登記

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登記(とうき)とは、日本に古くから存在する宗教儀式の一種である。似たようなものに地鎮祭がある。ここでは不動産登記(土地と建物の権利を守るための登記)について解説する。

登記の歴史[編集]

とても神社には見えない登記所もある。

その起源は古く平安時代後三条天皇の治世にまで遡ることができる。当時、摂関家への荘園の集中によって国家の財源の為のをとれる土地が不足しており、歴代の天皇は荘園整理令を出して対策に取り組んでいたが、外戚の藤原氏の力が強く、思うような成果は出せなかった。しかしついに藤原氏と関係の薄い後三条天皇が現れ、記録荘園券契所を設けて土地の権利を調査することにし、これを帳簿にまとめ、不正な荘園を排除することにしたのである。

が、後三条天皇が死去し、その後白河上皇が院政を始めると、院に多くの荘園が寄進され大きな利益をあげたため、記録荘園券契所はなかったことにされた。しかし反上皇勢力によって密かに後三条天皇を祀る神社が建立され、いつのまにか広く土地の権利を守護する神様として崇め奉られてきた。その後各地の神社に分祀され、そのご利益の多さから人々に尊ばれたが、江戸時代になると幕府が個人の土地の所有権を認めなかったため、これらの神社は迫害されてそれぞれ高山に追いやられ、部外者は近づくことすら許されなかったのである。しかしそれでも危険を冒して山に登り、神社で記帳する行為が後を絶たなかった。これが登記の由来である。また、このような危険を冒して登記をする自信がない者のために、代わりに賃金を受け取って登記を行う者が暗躍した。彼らは幕府から不審に思われぬよう、僧侶を装うことが多かったので、仏法を司る者という意味をこめて、人々から司法書士と呼ばれた。

明治に入り、土地所有が公認されるようになると、登記は自由化され、さらに多くの人々が行うようになった。戦後、利便性向上のため、登記を行う神社(登記所ともいう)を山の上から降ろしてはどうかという議論があったが、山登りで飯を食っている司法書士達が猛反発したため、うやむやになったようである。ところが最近ネット上でおみくじを引ける神社が登場、これに倣って登記もオンラインで行うことが認められた。今後の影響についてはまだ分かっていない。

登記の方法[編集]

登記の儀式は、神誓という方法により行われる。その方法の詳細は大昔に書かれた古文書に記されているが、あまりに難解なのですべてを理解している人はほとんどいない。

現在、権利の移転の登記は、もっとも正式な方法としては譲渡人と譲受人が神主(登記官ともいう)の前で共に神に誓うという形で行われている(共同神誓主義)が、かつては後に示す説話にあるように単独ですることもあった。相手が将軍などの場合、一私人の登記に協力させるのはほとんど不可能だからである。また、江戸時代以降の司法書士の台頭によって、司法書士が代わりに一人で神誓すればよいことにされ、現在は形骸化している。

他方、保存の登記などは、単独で神誓すれば行うことができる。

登記のご利益[編集]

古代よりそのご利益は絶大なものと信じられてきた。例えば、鎌倉時代の書物に、このような話がある。ある御家人が戦功によって将軍から土地を授り、証文を貰い受けた。その後すぐこの神社において記帳した所、そのことをすっかり忘れていた将軍があろうことか同じ土地を別の御家人に与えるという証文を発してしまった。その後二人は争ったが、後から土地を与えられた御家人の証文が偶然火事で消失し、記帳した御家人は証文が認められて土地を手に入れることができたというのである。この話は室町時代に成立した『古今縁起説話』の一七七巻にも収録され、登記のご利益を如実に示すものとして非常に有名である。ただしこの話には続きがあり、これを聞いた別の御家人が、たいへん欲が深くて、証文を偽造して他人の土地の権利を主張するために神社で記帳したところ、すぐに偽造を見抜かれ逆に処罰された。登記を濫用する者には神罰が下るのである。

登記の拡大[編集]

明治以降、土地だけでなく建物にも登記ができるようになった。その後家屋を登記することが定着したので、戦後の占領下で、登記を行う神社は法務局と改称された。これは英語のホーム(家)の当て字であり、国家神道の解体を推進していたGHQの圧力であったというのが通説である。しかし現在でも登記所という言葉が用いられることが多いので、本記事では登記所と記している。

また、現在は自動車についても登記と似たようなことができる。

司法書士[編集]

前述のように、登記所はの上にあるため、登記をするには時間と体力が必要である。しかも、徒歩でしか登ることができない場所にあったり、登山自体を登記儀式の一環と考えて、徒歩で行わないとご利益がないとする人もいる。そこで、通常、登記は司法書士に依頼することが多い。このような方法に疑問を持つ人もいるが、江戸時代以来の伝統として一般には受け入れられている。司法書士は神職であると同時に山登りのプロフェッショナルであり、体力を必要とする職業である。故に司法書士試験は山林において行われ、午前・午後の部のそれぞれの時間内に規定の地点に到達しないと不合格となる非常に過酷な試験のため、合格者は極めて少ない。

なお、登記の代行は弁護士にも認められているが、彼らがこんなめんどくさい仕事をしたがるわけもなく、長い間見向きもされなかった。しかし、近年の弁護士の増加により、業界が飽和状態になり、食っていくために登記に手を出す者が増え始めている。そして、慣れない登記の仕事を引き受けた弁護士が山で遭難し、行き倒れになる事故が続発しており、問題となっている。

一方で、司法書士が「街の法律家」を名乗っていることに対し、弁護士…というかここの人たちは大激怒しており、司法書士と対立しているが、前述のようにそもそも司法書士は神職、あるいは登山家であって法律家ではないので、この主張はもっともであるといわざるを得ない。

海外の場合[編集]

日本以外にも、登記に類似した宗教的慣習を持つ国がある。しかし、歴史・文化・宗教の背景がまったく異なる海外では、日本の登記とは性質が大きく異なる。日本においては、一部の狂信者を除いて、一度登記されたからといってその内容が絶対に正しいとは誰も思っていないし、仮に権利が無いのにその登記がなされていて、誰かがその登記を信じて権利を譲り受ける契約をしても、その人は権利を取得しないのが一般的である(例外あり)。しかし、海外でもこのような考え方が通用するなどと思うと危険である。キリスト教の影響の強いヨーロッパでは登記は神の命令書であり、登記を信じる者は神の下に保護されるとされる。それ故、かつてはたとえ登記が不正に作成されたとしても、一度作られた登記はその時点で神聖不可侵なものとなり、登記の内容を信じて取引を行った者へ異議を述べた者は神への冒涜として宗教裁判にかけられて火炙りにされた。一方取引相手は神の名において権利を取得した。「信じる者は救われる」という言葉がこれに由来していることは言うまでもない。もっとも、実際に取引相手が登記を信じていたかは権力者の都合のいいように判断されたので、これを利用し、登記→取引を自作自演して不正に富を得た聖職者も多いと言われ、これに反発する民衆を片っ端から火炙りにしたので、このことが所謂魔女狩りの原因になったという説もある。現在はさすがにこのような過激で狂信的な考え方は衰退しつつあるが、ドイツなど一部の国に根強く残っているので、注意が必要である。

関連項目[編集]