竹簡

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竹簡(ちくかん)とは、古代中国の官吏が携行していた武器である。

概要[編集]

古代中国において、官吏、とりわけ記録を司る官吏ほど命がけであったものはない。彼らの職務は後世に正確な記録を残すことであり、そのためには時の皇帝や有力者に対して都合の悪い事実でも包み隠すことなく記録しなければならなかった。有力者たちはしばしば、自らの名誉を守るために記録を改竄することを求め、応じなければその命を奪うことさえ躊躇しなかった。

有名な逸話がある。春秋時代、斉の崔杼は専横を極め、ついには王を殺した。史官が「崔杼が王を弑した」と書いたので、その史官は殺された。その後、その弟が同じことを書いたので、彼もまた殺された。しかしまた別の弟がこれを記録した。ここにきて崔杼はついに事実の隠蔽を諦めた。この逸話は史官の信念を示すものとして史上著名であるが、彼らの職務が常に死と隣り合わせであったことが知られよう。

こうした迫り来る危険に対する抵抗の手段として、初期には亀の甲羅や青銅器などが用いられていたが、それらは重くがさばり、鈍器のようなものとしての威力は高くても、携帯用の武器としては必ずしも有用ではなかった。これが竹を割って造った細長い板、すなわち竹簡に変化したのも歴史の必然であり、その材質、形状が武器として優れていたからに他ならない。

また類似した武器に木材を使用した木簡があるが、武器としての加工上の利点から中国では竹簡のほうが多く見られた。

威力[編集]

竹簡は攻撃と防御の両面で活躍し、武器だけでなく防具でもあった。

攻撃[編集]

その細長い形状から、敵を叩き、あるいは突き刺すことに適している。ここから、記録を司る官吏のことを刀筆の吏と呼んだのである。刀とは竹簡のことである。片手に筆、もう一方の手に竹簡を握り、文武両道に通じた当時の官吏の姿が想起される。竹簡と刀はイコールであり、竹簡を失った後世の官吏をこのように称するのは、本来であればおかしなことである。

防御[編集]

一見すると、細長い竹簡が防御に役立つとは思われない。しかし、いくつかの竹簡を紐で結び、横に連結すればどうだろう。これを「冊」と呼ぶが、それはもう立派な盾である。これで敵の刃を多少は防ぐことができる。少なくも、敵の攻撃を3回くらいなら防げることから、韋編三絶という言葉が生まれた。さらに普通の際は巻物のように丸めて携行することもできる。場合によってはそれで敵を殴っても良いだろう。

迫害と衰退[編集]

宦官蔡倫による弾圧(後漢時代)[編集]

こうした利点から、官吏の間に竹簡を携行することが秦漢代には一般化していたが、言うまでもなく時の有力者はこの状況を快くは思っていなかった。それでも長い間、権力者たちは彼らの信念を象徴する武器を奪おうとはしなかったのである。しかし後漢時代になり、官僚と宦官の政争が激化すると、ついに宦官たちは先手を打って官僚勢力の力を弱めようと図り、彼らから竹簡を没収しようとした。その急先鋒であったのが、宦官の蔡倫である。彼は竹簡を奪ってその厚さを数十分の一にすれば、さらに利便性が増すと和帝に進言し容れられた。暗愚な和帝は竹簡が武器であることを知らなかったので、蔡倫の言葉にすっかり騙されて官吏弾圧に手を貸してしまったのである。しかし官吏たちも安々と武器を渡すようなことはせず、蔡倫の失脚もありその後すぐに竹簡が絶滅したというわけではなかったが、これ以降竹簡に対する上からの圧力は日に日に大きなものになっていった。党錮の禁のような大規模な官僚弾圧事件は、こうしたことを背景にして起こったのである。

桓玄による弾圧(東晋時代)[編集]

細々と生き残ってきた竹簡が、完全に絶滅に追い込まれたのが、蔡倫から300年ほど経った東晋時代であった。東晋末の混乱に乗じて朝廷の実権を握った桓玄は、この際自分に歯向かう官吏たちを一掃しようと考え、彼らに持っている全ての竹簡を差し出すよう命じた。後漢時代とは違い、強大な軍事力を背景にしたこの要求にはさすがの官吏たちも従わざるを得ず、ここに竹簡の長い歴史は終わりを告げることとなった。

官吏の変化[編集]

後漢から六朝時代にかけ、官吏のうち高官は貴族趣味に走り、現実の問題を離れて清談を好むようになり、下僚はもっぱら上におもねって私服を肥やすようになった。こうして古代にあった官吏の精神は失われ、その文ひとつをとってみても、後の世に「秦漢時代の文章は剛健であり、六朝隋唐の文章は柔弱である」という評を受けることになるのだが、それはまさに彼らが竹簡を奪われていった時代とぴったり一致する。いわば魂を抜かれたように、気概を失った官吏たちは、ただひたすら時代の波に飲まれていくしか無かったのである。

日本の竹簡[編集]

竹がいたるところに生えているにも関わらず、日本では何故か竹簡は発見されていない。代わりに木簡が多数出土している。木簡は中国でも見つかっているが、竹簡のほうが多い。竹のほうが縦に裂きやすく、武器としての加工が簡単だからである。ではなぜ日本で竹簡が見つからないのかというと、加工しないでそのまま竹槍にしてしまう者が大勢居たからである。つまりただの面倒くさがりである。

その他[編集]

  • 実は皇帝も竹簡を持っていた。皇帝の竹簡は威厳を示すため、官吏の竹簡よりちょっとだけ長かった。だが長いぶんあまり実用的ではなかった。
  • 漢の中行説は匈奴に送られた腹いせに、匈奴単于に進言して漢の皇帝の竹簡よりさらに長い竹簡を作らせた。もちろんさらに使いにくかったので、その結果匈奴の軍事力が高まったかどうかは定かではない。
  • 人々に決起を促すという意味の「檄を飛ばす」の檄は木簡の一種である。この言葉の存在からも木簡竹簡が武器であることが理解できる。

関連項目[編集]