由比正雪

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由比正雪(ゆい しょうせつ 1605年-1651年)は江戸時代の軍学者であり兵法家。武士かもしれない。江戸城下にて軍学戦争を知らない武士世代に戦争の仕方を学ばせるという当時流行した机上の理屈)と兵法を教え、その門弟(ファン)は三千人を数えた。江戸時代の大名は石高一万石で百二十人程度の兵力だったというから、門弟三千人といえばほぼ二十五万石程度の勢いだったのかもしれない。

通称「由比正雪の乱」と呼称される「慶安の変」というファンの暴動未遂を起こし、幕府に捕縛される前に切腹。反乱計画に興奮したファンたちが「正ちゃん!しょー!しょしょしょ!!しょああーーーッ!!」と騒ぎすぎたからだという。

生涯[編集]

駿府の染物屋の息子として生まれる。若年から頭が良かったため、楠木正成の子孫という胡散臭い親爺から軍学を学び、その娘と結婚、婿養子となる。

当時、武家社会は武断政治の真っ只中で、江戸幕府による大名改易が相次ぎリストラによる浪人(武士ニート)が社会問題となっていた。そんな中、正雪は持ち前の才能?を生かし、軍学南木流を継承した軍学塾「張孔堂」を神田に開き、軍学と武芸(剣術・柔術など)を教えつつアジな演説もぶったらしく、ファンが急増する。


「由比正雪の乱」と最後[編集]

旗本の子弟から浪人までもが「正ちゃん!しょー!しょしょしょ!!しょああーーーッ!!」」とテンションが上がり、武力にものを云わせて幕府に雇用問題政策の見直しを迫る勢いとなった。しかし、軍学オタクが嫌いな幕府によってファンクラブは解散させられ、正雪は切腹の憂き目にあったのである(「慶安の変」)。

正雪の乱(幕府転覆計画)が露見したのは、門弟のひとり槍術家の丸橋忠弥という自称?「長宗我部盛親の側室の子」が周囲の人間に喋った為である。「馬鹿なファンや仲間を持つとアイドルは苦労する」ということを江戸時代に立証した稀有な人物(かもしれない)。

乱の影響[編集]

事態を重く見た幕府は武断政策による大名改易をとりやめ、ニート削減の文治政治へ転換したという。正雪直筆の遺書は現存していないが、それの写しは様々な版があり内容はほぼ一様に「失業武士が貧困に喘ぐのに何もしない幕府が悪いから決起する」というものである。

その後とか色々[編集]

  • 総髪(ロンゲ)で門弟に囲まれ「先生!」と呼ばれている軍学者のイメージは、ほぼ彼がモデルであると言ってよい。
  • 魔界転生」などの諸フィクション作品では、島原の乱と由比正雪の乱が連動していたという設定が多い、つーかむしろ定番。柳生十兵衛宮本武蔵が出てくるのも定番。
  • 弟子の中には、仙台藩士に無礼打ちをされた農民の父の仇を討つために正雪の元で手裏剣鎖鎌を会得し見事仇討ちを成功させたもいたという。姉妹は正雪亡き後、恩人の菩提を熱心に弔った。これはこれで萌えエピソードである。
  • ファンの騒ぎぶり、髪型の一致など、某声優アイドルと関係がある。多分、ある。きっとある(転生とかで)。
  • 大御所SF歴史漫画家Y氏は、某声優アイドルと正雪の関連性に気がついていたのか『超能力声優 ユイ 二世』という漫画の執筆を企画していたが、某声優アイドルの本名が「ユイ」ではなく「ヨシコ」である事実を知った為、その企画は赤壁の戦いの様に何者かに炎で消されたという。目下CIAなどが調査中である。

関連項目[編集]