片山右京

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片山右京(かたやま うきょう、1963年5月29日-)は、元F1ドライバーである。その走りから「カミカゼ」と恐れられたドライバーである。

F1参戦前[編集]

零戦を駆っていた右京の基本性能は、参戦前からその性能を見出されていた。特に精神力に関しては並外れたものを持ち、死をも恐れぬモーレツなドライビングスタイルは零戦のイメージをもじって、「カミカゼ右京」と呼ばれていた。

F1参戦[編集]

かつて鈴木亜久里のいたラルースに、日本人に日本スポンサーという成り行きで配備される。しかしラルースといえば「予備予選落ち」で名高いチームであり、走らない・曲がらない・止まらないの3拍子だった初期の改造で大きく出遅れる。結局流れに流されるかのように予備予選落ちを喫し、ポイントの獲得もなかった。しかし右京の持ち味である果敢な攻めで編み出した「張子の虎走法」でカナダでは一時入賞圏内を走るなど、決して本人の性能は悪いわけではなかった。

その後かつての名門ティレルが右京を買い取り配備する。当初はチューニングが熟成されておらず、右京がわざわざ零戦を引っ張り出して走るなど、マシンに恵まれない日々が続いた。しかし右京自身によるアップデートが完成し、零戦のデータをフィードバックした右京の走りは冴え渡り、一時は表彰台も狙える位置にいた。しかしサポートの薄いマシンに恵まれないことが原因で惜しい場面でのリタイアが相次ぎ、ティレルもすっかりやる気をなくしたせいかgdgdな運営を続けていたこともあり、音速の貴公子が死去した1994年の5ポイントに終わってしまった。結局その年がポイントを獲得した唯一のシーズンであった。

二代目カミカゼの誕生[編集]

低迷するティレルで満足に戦えない右京はチームを出ることにする。しかし、走りは認められていた右京だがツキの無さも認められていたためか、どこのチームにも配備されなかった。結局ミナルディが買い付けるも、ティレルと比べても大したこと無いため、当時どう引退するかを考えるようになった。そんな中ミナルディで改造されたツゥルーリに出くわす。

ツゥルーリは単独での性能こそそこそこではあったが、対人戦での性能はさっぱりであった。引退を考えていた右京はツゥルーリに自らの走りのノウハウやカミカゼについて説くことにした。その結果、何かがひらめいたのかツゥルーリの性能が格段に向上。引退する際に右京は自身のF1ミサイルのマスタープログラムを引き継がせ、その後も快走を随所で見せるようになる。その走りは右京を髣髴とさせるカミカゼ・スタイルであった。その後二代目カミカゼを襲名したのはいいが、近年は渋滞発生源になってしまった。でも2004年にはいろんな事があってかモナコで初勝利してるんだから。でもそのくらい速くなることはもう無い。一世紀に一度だけだしとも言われているようだ。

なお、右京のF1観に感化されたのか、青い目のサムライとも呼ばれている。が、二代目カミカゼとかそういう二つ名はやはり早死にしそうでしょうがないから、さっさと改名してもらうのがよさそうだ。

評価[編集]

そんなこんなですったもんだのF1人生であった右京ではあるが、決して遅いドライバーではない。特に一発の速さはかなりのものであり、顎がチャンピオンをとった年にベネトンからオファーがきたんだとか。ティレルとJTに土下座され仕方なくティレルに残留し、断ったら「お前はバカか?」とにいわれたようだ。「このまま行ければ入賞や表彰台に立てていた」レースが山ほどあったとはあるが、先述したように在籍したチームすべてで改造内容があまりにも不憫だったこととが災いして入賞はおろか完走すらままならないものであったために評価が低く見られていることは一理ある。またチーム運の無さも天性のものと云われており、それさえ除けばデビュー当時から噂されていた「元祖カジキマグロの後継者にもっともふさわしい存在だ」という話もウソではなかったのだが。まぁそれにしてもこの人、いくらなんでもツイてない人である。ええ、あの人みたいに。