直江兼続
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
~ 直江兼続 について、前田慶次
~ 直江兼続 について、最上義光
~ 直江兼続 について、上杉景勝
~ 直江兼続 について、上杉謙信
~ 直江兼続 について、鮭延秀綱
直江 兼続(にゃおえ かねつぐ、1560年 - 1620年1月23日)は戦国時代に活躍した上杉家の参謀。愛すべき馬鹿。幼名は与六だが兼続自身は与作だと思い込んでいた。石田三成とはケツの穴で暑い熱い契りを交わした生涯の友。前田慶次とも肝胆相照らす莫逆の友で、漫画や小説では兼続と同い年あるいは5歳ほど年上の格好をした慶次が兼続と一緒に酒を飲み交わしたり、立ち小便をしている場面が描写されるが、実際の慶次は兼続と親子ほどの年の差があり、兼続と邂逅した頃には既に頭髪が白くなり始めていた初老の男性で、関ヶ原の頃に至ってはヨボヨボの爺さんであったのだが、その事に言及してはならない。腐女子と花慶厨に殺される。佐竹義宣とも、三成を介してお友達の関係にあったが、兼続好きな多くの戦国オタ及び歴女は、義宣の存在などどうでも良いと思っているか、或いは認識すらしていない。CR花の慶次で映像化された兼続の姿は阿部高和によく似ている。
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[編集] 概要
最近では、「天地人」の主人公(オナ江兼続の名とその独善的な内容からオナニーの語源となった。)としてもおなじみ。ただ、むしろ、いしいひさいちによる地底人というキャラクターとされることも。主君の上杉景勝がとても無口な人物であったゆえ、景勝の意図を代弁する通訳者のような立場であったが、いつもたまに景勝の意図しないようなことを勝手に言っては景勝にゲンコツで殴られたり足蹴にされたり鞭で打たれたりしていた。[1]
結界を張ったり聖剣で不義者をぶった斬ったり地獄から閻魔大王を召還したりと暴れ放題だったが、関ヶ原がたった一日で終結してしまったことで上杉とゆかいな義レンジャイによる義の国日本建国の夢は頓挫、それどころか賊軍の主犯として勝者である徳川家康から糾弾される羽目になり、上杉家並びに兼続は粛清こそ免れたが、大幅に領土を削減され、同僚達からはお前がはしゃいで三成に同調したせいで上杉は凋落して俺達の生活が困窮したんだと非難の十字砲火を浴び、「ギ、ギ、ギ」とはだしのゲンだか壊れたレコードのように義を連呼していた愛の男もすっかり萎縮してしまい、なんだかかったるい著書を書きながら『昔は良かったな~』と思いに耽る毎日が鬱曜日か、はたまた♪暗い日曜日~のションボリな余生を送った。善意にとって換言すれば関ヶ原後の兼続は思考回路がようやく常人のものになったとも言える。
知略に長けた英邁な人物で、文化にも精通した教養人であったが、親友石田三成の影響を受けたのか威丈高な面があり、後述する伊達政宗との逸話に見られるように、人の神経を逆撫ですることに定評があった。尊大な言動も数知れず、安田能元は「話すだけで不愉快だから、今後奴とは一切口を利かない」と放言した。ついでに言うと、極端なKYでもある。ツンデレならまだ救いがあったのだが。また兼続の権柄に縋って威張り散らす「虎の意を狩る狐」という表現が見事なまでに合致する景勝子飼いの上田衆が羽振りを利かせる土壌を作った人物として忌避されてもいる。総合的に毀誉褒貶が激しく、嫌いな人からは蛇蝎の如く嫌われており、そういった兼続アンチの方々はウィキペディアなどを拠点に熱心にアンチ活動に邁進している。なお藤沢周平からは「抜きん出て有能だったみたいだけど、そこまで人間的な魅力を感じない人物」という評価を下されており、他の小説やら漫画やらでやたら濃いキャラとして描かれているのとは対照的に、藤沢が兼続を描いた「密謀」では(他作品の兼続と比べると)とても恬淡とした人物として描写されている。
小早川隆景、他一名と並び、豊臣秀吉から、家臣の身でありながら大名に引けをとらない器量の持ち主である「天下の三陪臣」と評された。[2]秀吉曰く、天下を治める者に必要なものは勇気、大志、そして知恵で、三陪臣はこのうち二つまでを揃えている。そして兼続は勇気、大志は秀抜しているが、知恵が今ひとつ足りない、というのが秀吉の兼続評であった。よく言えば実直、悪く言えば単純な奴と思われていたのだろう。この「知恵」と言うのは単に頭の良さだけを意味するのではなく、例えば空気を読む力だったり、相手の心境を推し量る深謀遠慮なども含有している。確かに兼続は頭脳こそ明晰だが、明晰であるがゆえに策士策に溺れるようなKYな行動も多く、ついでに自らを本当に愛染明王の化身だと思いこむなど妄想と現実の境界線が引けてないところもあるため、「馬鹿」と思われるのもさもありなんな人物であり、この秀吉の寸評は正鵠を射ていると言えよう。ついでに言うと、「陪臣」と呼称するには、竜造寺隆信が死ぬまでは忠実に彼を補佐した鍋島、DQN政宗の尻拭いに心血を注いだ片倉らと比べるといささか出しゃばりすぎではないかという疑念もあるが、誰も気にしない。
しかしながら、兼続の「馬鹿」っぷりは、時には苛立たしく思われる事もあったが、兼続の人徳も合間ってか非常に愛嬌のあるもので、多くの人々を魅了した。しまいには兼続最大の短所と言われる人の神経を逆撫でする余計な一言も、「山城だからしょうがない」と許容されるに至った。家康もこうした兼続の人物像に魅了されるところがあったようで、関ヶ原で西軍の一翼を担った兼続が助命されたのは、そのいい意味での「馬鹿」っぷりに惚れ惚れしたからだ、と言われている。
史実では景勝の懐刀として、物心がつく頃から彼の側にいて、扶翼して活躍した「名参謀」「名補佐役」「名軍師」であるにも拘らず、小説などの二次創作物では何故か景勝が露骨なまでに凡庸かつ正直いてもいなくてもどうでもいいモノとして描かれることが多いまた上杉謙信とは実際に面識があったかどうかすら極めて怪しいほど殆ど接点がないのだが、謙信の一番弟子かつ最も寵愛と信頼の厚い近臣であり、謙信の高邁な思想とやらをもっとも色濃く受け継いだ後継者として描かれる事が多い。
早い話が、プロ・アマを問わず兼続を題材に小説だの脚本だの入門書だのを書いてる人達や、その内容を鵜呑みにしている歴女や歴史ヲタクの圧倒的大多数は、兼続の実際かつ唯一の主君である上杉景勝をその辺の道端に転がっている石ころや雑草、あるいはそこらの片隅の塵や埃程度のモノとしか認識していない(というかむしろ「認識できない」)無知蒙昧な大馬鹿者に過ぎないのである。
[編集] 人物
- 無敵。色んな意味で無敵。あらゆる意味で無敵。
- 上杉謙信を初めて見た時こそ、『わしは、こんな所に来とうなかった!』と言ったが、その後すっかり尊敬するようになり、『与作もかくありたい、ヘイヘイホー』が幼い頃の口癖となった。
しかし謙信は最後まで「よろく?与作?かねつぐ?誰そいつ?」状態であったというから現実はしょっぱい。 - 謙信が毘沙門天の化身と称したのに対し、自らを
愛染恭子愛染明王の化身と称した。これは味方を高揚する為とも言われているが、兼続は何と実際に愛染明王の『愛』の字が刻まれた兜を被っており、いくら士気高揚のためでもこんな恥ずかしい真似が出来るはずもない。おそらく兼続も謙信同様本気で自分が愛染明王の化身と信じ込んでいた正真正銘の気違いだったか、さもなくば単なる田舎のヤンキー兄ちゃんレベルのセンスの持ち主だったのであろう。 - ガチ受け(ただし、この場合の「受け」は、「アッー!」の方ではなく、「バカ受け」の方である)趣味のため「愛」と「受」の区別がつかない振りをして、受け狙いで「受の前立」をつけて合戦に出たこともあったという。しかし敵味方双方の将兵は、余りの痛々しさにドン引きしていたという。
- 「愛染明王の慈悲」と称して上杉軍の兵士達に接吻行為をした。兼続にファーストキスを奪われた不憫この上ない青年兵士は3万を越える。
- 「愛染明王の託宣」と称して主君の上杉景勝へのXXXXX想いを正当化している。おかげで景勝は毎日がエクストリーム・スポーツ競技会。また兼続の前でわずかでも景勝を誹謗中傷・批判・侮辱する発言をしたりなどするともれなく検閲により削除される。
しょっちゅう稀に失敗しても、『これはしたり』と笑ってごまかしてしまう。御館の乱後の論功行賞の場で、新発田重家があまりにも恩賞が少ないと不満を漏らした際にも、見る側によっては殺意を惹き起させる満面の笑みで『これはしたり』と、兼続なりの侘びを入れて重家の怒りの導火線を着火させたり、長谷堂城を攻め落とせず、上泉泰綱ら有能な志士を多数戦死させてしまった責任について本庄繁長辺りから詰問された際も、『これはしたり』と笑って誤魔化し、繁長は辟易し、水原親憲は激昂して兼続に掴みかかっている。- 無謀にも三成とつるんで家康に喧嘩を売った、上杉家を落としいれた幹臣(新幹線の如き速さでお家を振り回す厄介者、と言う意味である)との悪評を被ることもある。
- なおそのような悪評を下すものの多くはロシア人である。理由は極めて単純なもので、兼続の姿がかつてロシアを牛耳った魔術師ラスプーチンと被りまくってるからだ、と言うものである。ガハハ。なおウィキペディアの兼続の項目もその事で揉めていたらしいがおそらくロシア人が編集していたのだろう。ガハハ。
- しかしラスプーチンと兼続に共通点が多いのも事実である(神妙不可思議にして胡散臭い妖術を使う、目がイッちゃってる、頭はもっとイッちゃってる等、枚挙にいとまがない。)
- 上田庄という山奥(現在の新潟県魚沼地方)産まれのクセに海の生き物が大好きで、その溺愛ぶりは『イカ』と綽名されるほどである。その証拠に自分の頭の上にイカを乗っけてみたり、上杉謙信に対して「謙信公こそまさに蟹!」と言い放っている。単にネ申と言い間違えたのかもしれない。
- 関ヶ原の際は各国から選りすぐりの浪人を集めて最上軍と戦った。その際前田慶次などのインテリ風流人を除く大多数の浪人は漢字が読めなかったので兼続の兜に添えられた『愛』の文字を『変』と読み間違えた。そのため兼続は『直江変態』、『変太郎』、『変質者』、『変態陰陽師』などと呼ばれた。事実兼続は変人かつ変態であったからこの呼び名は
まさに事実を言い当てている。ある意味的を射ていると言える。 - 最上義光は長谷堂城の戦いで彼を追いかけ回したが、撤退する直江兼続に熱い投げ接吻をされ、ただならぬ
貞操の危機と恐怖と気持ち悪さの余りに逃げ帰った。なお、義光の兜はそのおぞましい瘴気魔力で一部が破損したという。 - 戦の実況解説の腕に非常に長けている。彼が実況を受け持った戦は大概高視聴率を博す。彼の実況解説の腕はかの今川義元をも唸らせ、「戦解説男」の異名を取った。
- 戦うときに「私は最強だ」「義」「愛」と言いまくって、選挙活動みたいでやかましい。
- そのウザい位やかましい選挙活動は決まって『愛する上杉の兵士諸君!』から始まる事が多い。
- でもそのウザい位やかましい選挙活動のおかげで、晴れて2009年度大河ドラマの主人公になれましたとさ。
- その大河ドラマ原作で、いい加減ウザくてうっとうしいほど長々と童貞喪失を描かれたのは、兼続のアッー!疑惑払拭のためだとされるが、定かではない。
- その大河ドラマ原作で、いい加減ウザくてうっとうしいほど長々と執拗に、上杉謙信との絆の深さとか謙信の事実上の側近とか家臣とかいう今や中学生でも知っている明らかなでっち上げが描かれたのは、兼続の黒歴史抹消のためだとされるが、定かではない。
- その大河ドラマ原作で、いい加減ウザくてうっとうしいほど長々と執拗にねちねちと、上杉景勝が愚鈍で狭量かつ薄情な凡夫だという捏造が描かれたのは、景勝とその愛人(貧乏公家・四辻家の娘)を悪役兼スケープゴートにして、兼続の黒歴史のみならず謙信時代から明治3年の雲井龍雄処刑に至る上杉家の黒歴史の責任と罪を彼らに全てなすりつけるためであることが、その大河ドラマの配役人事で明らかになった。
- 兼続との政争に破れ上杉家を逐電した藤田信吉は藤田五郎巡査こと斎藤一の祖先である。それゆえ斎藤一のファンは兼続を毛嫌いしている。
[編集] 直江信綱殺害・直江家乗っ取り疑惑などについて
元々兼続は樋口氏という上田衆(早い話が景勝の子飼いの集団)に属する一介の地侍の家の息子であったが、当時の直江家当主(お船の当時の夫でもある)直江信綱が御館の乱後の論功行賞の場で突然発狂した毛利秀広とかいう無名の家臣に殺され、直江氏が断絶の危機を呈したため景勝によって直江氏に婿入りして直江の家名を引き継いだというのが定説である。
しかし、この定説に関して、実は景勝と兼続による「正当な当主の」上杉景虎・信綱殺害と上杉家・直江家の乗っ取り工作の一環であるという異論を唱え、それを事実として押し通すことに汲々として電波な怪気炎を吐いている気違いおかしな集団がいる。
その旗頭となっているのが、直江信綱と上杉景虎を枢要人物として描き、腐女子とその機関雑誌「ぱふぱふ」を中心に「聖書」「聖典」として莫大かつ熱烈な信者支持を得ている小説「炎の蜃気楼」の作者桑原水菜である。彼女を教祖として熱烈に盲信支持するいわゆるミラヲタと呼ばれるカルト集団は、「景勝と兼続が正当な当主の景虎と信綱を殺して上杉家と直江家を乗っ取った」という珍説を頑なに妄信し定期的、あるいは神出鬼没的にウィキペディアや2chで自説を開陳したり、景勝と兼続を極端に貶める記述を書きこむ等々のテロ爆撃を執拗に仕掛け続けてゆく。
しかし、歴史なんてものは所詮勝者が作った戯言であるという不文律を考慮すると、彼らが妄言提唱する「景勝と兼続による景虎殺害・信綱暗殺と上杉・直江家乗っ取り工作」という珍説も100%真っ赤な嘘だと断じることはできない。
[編集] 伊達家との確執
伊達政宗に対して「逃げる後ろ姿しか見ていなかったのでので伊達殿だと気付きませんでした」と厭味を言ったり、政宗から渡された小判を扇子で弾き飛ばして返すなど、政宗を挑発するような逸話が多く残っている。これらのエピソードは創作だろうが、政宗とは犬猿の中であったことが推察される。
それゆえ仙台人は兼続を忌避し、仙台で「直江兼続が好きです」などと言おうものなら一斉に押さえつけられ鼻の穴に五円玉をねじ込まれるので絶対言わないように。
ちなみに仙台藩と米沢藩は幕末の戊辰戦争でともに奥羽越列藩同盟の主翼を担い(というか少なくとも米沢藩は担わされ)、官軍である薩摩と長州などに惨敗を喫しているが、仙台の人間は皆「もれなく負け戦を呼び込む上杉景勝の負のオーラの所為で奥羽越列藩同盟は敗北した。直江兼続の怨念が藩主伊達慶邦公に取り付いて仙台藩を麻痺させた」と本気で思いこんでいる。
[編集] 妖術
兼続は陰陽師だけあって、マテリアと呼ばれる妖術、瘴気の類を駆使して人々を蠱惑、煽動、撹乱させたと伝わっている。伝説によれば、同じ上杉家の武将達の武勲、手柄を吸収し、悉く自分のものにする「アスピル」、空気の読めない発言で場を凍らせ、周囲を辟易させる「ブリザガ」、失態を犯した時に自分の取るべき責任を4分の1に縮小、削減させる「グラビデ」自分にとって都合の悪い人物をファビョらせて失脚させる「コンフュ」、果ては存在自体を初めからなかったことにする「バニシュ」「デジョン」などを駆使し、物事を自分の都合の良いように歪曲し、また邪魔者を次々に秘密裏に葬り去ったと言われており、一部界隈では佞臣、というか、『王様を誑かす悪い魔法使い』扱いされている。
[編集] 他の上杉家臣との関係について
彼が主役として登場する物語では、大抵弟の大国実頼や、泉沢久秀を初めとする、兼続の子分である上田衆がやたらと出しゃばり、彼らと石田三成や前田慶次の描写にばかり尺が割かれ、本庄繁長、水原親憲ら他の上杉家の百戦錬磨の武将達は登場すらしないことが多い。このことから、兼続は他の上杉家臣団との関係はあまり良好ではなく、上杉家中において一人浮いていたことが推測される。
[編集] 注釈
- ↑ 一説では、しばかれる形であっても景勝とのスキンシップが取りたいがために故意に行っていたとの説があるが……どう見ても凄い馬鹿で変態です、本当にありがとうございました。
- ↑ ちなみに他一名に関してだが、堀直政、鍋島直茂、片倉景綱などの内の誰かだと言われているが判然としない。