立川談志

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

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立川 談志(たてかわ だんし)とは、現代落語界における巨人にして、巨+「う」+人、そして、もう少しで死んじまう芸人である。この項目では、簡単な解説と彼のエピソードをつらつらと述べるに留める。

目次

[編集] 人柄

芸人殺しにして芸殺し、化け物でありなおかつ変人、付け加えるならメタクソな腕の持ち主。分かりやすく言うなら「立川談志」。

[編集] エピソード

まず、下記に述べるエピソードについて、その多くが芸人同士の馴れ合いであり、なおかつ多くのウソが含まれるものである。ただし、本当のことも多いため、正直なところ、しっちゃかめっちゃかにならざるを得ないかもしれない。だが、いかんせん、談志であるからには仕方がない。

なお、これらのエピソードは思い出す端から書き込むため、時系列や事柄にまとめる気はまったくなく順不同である。

[編集] その1

彼が当代最高と認める芸人の一人が俳優「森繁久弥」である。ただし、談志が認める100人の「お笑い」芸人のトップに持ってくる段階で、強烈な皮肉である。さらに言うなら、彼自身のランキングではビートたけしは中位に過ぎない。

[編集] その2

第2回M-1グランプリにおいて、ほとんどまったく褒めるということをせず、最高点でも80点、スピードワゴンにいたっては、現在でもM-1最低点である50点をつけるなど、超辛口の審査に場内は震え上がった。そのため、インターネットなどを中心に強烈な反発が上がり、翌年以降、審査員を外されることになる。なお、最高点がますだおかだ&おぎやはぎの80点、あとは70点である。

得点詳細(ウィキペディアより)
コンビ名最終
得票
一回戦
得点計
紳助
松本
大竹
石井
洋七
中田
談志
ますだおかだ 5 612 89 70 92 90 96 95 80
フットボールアワー 2 621 89 85 91 95 94 97 70
笑い飯 0 56786808084848370
おぎやはぎ 56176807979858280
ハリガネロック 54575658381868570
テツandトモ 53976657782799070
スピードワゴン 53573758086868550
ダイノジ 53483607878818470
アメリカザリガニ 52573607878838370

上記のように、強烈に吉本勢の芸にダメ出しを食らわしたため、アマキンを中心に排斥運動が起こるのもいたしかたない。なお、現在のM-1が、吉本勢の馴れ合いと批判されていることは秘密だ。

[編集] その3

談志が絶賛した番組の一つに爆笑オンエアバトルがあり、これほど若手にチャンスを与える番組はないと高評価を与えている。また、初期のチャンピオン大会に審査委員長としても登場したことがあり、自分の気に入った出場者に審査員特別賞を授与している。ちなみに、第1回が底抜けAIR LINE、第2回がラーメンズである。なお、両者ともとんでもないくらいすべっている。底抜けは165キロバトル、ラーメンズは201キロバトルである。

[編集] その4

落語の演目の一つ、「地獄めぐり」の中に登場することの多いことでも知られる。死んだ芸人が地獄の寄席に出演しているというくだりで、入り口に書かれた出演者を読み込む際、まだ死んでいないのに名前を呼ばれ、「あれ?おかしいな、あいつはまだ死んでいないはず・・・何だ、隅っこに小さく『近日来演』って書いてある」というオチに最高に当てはめやすい人格であり、キャラクターである。さらに、春風亭小朝にいたっては、別のネタで「立川談志、死因『天罰』」とまで言ってのけ、会場内の爆笑をかっさらうほどである。つまり、それぐらいに人間的に濃いということである。

[編集] その5

とにもかくにも毒舌がハンパではない。毒舌を通り越して暴言の域まで達することもよくあるが、しかし、「談志だから」の一言で全て済まされる稀有な存在でもある。実際、その暴言で訴えられたこともあるが、はたから見ればいい小ネタを仕入れた程度にしか見えない。むしろ、暴言を訴える程度のレベルで談志に関わろうなんざ100年早え、ぐらいの存在である。現在では。そうでなかった30年前のものすごさとハチャメチャさは、推して知るべし。

現在、youtubeで視聴できるTOKYO MX制作のトーク番組「談志・陳平の言いたい放だい」では、その毒舌を余すところなく堪能できる。ただし、トークの相手が長年の友人であり、一応の良識人である野末陳平であるため、随分と丸くなったとの印象を持つことも多い。あれで。その本性は、嫌いな人間、認めたくない人間のそばに立ったときに発揮される。実際、やしきたかじんの番組に出演したときは、収録中にも関わらず両者でケンカを始めてしまい、やしきたかじんから灰皿を投げつけられている。それでも番組は放送されたが

[編集] その6

西洋音楽史に残る怪物、ヘルベルト・フォン・カラヤンの残した言葉に、「曲が終わった後、聴衆も演奏者も自分も感動しているようでは三流、客と演奏者が感動しているのが二流、客だけ感動しているのが一流」という身もフタもない芸術の真実を語ったものがあるが、まさにそれを地で行くように、聴衆を楽しませて、本人はまったく感情のブレを見せることはしない。そのため、たまにカラヤンの言う客も自分も魂を揺さぶられるような三流の芸をやってしまうようなことがあると、全国紙の記事にすらなる。もっとも、数年に一度しかないからこそ記事になるのだが。

似たような話で歌舞伎の伝説的名優、六代目尾上菊五郎も、その芸の破天荒ぶりは有名であり、観客は彼の芸よりも彼の芸の上での遊びを目当てに見に来たといわれている。もっとも、本気でやったら誰もかなわないと言わしめるほどの実力があったためである。併せて、これまた化け物伝説の域である名人、古今亭志ん生の言に、「本気の芸なんてものは年に2、3回できたらいいほう。毎日やってたらくたびれちまう」などと、これまたどうしようもない真理を語ったものが存在する。

[編集] その7

近年、様々な媒体にて自分の芸は「イリュージョン」だと語っている。本人の言によれば、なにがなんだかわからない、とのことである。ただし、客は何も言わずについていっている。本人もまったく臆せずに自分のやりたいようにやっている。そのため、彼の言うナニガナンダカワカラナイモノを本質、だの、、だの、どうでもいいものとして捕らえて金を稼ぐ連中が煙に巻かれる様が各所で散見される。場合によっては、談志落語について書いた文章を一読しただけで、そいつのお郷が知れるぐらいの怖い題材であるため、近年では、よっぽどの実力のある書き手、もしくは本人以外はまったく文章に落そうとしない。そのくせ、映像によってどんどんファンの裾野とアンチの裾野、両方を増やしていく状況である。

[編集] その8

1965年、29歳にして名著「現代落語論」を執筆し、多くの芸人に影響を与える。なお、その内容はここには記さない。記してはいけない。絶対に。人間の業?なんだいそれは?

とにっかく、お笑いについて一家言あるどころの騒ぎではなく、人間ってえものについての一家言があるんだからたまらない。シャレにならない。というわけで、絶対読むな、分かったな

[編集] その9

まだ二ツ目の時分、持ちネタであった源平盛衰記を八代目桂文楽の「そんなネタをしちゃいけません」の一言で封印されてしまう。当時、名人と言われた桂文楽が言ったことなので、きっと自分のためを思ってのことだろうと訳の分からないままに高座にかけることをやめていたが、後にその理由が明らかになる。何か怒りたかったから

[編集] その10

2008年3月、「立川談志 きょうはまるごと10時間」なるドキュメンタリーをわざわざBs-Hiで放送し、加入していなかったファンを心底嘆かせた。幸い、年末に再編集したものを放送したが、内容は見るからに遺言書渥美清が死ぬ前年に同じようにドキュメンタリーを放送したNHKの前科から考えると、今度こそという気も一瞬考えられたが、ざんねんな・・・ありがたいことに、2009年に喉の手術が成功。うれしいやらうれしいやらうれしいやら・・・まぁ、うれしいやら。憎まれっ子世にはばかるというのは真実である。

[編集] その11

実は、昭和20年3月10日の東京大空襲を経験している。幸い、当時住んでいた多摩川の近辺は爆撃から外れていたが、空襲による死体や負傷者、何よりも凄惨な人間の姿を幼い心に刻み付けている。ただし、それを経験した上で、50年後に「キムジョンイルマンセー!」と叫べることが、談志の談志たる所以である。

[編集] その12

若手のころから積極的に海外の笑いを収集しており、昭和30年代にすでに海外のジョークを仕入れている。また、海外ジョークの古典とされるフランス小咄にも強く、その艶笑話を数多く日本に紹介している。そのため、自らが司会をしてなおかつネタも作った最初の笑点ではきわどいネタが連発。それまでの日本の笑いになかったスタイルがお茶の間に提供されることになる。

(問)酔っ払い運転はどうしていけないのですか?
轢いたときの快感が少ないじゃないか。

[編集] その13

2009年8月、体調不良のため年内の活動を休止するとのニュースが流れ、すわ談志もか!と関係者の多くが色めき立った。口さがない連中は某フラグが立っただの、怪物森繁についに食われただの、神の実在を確信したなどと、色々と楽しい期待をしまくった。しかし、実際は長年患っていた糖尿病に暑気あたりが重なっただけであって、休養も念のために年内一杯を体力回復に当てるという医師の判断によるものだった。なんのことはない、とっくに死亡フラグは立っていた。よって、コロリ往生を迎えるか、それとも嫌われ者として再度世にはばかるかは誰も知らない

[編集] 関連項目