綾瀬泰造

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

綾瀬 泰造(あやせ たいぞう, ? - 2001年頃) は、日本の哲学者である。東京大学名誉教授。日本学士院会員。文化勲章受章。勲一等瑞宝章受賞。

目次

[編集] 生涯

1920年(大正9年)、埼玉県の農家(代々小作ではない)に生まれた。8歳のころには独我論的な作文を残すなど、既に哲学者としての素養を示し、また、ほかの学業も優秀であった。特に算数では、10歳のとき独自の微積分的な解法を考えたいう。また感情豊かで友人も多く、30年後の小学校の同窓会では、出席者全員が綾瀬泰造の名前を覚えていたといわれている。

東京高等師範学校を経て1943年、東京帝国大学哲学科に入学。世間から遠ざかるように勉強に励んだ。当時の教授は、「私が勧めた本はあっという間に読んでしまうし、しかも彼は英語もドイツ語もフランス語もラテン語もギリシア語もよく出来たので、原書の訳について私のほうが彼の意見を聞いたりすることもあった。とにかく凄まじい天才だった。」と振り返る。

卒業後は埼玉師範学校の哲学専任講師を努めつつ、東京大学大学院で研究生活を送り、1955年、埼玉大学教授となる。

1958年、当時埼玉大学の学生であった吉良治夫の姉、直子と結婚。大恋愛であったといわれる。1962年には長女誕生。

1965年、東京大学教授となる。このころ多くの著作を発表した。1982年、停年退職。

1985年、文化勲章受章。

1988年、孫、綾瀬夕映誕生。初孫の誕生に非常に喜んで、自宅周辺を歩き回っていたところ、警官に職務質問されたが、自らの喜びを雄弁に語った後、その警官も引き込んで孫に会いに行ったという。

1991年、勲一等瑞宝章受賞。

2000年、行方不明になる。そして2001年頃、永眠?したとされる。

[編集] 人物像

眼鏡をかけ、煙草をふかす姿で知られている。孫にとても愛されており、孫は彼の失踪にひどく塞ぎ込んだという。また、哲学者という特殊な性格からか謎が多く、今後の研究が望まれる。

[編集] 思想

彼の言葉、『愛を知らぬ者が本当の強さを手にすることは永遠にないだろう』から分かるように、哲学者としてはわりと素直な部類。・・・というか、今の人間が忘れた「熱血」に再注目しているとも言われる。

[編集] 逸話

埼玉大学教授時代、(先人の)思想(哲学)を学ぶのではなく、自ら哲学をする目的で何名かの学生(および知人)を集めたことがあった。たまたま綾瀬泰造を含めて男4人、女4人であったが、この8人のゼミから偶然にも4組のカップルが生まれている。

[編集] 著書

  • 『夢と愛と哲学』 現代新潮社 1958年
  • 『錯覚ではない愛』 海鳴社 1964年
  • 『時間の錯覚』 講談社現代新書 1971年

[編集] ミレニアム行方不明事件

2000年1月1日、綾瀬泰造は突如行方不明となった。親族が新年の挨拶に訪れたとき、ダイニングには朝食がまだ温かいままに残されており、綾瀬泰造の姿だけが忽然と消えていた。室内に争ったような形跡はなく、リビングに「ちょっと出かけます」とだけ書かれたメモが残されていた。このメモの筆跡は綾瀬泰造のものではなく、おそらく女性のものであることが判明している。 2001年7月4日、綾瀬泰造の死亡を知らせる内容の手紙が届けられ、その証明として彼の指輪が同封されていた。この手紙の筆跡は失踪時に残されていたメモのものと一致していた。警察はこの手紙の差出人が何らかの事情を知っているものとして行方を調べている。

[編集] 関連