独ソ戦

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独ソ戦(どくそせん)は、ドイツに古くから伝わる昔話の事である。

あらすじ[編集]

ドイツとソ連[編集]

むかしむかし、あるところにドイツという国とソビエト連邦という国がありました。

ある日、ドイツは戦争に負けてお互いの足を引っ張る事にかけては定評のある意地悪なヨーロッパ諸国に「このジャガイモ野郎!」と罵られながら莫大な借金を背負わされ散々に苛められて苛められて苛め抜かれました。ドイツは泣きましたが、ヨーロッパ諸国は許してくれませんので、ひたすらイジメを耐え抜きました。

ある日、ソビエト連邦は「革命して共産主義でみんなで仲良く暮らそう、敵対階級や帝国主義者や保守反動やその他言う事を聞かない奴やなんかむかつく奴は殺すけど」と大変新しい斬新な考え方で国を作りましたが、世界中の国は「劣等人種の共産主義者は死ね、氏ねじゃなくて死ね!」と軍隊を率いてソビエトに攻め込んで苛めて苛めて苛め抜きました。ソビエトは泣きながら「お願いだからやめて。っていうか君の国で革命させて!」とお願いしましたが、世界中の国々はイジメをやめませんでした。

ドイツとソ連はお互いが嫌いでした。本当に本当に大嫌いでした。ところがお互い世界中からいじめられるとなんとなく近親間が沸いてきました。こうしてドイツとソ連はお友達になりました。お友達になって戦車で仲良く遊んだりする仲になりました。遊びつかれてお腹がすいた二国は哀れなポーランド血祭りにあげて美味しく頂きました。

こうしてドイツとソ連が仲良くなったので世界はこの二国に意地悪をやりにくくなりました。ドイツはやっと私にも運が向いてきた!といじめっ子どものゴンタクレヨーロッパ諸国に攻め込み、散々に仕返しをしました。ヨーロッパ諸国は泣いて「私が悪かったから許してくれ。」「同じヨーロッパ人同士仲良くしよう!」と言いましたが、ドイツは彼らを許さず占領してしまいました。生意気な変態国家イギリスも懲らしめてやろうとドイツはドーバー海峡に向かって飛行機を飛ばしましたが、これはうまく行きませんでした。一方、ソ連はこれ幸いとフィンランドに攻め入りました。

一人ぼっちだからドイツは子分やお友達も出来ました。仲の悪い間抜けなルーマニアハンガリーはそそくさとドイツの子分になりました。砂漠でパスタを茹でる事と女を発情させてベッドに寝転ばせて下着を脱がせる事にかけては天才的な国ともお友達になりました。それどころか、ドイツの評判を聞きつけて遠くはるか極東の大零戦帝国ともお友達になりました

ドイツとソ連はとても幸せでした。

決裂[編集]

ところがドイツのお友達のイタリアは悪い事ばかりします。自分で北アフリカに攻め込んでイギリスに叩かれたのにドイツに助けを求めだし始めました。ドイツは仕方がなくアフリカロンメル伯父さんを派遣して助けました。イタリアは大喜びして砂漠でパスタをゆで始めましたが、ドイツはうまく行かなくてイライラしました。ドイツはお友達は選んだ方がいいと本気で後悔し始めました。

ドイツは考えました。自分はここまで強くなったのだからもっと領土を広げてもいいじゃないかと思いました。そして近くに領土が無いので、攻め入る先を考えました。その頃からドイツはあんなに一緒だったソ連が疎ましく思えてきました。ドイツはこっそり戦車や戦闘機を作りソ連に攻め入る準備を始めたのです。

一方のソ連もドイツが偉そうな態度をしているのが気に食いません。「いずれ大ロシアの威厳を見せてやるぜ、ガハハ」と戦闘機や戦車を作る準備をしながら有能な軍人さんや官僚さん、その他大勢の有能な人達を粛清し始めました。ソ連は何をしたいのか良く分かりませんでした。(まあドイツもホロコーストってるんですけどね)

そして1941年6月22日、ドイツは「赤ひげ!赤ひげ!(バルバロッサ作戦)」と叫びながらソ連に攻め込んだのです。ソ連はドイツの突如の裏切りを非難しました。もちろん自分もドイツに戦争を仕掛けようとしていた事なんてナイショです。ドイツの軍人さん達は優秀でした。ソ連はあっという間にどんどんどんどん領土を占領されていったのです。

挫折[編集]

調子に乗ってどんどんソ連に攻め入っていくドイツはモスクワまで迫りました。ソ連に冬戦争でこっぴどくやられたフィンランドもドイツのお友達です。しかしここでドイツに試練がふって沸いたのです。まず寒い。それも尋常じゃなく寒いのです。ドイツの兵隊さん達は次々と凍えていきました。ソビエトは広いので補給にも一苦労です。その上、ソ連兵は勇猛にドイツ軍に襲い掛かってきます。ソ連兵が優れていたのではありません。引いたら良くてシベリア送りか懲罰大隊編入、最悪銃殺だからです。

ここでドイツの国家元首である画家兼伍長閣下は一つの町に目をつけます。その町の名前はスターリングラード。なんとにっくきソ連の独裁者の名前がつけられているではありませんか。当然そんな町は許せません。ドイツは大量の兵隊を送り込み、ソ連兵を皆殺しにしようとしました。結果的にドイツ兵まで皆殺しになった事はこの際関係有りません

この頃から大砲鳥(カノーネンフォーゲル)に乗ったソ連人民最大の敵が東部戦線に出没するようになりました。(このことはとある物語に詳細があります)

そうこうしているうちにソ連の戦車や戦闘機はどんどん送られてきます。あの余計なことしかしない自称世界の警察アメリカがソ連を支援している事もありますが、それ以上にソ連の生産力は向上していたのです。生産力が乏しいドイツはジリ貧でした。そうでなくてもだの豹だのワルサーP-38だの壊れやすいガラス如き神経質な兵器を使っているドイツはたまったものではありません。

そしてとうとうアメリカを中心とした連合軍はノルマンディーに上陸してきたのです。ドイツ側は挟み撃ちにされてしまいました。幸い、恐怖の大量殺戮兵器パンジャンドラムの実用化が進まなかった事もあり、反撃に何度か出る事は出来ましたが、ドイツ軍はどんどん追い詰められていきます。

後の先伯父さんことマンシュタインや戦車オタのグデーリアンが各地で優れた戦術を見せ、毎日のようにバルクマンが曲がり角でシャーマン戦車を火葬したり、ソ連人民最大の敵がソ連戦車を炎上させたり、「やつら、もう勝った気でいるようですね」「では教育してやろう」などの会話を交わしたりしていましたが、もはやソ連や連合軍の勢いをとめる事が出来ませんでした。もうソ連軍はドイツ本土に攻め入ってきているのです。

ドイツはどうしてみんなして自分を苛めるのだろうと再び嘆きました。嘆きながら無実の罪でロンメル伯父さんを自殺に追い込みました。こうしてドイツは総統閣下主催のつまらない事で有名な映画鑑賞会を楽しめる唯一の人間を失ったのです。

ベルリン陥落[編集]

その頃、イタリアっていうかヘタリアは思いました。「ドイツと心中するなんて真っ平ごめんだ!」。ヘタリアは独裁者(とその可愛らしい愛人)を嬲り殺しにして「今日から俺は連合軍だ。アメちゃん、イギちゃん、ヨロシク!」…ここではもうこのどうしようもないパスタ共和国についてどうのこうの言いません。うらぎったっていいじゃないかへたりあだもの。こうしてドイツのお友達は極東の大零戦帝国改め大特攻帝国もしくは大万歳帝国だけになりました。「もう海軍に船はないのか」「大和があります!菊水作戦発動!」。

そしてついにドイツの首都ベルリン、そう、森鴎外がエリスをかどわかしていたベルリンにソ連兵が大挙して押し寄せてきたのです。ドイツ人たちは残ったをかき集めて戦いましたがもはや後の祭りです。調子に乗ったソ連兵が偉大なる同志ヨシフ・スターリンの名を冠したソ連人民最大の誇りである重戦車JS-3で攻めたところ、あっという間にソ連人民最大の敵に屠られたりもしましたが所詮は焼け石に水です。

ベルリンが陥落した日、ベルリンではドイツ人の女の子が1万前後突如として死亡しました(自殺含む)。何があったかはパパママにでも聞いてみてからください。露助どもの名誉のためにここでは多くのソ連兵達が愛する家族のために自転車をお土産として持って帰ろうとしていた事だけを述べておきます。中には「これでどこでも美味しいを飲めるぞ!」と水道管と蛇口を持って帰ろうとしたソ連兵がいた事も述べておきます。さらに拾った腕時計(ぜんまい式)が動かなくなったので「壊れた」と投げ捨てたソ連兵がいた事も述べておきます。

ソ連人民最大の敵はこの日、飛行場に迷い込んだ哀れな少女を助けて米軍の占領地に投降しました。ソ連人民最大の敵は思いました。「ドイツを滅ぼした国々は、いつかこう思うだろう。ソ連に対する最大の壁であるドイツを何故滅ぼしてしまったのだろう…と」。この時ドイツを滅ぼした原因の片一方であるアメリカは「Me262は米軍が美味しく頂きました」と大喜びでしたが、後にベトナム戦争でそのソ(略)敵の言葉を痛いほど噛み締める事になるのですが、それはまた別の話。

ドイツは連合国の連中のご都合により真っ二つに分割されてしまいました。こうして約2000万人の軍人・民間人合わせた犠牲者を出してこの戦争は終わりを告げたのです。なお数の大小が問題では決して無いのですが、日本が太平洋戦争で出した犠牲者は約300万人です。

ドイツはこの上なく不幸せでした。良かった事といえば西半分がまだまともな精神の持ち主に占領された事と核兵器を投下されなかったことぐらいでしょうか。一方、ソ連はこの上なく幸せでした。世界中のあちこちにソ連の手下が出来て、あちこちの国で革命を起こして、連合国の中にも沢山の同志ができて(その多くがレッドパージで消されるが)、そして沢山の領土を獲得できました。もっとも最大の犠牲を払ったソビエト国民が幸せとは限りませんが、少なくともヨシフは幸せでした。

ドイツは何がいけなかったのでしょうか?この戦争が起こる原因には様々な事があります。後世の我々ですらはっきりと何がいけなかったのかを指摘する事は出来ません。ただヘタリアと組んだ事以外は。

追記[編集]

なお後にヘタリアは戦後、戦勝国側である連合国の一員として「日本の四国を割譲しろ!」と言ってこっぴどく怒られました。

関連事項[編集]