狸軍団

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私の前にいるドラは玄関から入ってきたいような生命体にただ驚くばかりであった

それはドラと同一人物としか言い様の無い姿をしており、ただ違うところといえば体全体の色と、その生命体が陰嚢を見せびらかすところだけである。

また、その生命体の一人は自らを'ぽん'と名乗り、ドラを崇拝していて、会えて光栄だと語るのであった。

―― 『どら衛門 第2章 - 第二のどら』

「この小動物が陰嚢を見せびらかす理由は誰にもわからない。そして軒先に飾る日本人達も。」
狸軍団 について、オスカー・ワイルド
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信楽の支配階級

狸軍団(たぬきぐんだん)とは、滋賀県の一部と三重県の一部を占領し、甲賀市を拠点とする狸の集団である。

概要[編集]

歴史[編集]

狸軍団の初出は、紫香楽宮建設にまでさかのぼる。当時の大和朝廷は、諸所の事情で現在の信楽に宮殿を建設したが、やはり諸所の事情で放棄を余儀なくされた。この放棄した宮殿を占拠したのが狸軍団であり、以降、周辺を征圧し人間を支配した。過酷な年貢の取立てのみならず、娘を差し出させたり陶器を無理やり作らせたりと、狸たちに支配された人々の生活は辛酸を極めたという。一度、坂上田村麻呂に征伐されているものの、それ以降は中央朝廷からも干渉されず、自然と独立した勢力を作り出した。

中世に入り、さらに強大な権力を手にした狸達は伊賀と甲賀にも進出しようと考えたが、忍者手裏剣を投げつけられたり狸汁にされたりと悲惨な目にあったため、進出をあきらめている。後に織田信長が忍者を滅ぼそうと進出した時は、狸達も一緒になって攻めようとしたらしいが、両軍に敵とみなされ火縄銃で撃たれたり、煙玉で煙にまかれたりと散々な目にあっている。江戸時代になり、親類の狸である徳川家康に伊賀・甲賀への進出の許可を願い出たが、このときは家康の側近である服部半蔵に邪魔され、目的を果たせなかった。

明治期の天理教や金光教などの新興宗教ブームには、狸たちは信楽に住む人間への支配を強めるため、彼らに狸を崇拝するよう強要しだす。この時、人間の陶工の一人が狸の像を作ることを提案し、狸教徒の人間たちは自身の信仰心を示すためにそれらを買いあさり、軒先に置くようになる。現在でも軒先に狸のあるお店は狸教の信者である。

戦後のドサクサに紛れ、三重県中央部に進出し、最終的には三重県の大部分を占領するに至ったが、伊勢湾台風で狸たちの大部分が流され(陰嚢が邪魔で泳げず、進出していた雄の狸はほぼ全滅した)、わずかに残ったメスの狸は信楽に逃げ帰る羽目になった。

それでも狸の三重県進出は諦めがついておらず、今でも鈴鹿サーキットに進入してはバリチェロに撥ね飛ばされたりしているようだ。

宗教[編集]

終末に人間を滅ぼし狸達を極楽に誘うとされる破壊神
股間のポケットは玉袋が進化したものである

前に述べたように手下の人間には狸を崇拝させているが、狸達自身はドラえもんを神として崇めている。狸軍団はドラえもんを「凄い狸」であると考えているためであるが、ドラえもん及びフニャ子フニャ夫はだと認識しているため、あまり快く思っておらず、その正当性を認めていない。しかし、近年の研究で「四次元ポケット」は狸の持つ「八畳敷きの玉袋」から進化した物であることが解明され、それによってドラえもんは狸から進化した「すごい狸」であると結論付けられている。

これらの教義をまとめた本が『ド・ラ・カルト』であり、司祭階級になるには非常に内容の難解なドラえもん単行本全45冊を読み、また、大長編も10冊以上読破せねばならない。

一方、人間には神の像として狸を崇める様に強要し、人間に狸の像を作らせ、その像を人間に高値で売りつけている。被差別種族である人間は神の書物であるドラえもん関係の本を読むことは一切許可されておらず、違反した場合は宗教裁判にかけられる。

産業[編集]

産業は陶器作りである。狸ばかりが有名だが、一般の陶器も大変質が高い。これは狸達が人間に高度な陶器を作るよう過酷に責め立てていたためである。

その他[編集]

愛媛県にある坊っちゃん劇場で2007年4月から放送されたミュージカルコメディ♪吾が輩は狸であるがあった。

関連項目[編集]