禁止ワード (アンサイクロペディア)
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
禁止ワード(きんしわーど)とは、アンサイクロペディアにおいて使ってはいけない言葉である。もっとも、そんなものはないから安心してもらいたい。要は、使用の際に自己責任を負う言葉が存在しやがるだけである。
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[編集] 概要
一般的に、アンサイクロペディア内における言葉の扱いは、ウィキペディアを秩序とするならば、常に無法状態で、あらゆる汚い言葉がはびこる無法地帯であるように思われている。しかし、実際はウィキペディアにおけるアングラ系の記事群はもはや筆舌に尽くしがたいほどカオス化しており、むしろアンサイクロペディアのほうがマシともいえる状況である。ただし、ウィキペディアの形式上、扇情的な言葉や煽りといった要素はまったくなく、あくまで一般的な知識を提供するための言葉で禁止ワードを語っている。が、どう考えても18才未満の青少年が見ていい内容ではない。
そのため、一種の知的な狂気の見え隠れするウィキペディアとは異なり、あくまでも技術と知恵とユーモアを駆使して記事を作成すべきアンサイクロペディアでは、中高生が一般社会の目をかいくぐって、エロ本隠しに励むのと同じく、様々な禁止ワードやアングラ系の作品群を手練手管を用いて伝えなければならない状況である。しかし、知的であれば全て許されるウィキペディアとは違い、無法のように見えるアンサイクロペディアのほうが、笑いを維持するための最低限のルールに則った管理がされている分、むしろ秩序的ともいえる。
[編集] 一般的に使用を控えるべき言葉
開設当初、どんな言葉も表現も好き勝手に投稿できたアンサイクロペディアにおいても、ページ開設から数年を経た2009年度現在、様々な単語が控えられる傾向にある。逆にウィキペディアにおいては、年を経るごとにどう考えても人として使用を控えるべき言葉、記事であるにも関わらず、新着記事やおすすめ記事として掲載される傾向が強まっている。
なお、この項目の右にあるウィキペディアのリンクは、全ておすすめ記事に分類された、内容においても大変知的で素晴らしいものである。果たして、それが良いことであるかどうか甚だ疑問ではあるけれど。
また、アンサイクロペディアのほうが理性的であることを示す一例として、性器を連想させるもの&性器そのものや、差別を助長するもの、一般人を攻撃するような言葉、もしくはそれらに該当する記事が投稿された際、ある程度のモラルが働くことが上げられる。このモラルは何かしらのルールに拠って形成されたわけではない。多くのアンサイクロペディアンにとっては、こんな言葉を多用するようなやつらと一緒に見られたくないというのが、この明文化されていないモラルの形成に大きく関わっている。実際、一般社会においても、使ってはいけない言葉を連呼するような存在は、何も知らない幼稚園児か人間社会からはみ出している連中ぐらいである以上、アンサイクロペディアにおいても同じことなのである。そのような言葉を連呼する利用者は、即刻、ガキもしくは空気読めてない面白くないヤツの烙印が押され、管理者から目をつけられることになる。ただし、中には一般的には使用を控える言葉であっても、その真意に真正面から立ち向かうことで秀逸な記事に認定された言葉も存在する。
ちなみに、管理者からもっとも目をつけられる行為は、今も昔もこれからも面白くない記事の書き込みに尽きる。これらが規制対象となる最たる理由は、面白く書こうとしたところで珍珍怪怪見世物小屋的な様相を呈することが目に見えているからである。
[編集] 使う際にセンスが問われる言葉
かなり存在する。厳密に言えば、上記の「使用を控えるべき言葉」もそれに当てはまる。つまり、使ったとしても記事が面白ければまったく構わないのである。ただし、長期的な視点において、それらの記事が生き残るためには、よっぽどの筆力が必要になる。また、アニメや特撮、人気ゲーム、人気キャラクターなどの記事に多く見られるほめ殺しとひいきの引き倒しは、ウィキペディアにおいてでさえ問題視されている。いわんやアンサイクロペディアをや。このような記事に対して、良識あるアンサイクロペディアの管理者たちは一見無視しているそぶりを見せながら、陰では常に削除の機会を狙っているのである。長い時間をかけてコツコツ作成してきた記事が、管理者によって一瞬で削除される様は、見ていて楽しい。苦労して読んで、読み終わった後、二度と読むかと感じられる記事だと、さらに楽しい。
[編集] 該当する言葉
これらのセンスのない言葉の例として、面白くない記事の人物紹介文にあふれている無意味な形容詞群が挙げられる。クソ長い人物紹介文ほど読む気がうせるのが人の常であるため、人物が多いときは紹介文を少なく、紹介文が長いときは人物を少なくしなければならない。人物紹介文だけで記事の半分以上を占めるのは問題である。80%以上など論外だ。
また、人物と紹介文の両方とも多い記事に限って、書き手の妄想が入った文章を読ませられる危険が危ない。その作品が売れているときならまだしも、10年後、20年後もその記事が残っていることから考えないと、多くの悲喜劇が待っていることになる。ン年前の自分の書き込んだ記事を前にもだえ苦しむような書き手ならまだマシで、ひどいものになると、数ヶ月一記事に執着して、読み手が疲れる妄想入り超大作を書き込んだ後、華麗にいなくなるという書き手も存在している。消されたという話もある。そのような書き手は多くのアンサイクロペディアンたちにとって頭痛が痛い存在である。併せて、センスのない記事による原作へのダメージもまた計り知れないが、大抵の場合はアンサイクロペディアの記事からその作品を知り、その作品が大嫌いになることがほとんどなので、打ち切られようが原作破壊されようが、あまり関係はない。知ったこっちゃない。
[編集] ウィキペディアにおける削除の事例
しかし、このような言葉狩りの状況はまだゆるいといえる。ウィキペディアには、過去ログまで掘り起こして禁止ワードを発見し、版ごと削除するような話も多いのである。例として、2009年2月に起こった、記事「アンサイクロペディア」における削除依頼が挙げられる。これは、過去の版に一般人である奈良県の騒音おばさんの本名が存在していたというのが版の削除の理由である。また、その直後の2月末日にも同じく版の削除依頼が提出されており、この場合は、他人による過去の記述を許可無く復活させたことに対しての適応である。幸いにも、アンサイクロペディアに関してはこのような話はほとんど存在しない。あったとしても、ウィキペディアや他のサイトから文章を丸ごとコピーしたバカの書いた版を削除するときぐらいである。
[編集] 時限爆弾
特殊な事例として、主に時系列を扱った言葉は、使用する際に注意しないとン年後に記事を破壊する時限爆弾のような存在となる。たとえば、去年という言葉を正確な年度を伝えずに使用したとするならば、書いた年の12月31日をすぎた段階で、その文章には齟齬が発生することになる。その結果、年を経れば経るほど、その記事は文章ではなく書き手の拙さが笑える記事になっていく。ウィキペディアにおいては特に。そのため、時系列を扱う際には、基点となる年を明記するよう心がけなければいけない。文中に20xx年や平成、もしくは昭和○○年といった基準となる年表記を入れることで、これらの言葉が齟齬を生じることはなくなる。そのほかにも、様々な言葉が1年後、10年後、20年後に齟齬を生じさせる可能性があるため、下記に示す言葉を使いたい時には、文初頭と項目ごとに基準となる年を表記する癖を身につけたほうがいい。
むしろ、下記に示す言葉を使わなければなおいい。
[編集] 時限爆弾見本市
- 年表記
- 去年、昨年、前年、今年、来年、一昨年、再来年などがそれに当たる。併せて、~~年度という言葉も危険である。これらの言葉はなるべく西暦などで分かりやすく表記すべきである。
- 季節表記
- 今春、今夏、今秋、今冬なども時系列を含むため、使用に関しては年表記と同じく、基準となる年を書かなければならない。単に春や秋といった季節を表す際はその限りではない。
- 人物表記
- 長嶋茂雄巨人軍終身名誉監督や、イチロー選手、麻生太郎総理大臣といった役職名についても数年後には誤記となりうるため、有名人を扱った記事には、絶対に基準となる年表記を忘れずに書かなければならない。
[編集] システム上の禁止ワード
アンサイクロペディアのシステムで使われているwiki、もしくはwikiwikiと呼ばれるシステムでは、多くの言葉が禁止ワードとなっている。分かりやすく言うと、記事の編集をする際に出てくるマークアップに属する記号と言語は、システムには反映されても文章には反映されない。そのため、これらの言葉を文中で使用する際は、注意が必要である。もっとも、システムを利用する以外で、これらの言葉を文中で使用するなんて話はほとんどないので、別に注意する必要はない。
[編集] 事例研究 ——爆弾処理篇——
さて、ここまでお読み頂いたことで、アンサイクロペディアで使用を控えるべき言葉については、おおよそご理解頂けたものと思う。
ところで、よきアンサイクロペディアンたらんとする者は、暇だったりネタが無かったりするときには、既存の記事の手直しをすべきであることはご存知だろう。勿論、秀逸な記事にリストされているような“既に完成されている記事”には極力手を触れるべきではないが、おまかせ表示をほんの数回クリックするだけで、上記で述べたような禁止ワードを何の躊躇いも無く使用している記事が見つかるはずだ。
一例を挙げよう。以下は、アンサイクロペディア内に存在するある記事の冒頭部を、そのまま引用したものである。
禁止ワード(きんしわーど)とは、アンサイクロペディアにおいて使ってはいけない言葉である。もっとも、そんなものはないから安心してもらいたい。要は、使用の際に自己責任を負う言葉が存在しやがるだけである。
一般的に、アンサイクロペディア内における言葉の扱いは、ウィキペディアを秩序とするならば、常に無法状態で、あらゆる汚い言葉がはびこる無法地帯であるように思われている。しかし、実際はウィキペディアにおけるアングラ系の記事群はもはや筆舌に尽くしがたいほどカオス化しており、むしろアンサイクロペディアのほうがマシともいえる状況である。ただし、ウィキペディアの形式上、扇情的な言葉や煽りといった要素はまったくなく、あくまで一般的な知識を提供するための言葉で禁止ワードを語っている。が、どう考えても18才未満が見ていい内容ではない。
そのため、一種の知的な狂気の見え隠れするウィキペディアとは異なり、あくまでも技術と知恵とユーモアを駆使して記事を作成すべきアンサイクロペディアでは、中高生が一般社会の目をかいくぐって、エロ本隠しに励むのと同じく、様々な禁止ワードやアングラ系の作品群を手練手管を用いて伝えなければならない状況である。しかし、知的であれば全て許されるウィキペディアとは違い、無法のように見えるアンサイクロペディアのほうが、笑いを維持するための最低限のルールに則った管理がされている分、むしろ秩序的ともいえる。
如何だろうか。
一見、特に問題ないように見えるが、実はこの文章にも禁止ワードが幾つか含まれている。順を追って見ていこう。
まず、「ウィキペディア」という語が、上述の#時限爆弾に該当する。かのサイトは、2009年3月現在では、所詮は“寄付金”という藁に縋(すが)らねば活動を維持できない非営利団体によって運営されているものでしかない。寄付金に頼ること自体は、芸術やスポーツの分野でもよくあることだが、それだけに、景気の影響を受け易い。景気が悪くなれば寄付金は当然のように減る。また、芸術やスポーツは、辞めるのも一手間かかるものだが、ウェブサイトを閉鎖させるのは非常に簡単である。何年も存続していた歴史あるサイトが、ある日突然消滅していることなども、2009年時点においてはもはや珍しくなくなっている。
と、いうわけで、「ウィキペディア」という言葉にも、やがてウィキペディアが消滅して忘れ去られた場合や、ウィキペディアというものを知らない読者がこの文章を読んだ場合などへの配慮をしなければならない。
(なお、当然ながら、これは我らがアンサイクロペディアを始めとする、全てのウェブサイトに当てはまる。但し、アンサイクロペディアが消滅した場合は、上記の文章を第三者が読む機会はほぼ失われるものと看做せるため、「アンサイクロペディア」が消滅する可能性への対応については、ここでは気にしなくて良い。)
次に、「どう考えても18才未満の青少年が見ていい内容ではない。」という一文も、やはり時限爆弾に該当する。この表現は、各都道府県で定められている青少年保護育成条例(淫行条例)の類を念頭においたものだが、そもそも条例とは改正され得るものであり、大阪府の条例では16歳未満の者といった細かい区分もされている。日本国の最高法規である日本国憲法ですら、過去に何度も改正論議が巻き起こっている。いや、2009年3月19日現在では、日本国憲法はまだ制定後一度も改正されたことがない状態であるが、いま、あなたがこれを読んでいる時点では、もう何かしらの改正が行われているかも知れない。まして、各都道府県議会での議決のみによって改正可能な条例においてをや、である。
勿論、アンサイクロペディアの記事については、事実であることを保障する必要は全く無い。従って、このような注記など無意味であるとお考えの方もいらっしゃることだろう。しかし、この「18才未満が…」云々の記述は、現行(2009年3月19日現在)の法令の存在を前提としたものである。法令が改正されれば、その前提が崩れることになるため、改正後にこの一文を読んだ読者には意図が伝わらなくなる惧れがある。
よって、この18才未満云々という記述に限らず、法令に基く記述をする際には、必ず「xxxx年x月x日現在」として但し書きを付さねばならないと言えよう。
その他にも、上記の枠内の文章には、禁止ワードに該当する語句がまだまだ含まれているが、これらの爆弾を適切に処理し、経年変化にも耐え得る状態へと手直しすると、以下のようになる。
禁止ワード(きんしわーど)とは、アンサイクロペディアにおいて使ってはいけない言葉である(2009年3月19日(木)21時10分00秒現在)。もっとも、そんなものはないから安心してもらいたい(2009年3月19日(木)21時10分07秒現在)。要は、使用の際に自己責任を負う言葉が存在しやがるだけである(2009年3月19日(木)21時10分14秒現在)。
一般的に、アンサイクロペディア内における言葉の扱いは、ウィキペディア[1]を秩序とするならば、常に無法状態で、あらゆる汚い言葉がはびこる無法地帯であるように思われている(2009年3月19日(木)21時10分28秒現在)。しかし、実際はウィキペディアにおけるアングラ系の記事群はもはや筆舌に尽くしがたいほどカオス化しており(2009年3月19日(木)21時10分35秒現在)、むしろアンサイクロペディアのほうがマシともいえる状況である(2009年3月19日(木)21時10分42秒現在)。ただし、ウィキペディアの形式上、扇情的な言葉や煽りといった要素は2009年3月19日(木)21時10分49秒現在ではまったくなく、あくまで一般的な知識を提供するための言葉で禁止ワードを語っている(2009年3月19日(木)21時10分56秒現在)。が、どう考えても、2009年3月19日(木)21時11分03秒時点においては18才未満の青少年が見ていい内容ではない。
そのため、2009年3月19日(木)21時11分10秒時点においては一種の知的な狂気も見え隠れしているウィキペディアとは異なり、同じく2009年3月19日(木)21時11分17秒時点ではあくまでも技術と知恵とユーモアを駆使して記事を作成すべきとされているアンサイクロペディアでは、2009年3月19日(木)21時11分24秒時点の日本の学校教育制度で言うところの中高生が一般社会の目をかいくぐって、エロ本[2]隠しに励むのと同じく、様々な禁止ワードや、2009年3月19日(木)21時11分45秒頃の倫理観ではアングラ系とされている作品群を、手練手管を用いて伝えなければならない状況である(2009年3月19日(木)21時11分52秒現在)。しかし、2009年3月19日(木)21時11分59秒現在では知的であれば全て許されているウィキペディアとは違い、同じく2009年3月19日(木)21時12分06秒現在では無法のように見えるアンサイクロペディアのほうが、笑いを維持するための最低限のルールに則った管理がされている(2009年3月19日(木)21時12分13秒現在)分、2009年3月19日(木)21時12分17.86秒の時点においてはむしろ秩序的であるともいえる。
- ↑ 2001年にインターネット上に開設された、「オンライン参加型百科事典」を自称しているウィキサイトのこと。2009年3月19日(木)21時10分21秒現在のアンサイクロペディアにおいては、ウィキペディアは“頭の固い百科事典”であり、秩序で雁字搦めになっているものとして扱われている。
- ↑ ここでは、2009年3月19日(木)21時11分31秒時点で各都道府県ごとに制定されている青少年育成条例の類において、18才未満の者(但しこの年齢については、2009年3月19日(木)21時11分38秒現在各方面で議論になっているため、今後改正・変更される可能性がある)の購入や所持が制限されている書籍や雑誌のこと。
…………。
……まあ、何事も、やりすぎは良くないってことだ。