蒙古浪栄

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出典: 八百科事典アンサイクロペディア(大丈夫、本当の項目名は猛虎浪栄だから。君は間違っていないよ。

蒙古浪 栄(もうこなみ さかえ、1984年4月5日 - )は、蒙古のウランバートル市出身で立浪部屋所属の元相撲レスラー。昔の本名はガンボルト・バザルサドとかいう変な名前であったが、名前が覚えにくいという文句が多数よせられたため帰化を申請、日本名は市川 栄(いちかわ - )となった。最高位は西前頭6枚目であったが、誰も気にしない

来歴[編集]

蒙古浪は来日までの間は日本式の相撲はおろか、蒙古相撲との接点もまともになかった。そのため、バスケットボールを嗜む程度でプレイしていた。しかし、同郷の出身である旭鷲山が英雄とうたわれていると知り、一度テレビ観戦して興奮した。ちょうどそのころ偶然帰郷していた旭鷲山を親戚から紹介され、来日を決意。ちょうど旭鷲山の兄弟子の立浪親方が蒙古出身力士を探していたこともあり、立浪部屋から2001年3月に初土俵を踏む。同期には同郷の白鵬らがいるとかいないとか。

四股名の由来は出身地の蒙古に立浪の浪の「蒙古浪(もうこなみ)」としたが、相撲協会の重鎮はユーモア欠落症患者だらけだったため「蒙古という字が良くない」という馬鹿げた指摘をされ、読みが同じ「猛虎浪」とせざるを得なかった。この項目では以下も蒙古浪と表記する。

その後も苦難はあったものの、右肩上がりに出世していき、2006年1月には新十両となった。

しかし、新十両場所で最大の困難がまっていた。化粧廻しだ。ただの虎をかいただけの化粧廻しが阪神タイガースのお堅い連中は「うちのタイガーだ!!!」と勘違いした。自分の球団のマスコットキャラクターすら知らないなんて・・・。なんとも検閲により削除だなぁ。

2場所勝ち越して迎えた2006年5月場所では土俵生活で一番の困難が待ち受けていた。新入幕を阻止されたのだ。阻止したのは東西の前頭16枚目である時津海(現・XXXXX親方)大文字(あれ?違う?細けぇことはどうでもいいんだよ)によって東十両筆頭におさまってしまった。この時、猛虎浪が尊敬していた力士は小錦。小錦と同様に外国人差別をされたと思い込んだ猛虎浪は暴動を起こした(詳しくは外国人力士による暴動#2006年5月の陣を参照)。この暴動を良く思わなかった相撲協会の重鎮は制裁決議として2日目から6日目、11日目から千秋楽を出場して勝っても公式には負け扱いとなることになり、結果的に本当は全勝優勝だったのに5勝10敗の大敗扱いになってしまった。

2007年1月場所、幕下陥落ではじめて八百長をする。5勝2敗だが見送られた。これに怒って2度目の暴動を起こした(詳しくは外国人力士による暴動#2007年3月の陣を参照)。

2009年5月場所、西十両筆頭で10勝5敗をあげた。相撲協会は「また暴動を起こされるのでは…。」と怯えてしまい、翌7月場所番付は西前頭7枚目となった。その後は自己最高位を越えられないながらも我慢していたが、協会側が危険因子を管理し続けることに限界を感じ追放した。この際、德瀬川と共謀して共同隊長となったが丸く押さえ込まれてしまった。

現在はプロレスという茨の道から相撲界を滅亡に追い込もうとしている。

これまでに参加した主な暴動[編集]

詳しくは外国人力士による暴動を参照のこと。以下の表はそこから一部抜粋した。

発生時期 隊長 役職
2006年5月 猛虎浪栄 隊長
2006年7月 白鵬翔 野次馬
2007年3月 猛虎浪栄 隊長
2007年8月 朝青龍明徳 庶務
2008年1月 日馬富士公平 会計
2008年7月 琴欧洲勝紀 野次馬
2008年9月 若ノ鵬寿則 野次馬
2009年3月 朝青龍明徳 会計
2009年5月 鶴竜力三郎 突撃部隊指揮官
2010年1月 朝青龍明徳  野次馬
2011年4月 德瀬川・蒙古浪 共同隊長

今後[編集]

蒙古浪は上記のように、何度も暴動に参加しており、しかも3度も隊長を務めている。また、立浪部屋の先輩の横綱には2人ほど暴行事件を起こしているもの(双葉山双羽黒)がおり、また蒙古浪自身も性格が荒っぽいことから、一部の部屋関係者からは「頼むから横綱にならないでくれ」との声もあった。 また、蒙古浪は「市川栄」という名前で日本国への帰化を検討しており、引退後は尊敬する先輩のKONISHIKI同様、「MOUKONAMI」の芸名でタレント活動することも検討しているが、とりあえず現在は格闘家から始めて芸能界への足がかりを作る予定である。

関連項目[編集]

Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「猛虎浪栄」の項目を執筆しています。