緑のダム

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緑のダムとは、「国土総合開発法に規定する特別の様式を持つ施設に関する呼称等を定める法律施行令」(以下、「呼称令」という)に定められた、特別な様式を擁するダムのことである。

概要[編集]

呼称令において、緑のダムとは、「周囲の景観に特別の配慮を行って建造されたアースロックフィルダムのうち、国土交通大臣政令で定めるもの」(呼称令第六条第二項)と定められており、純然とした人工建造物である。

よくある誤解として、「緑のダムというのは自然林の脆弱な保水力を利用したものだから、通常のダムと比べて治水能力は低いものであり、大規模豪雨などが発生しても役に立たない」というものがある。しかし、上述の通り、緑のダムは自然林の保水力等は一切使用していない。したがって、その治水能力は、通常のダムと何ら変わるところはない、むしろ通常のダムよりもより優れた治水力を持っているダムばかりである。このため、「今後は通常のダムの建設は取りやめ、緑のダムのみを建設しよう」と提言する者たちもいる。

歴史[編集]

江戸時代、上野国勢多郡草木村(現・群馬県みどり市)の豪農である「三重 内蔵助」(みえ くらのすけ)が、流木や生活ゴミが多数浮かぶなどして荒れ果てていた溜め池を見て、「このような美観を損ねるものがあればますます世相が暗くなる」と考え、水面の上に木の梁を渡しその上に筵(むしろ)を敷き、それをさらに枯草で覆って、水面を見えなくしたのが始まりと言われている[1][2]

その後かなりの間、三重の溜め池の存在は忘れられていたが、足尾鉱毒事件の発生により、死んだ魚が浮かぶなど、美観を損なう溜め池が再び現れたことをきっかけに、三重の功績が脚光を浴びるようになり、各地で緑のダムが作られるようになった。

ちなみに、三重の故郷である旧草木村を継承する自治体が、平成の大合併に際してその自治体名を「みどり市」としたのは、もちろん、緑のダムの先駆者である三重の功績を称え、それを忘れないようにするためである。

構造[編集]

緑のダムの基本的な構造は、堤体や放流ゲートなど、通常のダムと何ら変わるところはないが、周囲の景観に合わせた、ダムそのものの強度とは全く無関係な、「外装」ともいうべき層、および湖面を覆い隠す「ドーム」が存在することが特徴となっている。これらによって、近代的ななダムとしての性能を備えつつ、周囲の景観を壊さないものとすることが可能となっている。

問題点[編集]

緑のダムが抱える最大の問題は、その建設に際し、大きなコストと時間がかかる点である。そのため、本当に景観に配慮しなければならない場合でなければ建設されない。したがって近年まで、日本国内で実際に建造された緑のダムは数えるほどであったが、田中康夫知事を務めた時代の長野県において、多数の緑のダムが建造されたといわれるが、詳細は不明である。

所在地[編集]

長野県[編集]

長野県には多数の緑のダムが建設されているといわれているが、具体的な場所、建設数などは不明である。その理由は、観光客を幻滅させないよう、その場所が地図にも記されておらず、またその他の文書・インターネットサイト等においても、情報が厳重に秘匿されているからである。あまりにも秘匿が厳重なため、「田中知事の緑のダム大規模建設計画は失敗した」と主張する者さえ現れている。

その他の地域[編集]

  • 両神ダム(丸神の滝)(埼玉県秩父郡小鹿野町)
  • 滑床ダム(雪輪の滝)(愛媛県宇和島市野上)
  • 羅臼湯の沢ダム(羅臼岳)(北海道目梨郡羅臼町) - 日本初の非潜流爆形式の緑のダムである。

なお、これらのダムについても、情報の公開こそ禁止されてないものの、ダムの存在そのものは出来る限り秘匿されており、ダムカードの配布も行われていない。

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脚注[編集]

  1. ^ 「上野国勢多郡三重家文書」(市指定文化財)より
  2. ^ 現在、この溜め池は草木ダムの湖底に沈んでいるといわれており、その存在は確認できない

参考文献[編集]

  • 戸丸国三郎編,『上毛案内記』,三立社,明治42年

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  • ダム便覧 日本中の一般ダムを網羅しているこのサイトにも、緑のダムの情報は記載されていない


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