらず、寧ろ景綱が亡くなった事でブレーキが利かなくなってしまった。政宗は景綱の必死の教育と防衛と矯正の甲斐無く、後年になって戦国のDQN四天王、「北の政宗」の称号を与えられる事となった。

[編集] 景綱に関する情報

政宗との主従関係は度々あらゆる文献でも書かれて美化されて語られる為、腐女子の格好の獲物になっている。極殺モードを発動させる為にネギが必要なので、自宅の庭でネギを自家栽培していた。またネギの他に口を布で覆って能力を抑えているので、ネギを持たず口を覆っているうちは極殺モードは発動しない。

[編集] 関連項目

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディアの専門家気取りたちが「片倉景綱」の項目を執筆しています。
他の言語