独断と偏見

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独断と偏見(どくだんとへんけん)とは、ジャイアニズム論法適用の宣言である。必ずしも既存のルールに則る必要はなく、関係する人たちの同意を取り付ける必要もなく、自分独りで勝手に判断するわけだからとっても楽である。……と思ったら大間違いで、実際はまわりの者達のいい加減さの中で外れクジを引かされた者が発する言葉である。

使用状況[編集]

毛沢東のような独裁をしたい場合はこの言葉を使わない。毛沢東ならいちいち断りを入れずに黙って独裁を進めるだろう。大抵は、まわりの者に「適当でいいよ」「あなたが決めてくれよ」「うーん……」といい加減な返事をされた場合に、困って「じゃあ独断と偏見で決めます!」と言う流れになる。

たとえばあなたが東京の学生仲間を集めて飲み会を企画するとしよう。「今度の飲み会はどこのお店がいい?」と参加者にメールする。しかし「モンテローザ系列じゃなきゃどこでもいいよ」「主催者で決めちゃってください」「俺その日はバイトがあるから途中から合流になりそう」「コース予約するならぐるなびのクーポン持っていったほうがいいよ」「そういえば引っ越したんだって?」「ごめん、返信するの忘れてたわ」などなど、好き勝手な返事が返ってくる場合もある。そういうとき、おのれら、どこの店がええかって聞いとるのに適当な返事よこしやがって!日本語わかっとんのか、われ!という思いをぐっとこらえて、「独断と偏見により飯田橋の日本海庄やにしました。18時45分にJR飯田橋駅の改札に集合してください」と連絡することになる。

この例では飯田橋の日本海庄やを予約したわけだが、いたって常識的な決定であり、たしかに独断ではあるが独りよがりな感じはしない。ましておかしな偏見はない。「独断と偏見により」という文言を見る限り、主催者が好き勝手振舞っているように見えるが、実際に好き勝手振舞っているのは他の参加者達であり、主催者はむしろ他の参加者に気を使っているようですらある。

利便性[編集]

上の例から見ても分かるとおり、まわりの者が好き勝手言った場合、主催者は「独断と偏見により」と断った上で自分で勝手に決められるので、その点は便利である。そもそも「どこの店がいいか?」と聞かれて「引っ越したの?」と返信するような輩は、どこで飲みたいというこだわりなどあるわけがない。適当にみんなで集まって適当に飲めればいいと思っているわけだ。だから、主催者が独断と偏見で決めてしまっても、それに異を唱えることはほとんどない。

しかしメリットが大きいのはむしろいい加減な参加者のほうだ。たとえば飯田橋の日本海庄やに入ると、たまたま大阪のおばちゃんが宴会していてものすごくうるさかったとか、店員が新人ばかりで注文にものすごく時間がかかったとか、なにか不都合が生じる場合もある。そういうとき、参加者は主催者のいないところで、「しかしひどい店だったなあ。なんであそこにしたんだ?」「主催者の独断と偏見で選んだんだろ」「あいつマジで店選ぶセンスないな」と陰口を叩けるのだ。

つまり、リスクを追いたくない場合は、いかに主催者に「独断と偏見により」と言わせるかがポイントとなる。こうしてリスクをすべて主催者に押し付けられるのだ。

主催者が考えるべきこと[編集]

上で述べたとおり、一般には主催者にとって不利な言葉とされる。だが主催者も負けてはいられない。「独断と偏見により」と宣言してしまえば、少々の我が儘は通るわけだ。自分にとって一番便利な場所を予約したり、極端な場合は親族が経営する居酒屋をチョイスしてしまうことも可能だ。リスクを押し付けられた以上は、利益もしっかり取っておこう。変に気を使う必要は全くないのである。

だが毎回のように「独断と偏見により」と言っている場合は注意したほうがいい。まわりの友人知人は誰もあなたの相談に乗ってくれず、いつもあなたに仕事を押し付けているということに他ならないからだ。ぶっちゃけて言ってしまえば、まわりの人はあなたにさほど興味がない。

たとえば男性お笑い芸人5人と佐々木希ないし北川景子が飲み会をするとしよう。主催者は佐々木である。佐々木が「みなさんどこかお店の希望はありますか?」とメールしたら、おそらく5人ともすぐに返信するだろう。「赤坂に新しいダイニングバーができたらしいよ」「麻布にいい店知ってるから教えるよ」といった具合である。

これがもし、お笑い芸人5人と大久保佳代子ないし光浦靖子が飲み会をする場合はどうだろう。主催者は大久保である。大久保が「みなさんどこかお店の希望はありますか?」と聞いても、「適当でいいよ」「お前に任せる」というような返信しか得られない。仕方なく大久保は「独断と偏見により、新宿の○○にしました」と連絡せざるをえないに違いない。

なぜ独断と偏見なのか[編集]

これまでの例を見ても、主催者が独りで判断しているので、独断というのは分かる。しかし偏見とはどういうことか?最初の例で言うと、飯田橋の日本海庄やは、偏見の結果なのか?

言語学者の銀田二冬彦は二専門雑誌『言語』に「独断と偏見にまつわる誤解について」という論文を寄稿している。これによれば、実は本来は「独断と専権」であった。しかしこれまでの例を見ても分かるとおり、主催者が専権を振るっているとは言いがたい。むしろ、変な決定をすると陰口を叩かれるような存在である。主催者が「独断と専権により」と言ってイマイチな決定をしたとき、「あいつの考えていることはおかしいよな。あれは独断と専権というより独断と偏見だ」とドヤ顔で哂われもした。その後、いつの間にか「独断と偏見」が定着してしまったということである。