糸井嘉男
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
糸井 嘉男(いとい よしお、1981年7月31日 - )とは札幌日本ハムファイターズの外野手。日本のプロ野球選手として、貧打を救うために開発されたサイボーグである。
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[編集] 概要
当初は、大型の投手としての開発を試みられてた。ところが2年の歳月をかけても『変化球および、それらを制球するソフトの開発が難航』したために廃棄される予定だった。そこを研究開発部長による抜本的な製作方針転換で、野手としての再開発にシフトチェンジされた。
2006年頃から、試作品として2軍での様々なテスト課題をクリア。次年度の1軍ロールアウトへの道筋を付けていた。
2007年には、糸井ver.0として1軍デビューを果たす。ところが、早々に初期不良を多発させたため、瞬く間に研究開発部へ送還された。すると、ソフト・ハード両面の改変に手間取ったため、ver.1としての1軍再起動はシーズン末期となった[1]。
開発を続けること4年。2008年になって、サイボーグ糸井はver.2として開幕スタメンを獲得。完成した、かに見えた。
しかし、開発時からハイスペックな能力を要求される以上、稼動部分への負担軽減は不可欠であり、何度も何度も修理改造が繰り返されてきた。だが、能力ゆえの負担は今回のver.2でさえも耐性が追いつかず、わずか数日で故障に診まわれた。
そして改修が終わった後半戦からver.3として頭角を現すと、クライマックスシリーズでは、球場内全ての人間の度肝を抜くレーザービームを見せつける。
2009年、ついに選手として開花。序盤こそ投手の左右により試合でも起用される、緑色の球団マスコットとの併用があったが、対左投手のソフトをアップデートさせた好調の打撃が決め手となった。おかげでスタメンと中堅手の位置を確保。6月には自身プロ初タイトルとなる月間MVPを受賞した。2番や7番での起用が多いが、稲葉篤紀が欠場した際にはクリーンナップを任される。 監督推薦によりオールスターゲームに初出場した。
この年には、終盤になっても首位打者争いを繰り広げたが、残念ながら電池切れ。仙台の小物に惜しくも奪われている。しかし、優勝争いの中心にあったチームにとって、欠かせない戦力として内外に認知されるようにった。
[編集] 選手としての能力
50m5.8秒(50mにおいてプロ野球の計測は曖昧な為、ボールを当ててから一塁までの速さはイチローより速いと言っておこう。) 遠投120m 垂直とび89cm とハイレベルの能力を誇るが、搭載されているリミッターが有効な状態で、コレである。仮にリミッターをオーバーすると、もはや五輪のレベルではなくなる上に、各稼動部への負担が限界を超えてしまう難点を孕んでいる。
上記に見られる身体能力などの優れたハード面で、野球でのプレーの多くをカバーしている。
楽天戦では、センター後方への打球を追って振り向きざまに右手での捕球を試み、成功させている(このとき前進守備からフェンスまで到達している、人間なら到底追いつけないだろう)。
その反面、判断能力や知的能力などのソフト面では基準値を下回る。2死からのフライで、全力のタッチアップをするなど予期せぬ行動を見せるのが、最たる例である。
[編集] 脚注
- ↑ ただし、ver.1も不良だった。もっとも2軍でのテストでは好データを得られており、基本部に問題は無かった。
あとは細部の精度調整と、1軍という悪条件下での耐性向上である。
[編集] 関連項目
- 北海道日本ハムファイターズ
- ダルビッシュ有 投手としての開発に成功していたら、これぐらいを期待されていた。