神の不在証明
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
偉大なる当アンサイクロペディア、および専門家気取りたちのウィキペディアには「神の存在証明」なる項目が存在する。ただ、神が絶対的であり全知全能で、万物の創造主たるならば、その存在は自明であり、わざわざ証明する必要の無いところである。また、それに対して、人間というちっぽけな連中が証明をなすなど、片腹痛いと言わざるを得ない。
にもかかわらず、その項目があるということは取りも直さず、説明しなければ理解出来ない。声高に言い立てなければ存在に気がつかない。あるいは、証明されなければ納得できない、ということであり、絶大かつ超越的な神の属性と相容れない。不可知論は無意味である。
すなわち、神は存在しない。
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[編集] 不在証明
[編集] 目的論的証明
人間が探求している学問は、物理学でも数学でも、生物学でも、人知を超えて複雑で美しい体系を持っている。こんな素晴らしい仕組みを考え、作り出せるのは理性を備えた絶対的な存在、すなわち神以外に無い、という理屈があって、かの有名な科学者であるアイザック・ニュートンもそう考えた。
しかし、自然界でも人間界でも、魔界や他界でも、知れば知るほど、研究すれば研究するほど、多様性と混沌が支配していることは誰にでも判る事実である。例えば、牡丹鍋を煮立てている鍋の中を見よ。沸騰する出汁の動きは複雑怪奇で、味噌の挙動は予測が付かず、美味なる肉を的確に箸で分捕ることは至難の業である。 よって、これらの法則、現象の全てを作り出した、あるいは作り出せるような能力を持った意志は存在しない、あるいは存在するわけが無い。
すなわち、神は存在しない。
[編集] 実証論的証明
ドラゴンボールを前にして叫ぶセリフ、「出でよ、神龍(しぇんろん)!」に倣い、御幣を手に「出でよ、神様!」と唱えたとして、眼前に神が現れるかな?
紙だったら、風に舞って飛んで来るかもしれない。髪は、奇跡的に生えてくるかもしれない。しかし、神は出現しない。誰もがそれと判る姿で、しかも叫んだ直後に、指定した場所に現れる可能性はゼロである。
よって神は存在しない。
ただし、一部の人間だけが判る姿で、予告もなしに、あちらの都合の良い場所に出現することは否定できないが、神様だったらそんな汚いマネをするなよ!
なお、叫ぶフレーズで「神よ。存在するなら、今すぐに俺を殺してみろ!」とか、「地震を起こしてみろ!」などという罰当たりなことを口にしてはいけない。その事象は0.000000……00001%の確率で発現するので、その場合は神の存在を証明してしまうこととなる。Mr.マリックが超魔術で日本のごく一部の時計を止めた論理と同じである。
ピッコロと合体する「神様」は、単なるアニメのキャラクターである……のはずである。
[編集] 経験論的証明
昔、タマという子猫を飼っていた。悲しいことに自動車に轢かれて死んでしまった。お父さんが庭に埋めて「タマの墓」と書いた札を立ててくれた。ボクは「神様、お願いです。タマを生き返らせてください」と祈った。来る日も来る日も学校から帰ると、お墓の前で祈った。1週間、祈った。でも、タマは現れなかった。一年経っても現れなかった。
しばらくして仲の良かったユウタが算数のテストで百点を取った。お母さんが「偉いのね」と言った。ボクは「神様、お願いです。一度でいいから百点をください」と祈った。来る日も来る日も祈った。テストのたびに祈った。でも、小学校が中学になり、高校、大学と進んでも百点は取れなかった。
通勤のバスで可愛い子を見かけるようになった。毎日毎日一緒のバスだった。心の中で「神様、お願い。あの子と結婚させて」と叫んだ。残念ながら口もきけなかった。いつしかボクはフネとチョメチョメして、カツオが生まれた。そしてタマを飼うようになった。
だから、神様なんて絶対にいない。
[編集] 能力論的証明
かつて神は人間に数々の懲らしめを与えた。ノアの箱舟の洪水、バベルの塔の崩壊、あるいは天の岩戸に御隠れになる等という神類史に残る事件である。原因は、人間が神様の言うことに背いたので罰が当たったのであるが、これを冷静に捉えれば、神自身が人間を正しい方向に導けなかった、思惑通りに操れなかった、指導力が無かった、ということに他ならない。いうなれば、この神は全知全能ではない。
また、人類史ではネロや秦始皇帝など、大虐殺は数知れず、第1次、第2次の世界大戦、および交通大戦争などで幾多の尊い命が失われてしまった。加えて鳥類史ではトキやリョコウバトたちが、両生類史ではゾウガメたちが、種が絶滅するほどに殺戮された。このような極悪非道を許していることは、もし神が存在するならば、その能力を問われてしかるべきである。解任しなければならない。
よって神は存在しない。あるいは、してはならない。
ただし、この論法では、風神雷神と鰯頭神が存在しないことの証明は不十分である。
[編集] 組織論的証明
神は、人間の存在するところにアマネく存在する。インカ帝国しかり、エジプト文明しかり、またヨーロッパにも、インドにも、中国や日本にも存在する。また、小僧の神様までいる。素晴らしいことである。ただし、それらの神々が民族や部族、あるいは地方などに固有の存在であるところに一つ、問題がある。
Aという神様を祭るのはXという人々だけ、Bという神を崇めるはYという連中だけ、あるいはCというゴッドはZという地域だけで拝んでいる。ということは、A、B、C……の神々が、各々X、Y、Z……の人々、あるいは地域を担当する分業制、または支店制度を採用していると解釈できる。
ならば、それを統括する営業本部長なり、社長なりの存在が浮かび上がる。世界中の神様を統括する神様、キング・オブ・キングス、またはゴッド・オブ・ゴッズである。仏教で言うところの盧遮那仏かもしれない。
神の上の神だから、絶対的な尊厳と存在感を持っているはずである。しかし、前述のX、Y、Z……といった人々は皆、そのような存在を認めていない。
すなわち、社長神、統括営業本部長神は存在しない。ということは、A、B、C……といった個々の神々は、X、Y、Z……といった人々が勝手に唱えているだけである。
よって神は存在しない。
ただし、A、B、C……が一様な神ではないと仮定した場合には、存在の可能性が残されている。
[編集] 権威論的証明
高名な哲学者のルネ・デカルトが行った証明が「我思う、ゆえに神あり」である。
太郎も、花子も、ジョンも、フランソワも、イワンも、タマクローも、ドルジも、チャンも……、皆んな、思っている。
これでも君は神の存在を否定する……かな?
神が存在するか、あるいは否かを証明することは共に大変難しい。さらに論破することはバカの壁同様、不可能である。
[編集] 関連項目
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