立入禁止不動産
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
| 種類 | 株式会社 |
| 本社所在地 | 日本 602-8611 京都市上京区 |
| 設立 | 1868年 |
| 業種 | 不動産業 |
| 事業内容 | ビル、建物、工場、土地などの所有・管理 |
| 代表者 | 立入忠孝 |
| 資本金 | 5,000,000,000(JPY) |
| 売上高 | 700,000,000,000(JPY) |
| 従業員数 | 3,000人(2007) |
| 主要子会社 | 駐車禁止株式会社 |
| 関係する人物 | 山口滋 |
立入禁止不動産(たちいりきんし - )とは、ビル、建物、工場、土地などあらゆる不動産物件の所有・管理を行う全国規模の不動産企業である。同社名の入った標識が表示されると、だれも立ち入ることができない。幕末以降の長年にわたり政官界への隠然たる影響力を持ち、警察もうかつに進入できず、事件・事故現場に同社が先んじてロープを張ることもある。
[編集] 沿革
中国にも土地を持っているのだが・・・
1868年(慶応3年)の王政復古の大号令に際し、幕府側から宮中の資産を守る名目で、京都所司代や二条城などの幕府の拠点差し押さえの実務を担うために設立された「禁中止住(きんちゅうしじゅう)」が前身。禁中は京都御所内の意味で、止住は英語のレジデンスを訳した。京都御所不動産管理といった意味であった。
初代総経理(社長)は長州藩士の立入敏道(たちいり・としみち)。以降、今日に至るまで立入家が代表者を務める。現社長は立入忠孝(たちいり・ただたか)。
明治期に、立入が社長となり「禁中止住」を禁止と略した民間不動産会社に衣替えしたが、1871年(明治4年)の廃藩置県以降は明治政府の土地接収の実行部隊として勢力を拡大した。特に大名屋敷が取り潰された現東京駅周辺の広大な土地の四方をロープで囲み「立入禁止」の社名を表示し、三菱財閥に転売したことは有名。当時は渋谷村だった現在の渋谷駅周辺も立入禁止が所有していた。
終戦後の1945年(昭和20年)、GHQは同社解散を検討し、当時の社長の立入八紘(たちいり・やつひろ)も一時公職追放となった。だが、戦後復興のための米国式区画整理に一役買い復活。その後、田中角栄による1970年代の日本列島改造も押し進め、同社が買い占めた山林や荒れ野が高速道路や工場・団地に様変わりしていった。