神田うの

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神田うの(かんだ うの)とは、余りに好奇心旺盛であるため一体何がしたいのかよく分からない人物である。彼女のビジョンが何であるかは諸説入り乱れており、敬虔な拝金教信徒として生涯を全うしたいのではという説についてすら、有力ではあるが、定説ではない。

自叙:生い立ち[編集]

——本当によく分からないので、本人に訊いてみることにした。

うのは東京生まれ。団塊ジュニア世代らしいの。小さいときからずっとバレエをやってました。先生からはローザンヌに出場することをよく勧められたの。でもローザンヌってコンテンポラリーダンス踊るでしょ? あれ、ちょっと気持ち悪いからさっさとパリへバレエ留学しちゃった。

でも、パリの女の子たちがあ、意地の悪い子ばっかりなの。ケーキ食べにいこうって訊いても「私ずっと食事制限中だから永遠に誘わないで」とかね。で、寮を出る口実ができないからずっとこもりっきりで。本当につまらなかった。パリは渋谷みたいなところもないし。うの本当に飽き飽きして、すぐに東京に戻っちゃった。バレエは完全に止めた訳じゃなくて、長野のパラリンピック開会式で踊ったりしてるんだけどね。

とはいっても、東京も東京で1年も経たないのにそんなに様変わりしてる訳じゃないし。仕方なく友達誘って勝手に新しい遊び作ったりして。何って? 秘密。そんなことしてたらあ、日曜の昼間道歩いてると男の人がうのに声掛けてきたの。また痴漢って思ったら、「モデルならないか?」って。うのホイホイついて行った。退屈しのぎにはちょうど良かったから。あの時は、どこまでしたら楽しくやれるのかって感じで。限界への挑戦(笑)って。あの間、考える間なんかなくて、気がついたら連日スタジオの雛壇に座ってた。

でも、1年も経つとあんなところで椅子に座っても、面白くも何ともないのよね。うの退屈で退屈で、いろんな人のツテを借りて面白いこと探していった。あのとき、憲ちゃんが言ってくれたの。「やだもう、まだこんな歳で。化粧のりが悪くなるわよ。簡単じゃない。もっと楽しそうなことをすればいいのよ。」って。

ドラマの衣装でスーツ着て、うのOLの格好したの。あの時今更気づいたのが、スーツで履くパンストって、チャコットのタイツみたいでダサいって。百貨店に行っても、チャコットのタイツみたいなのしか無いの。ハンズのパーティーグッズコーナーに辛うじて子供が履くようなのが1種類あるだけで。初めて行った社交パーティーでご一緒したグンゼのおじさまに話したら「うのちゃん作ってみる?」って。うのOKして、3日後にはグンゼの会議室にいた。おじさま、まさか本当にやるとは思ってなかったのですって。

パンスト売りとして[編集]

芸能界を経由して生業へと辿り着いた人物としては、北野武田代まさし田中義剛の例がよく知られている。しかしここに挙げた誰しもが、それぞれ映画監督、そして2頭の牛のオーナーという、ほどばしる中二病気質をただ増長させ尽くしただけなのではないかという疑問は払拭できない。

しかし、神田うのは彼らとは明らかに異なる。服を売りたいとは思っても、100歩譲ってブラジャーを売りたいとは思っても、パンストを売りたいとは当時誰も思わなかった。彼女の他に進んでパンストを売る人間は、現在でもソウル地下鉄の車内売り子(男性)位のものである。京都のワコール本社では、神田うのに創業者塚本幸一の例が取り憑いているのではと戦々恐々として、清明神社にお祓いをお願いしたと伝えられている。

彼女が作るパンスト、Tucheは、いい意味で卒が無く、かついい意味で地味でも無いという絶妙なもので、世の若い女に人気どころではなく、持っていて当たり前と言う程のスタンダードとなった。「母のお古のワンピースしか無くても、Tucheさえ履けば大丈夫」という、オロナインに匹敵する安全神話すらまかり通った。事実、70年代や80年代に作られたお古を見直すことが、世紀末頃からこれらパンストのおかげでトレンドとなり定着した。今ではTucheを履くことで太眉・ボディコンの90年代初頭のスタイルが見直されつつあるという。

自叙:現職として[編集]

パンスト作るのは椅子に座って他愛もないことを話しているよりもずっと楽しかった。

印象深かったのは、ある女の子からのファンレターなんだけど、「タレントとしてのうのさんははっきり言って大嫌いですが、Tucheのパンストは大好きです。毎日履いてます。」って。物を作ることで理解できない人とも少し位なら接点が出来るって。UNO何だか嬉しくて。で、椅子に座って他愛もないことを話すことについても、それはそれで楽しくなってきたの。相手が色々なお詳しいことをご存知でいらっしゃる方ばかりになって。年会費1000万円だったけど、パンスト作りのギャラで何とか入ることができたの。ホリエモンとかすごくおもしろい人だった。他の人も、みんな一癖も二癖もある人ばっかりで。とりあえずドンペリいっとこうぜってノリで。

でも、毎日ドンペリ飲んでると、舌も麻痺してくるのよね。UNO何食べても、何を飲んでもおいしくなくて、遊ぶってことも飽きるのよね。いずれは。UNO、飽き倒さないうちに結婚しました。パチンコ関係の人と。いちいち青年実業家とか言わなくていいよ。もう。

今の趣味は、結婚式。みんな毎日結婚式が挙げられるようになったら世の中ハッピーになれるとか言う人が湧きそうだけど、UNOそんなのどうでもいいし。とりあえず、今楽しいから。

アスリートとして[編集]

——彼女、神田うのは自らがプロプレイヤー第一号となって、新しいエクストリームスポーツであるエクストリーム・結婚式を普く振興していくことを神の前で誓った。

ルールはまだ策定中である。今の所は彼女自身の思いつきと気まぐれで試合の度に大幅に改変されている。だが、とりあえず参列者から得たライスシャワーやフラワーシャワーの粒の数や、お祝いや御祝儀の内容、そしてプレイヤーの出で立ちが桂由美プロデュースのウェディングドレスを着た場合と比較してどれだけ幸せそうであるかで得点が付けられることは変わっていない。

さすがにこれは世界の未体験ゾーンである。エンドールやボンモールの王族ですら、結婚式はたった1度しかしていない。ただ、既に二度も三度も非凡な道に飽きた彼女である。この先どのような風の吹き回しがあるかは、誰も知らない。井上公造も、彼女自身も。

関連項目[編集]

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神田うのが放った発言は、後世の物好きのために、有志たちによって「Unquotable/実業家」へ収録されています。

外部リンク[編集]