美水かがみ
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
美水 かがみ(よしみず かがみ,1977年10月7日- )は、埼玉県幸手市出身の漫画家である。2007年において最もヒットした深夜アニメ「らき☆すた」の原作者。同人サークルでは、個人サークル「きまぐれ夜桜屋」代表、合同サークル「muguet paradis side」所属。
臼井儀人と並び、春日部市を「アニメ都市」として知名度を向上させることに大きく貢献した人物である。
性別が氷川へきると同じであることに驚き、萎えるオタク達が増え続けている。
幸手市の某女子高生宅近辺に出没し、アイキャッチとして活躍していたが、現在はさいたま市にねぐらを移した模様。
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[編集] 経歴
[編集] 漫画家となるまで
子供の頃は落書きが好きな少年で、絵を友達同士で描いていたという。
高校進学後は、テニス部に入るも1年で挫折して辞めた。高2になってから、絵のうまい友達が所属しているという理由だけでアニメーション研究部(普通の高校でいうところの漫画研究部)に入った。高3になると急に小学校の教師になりたくなってしまい、教育学部のある大学を目指すことにした。しかし挫折してしまい、マンガ専攻のある専門学校に願書を出すこととなった。でも専門学校には入らなかった。そしてたまたま友人が美少女ゲームメーカーに入って誘われたため、彼はそこに就職することができた。しかし数年後にはそのメーカーを退職した。
以上のように、彼はなんとも飽きっぽいうえ、挫折しやすい青年であった。
その後は同人サークル「きまぐれ夜桜屋」や「muguet paradis side」でつれづれなるままに同人活動をやっていたところ、角川書店のとある編集者に才能を見出され、雑誌「コンプティーク」でちょっとしたカットやホームページのマスコットキャラクターのイラストを担当する。すると、「コンプティークで空きが出来たから、おまえに穴埋めしてもらえないか?」と漫画の依頼を受けるようになる。これが、美水にとっての一世一代のチャンスであった。
[編集] 「らき☆すた」誕生
正直、それまでほとんど名の知られてなければ実績も無い美水に対し、角川書店はほとんど期待していなかった。所詮、次に有力な漫画家が来るまでの穴埋め程度の扱いであり、単行本化の予定も無ければ、ましてアニメ化など絶対にありえないと思われていた。数ヵ月後には美水の漫画も打ち切りにする予定だった。
しかし、美水が見せた「らき☆すた」のネームは担当編集の想像を大きく上回る出来であった。「らき☆すた」は兵庫県高砂市出身のあずまきよひこが記した「あずまんが大王」に感銘を受け、その流儀を模倣して書いたものである。すると「らき☆すた」はコンプティークの読者にたちまち支持されることになり、単行本化もされ、本も大ヒットしていくことになる。これは想像できない事態であった。
今までたいした実績も無かった者が急に大成果をあげる。これが俗に言う確変である。ちなみに、あずまきよひこも「あずまんが大王」を書く前までは、代表作も無ければ単行本化された作品も無かったが、ご存知の通りあの大ヒットである。美水はあずまきよひこの生き方までうまいこと模倣できたのである(注:模倣しようと思っても、才能が無いと出来ないのは言うまでもない)。
[編集] 「らき☆すた」大ヒット
「らき☆すた」は後、角川書店と京都アニメーションの元でアニメ化され、昨今のアンサイクロペディア八百科辞典の項目の中でも、急激に閲覧数が増加した項目とされている。もっとも、これは角川と京都による「ハルヒ系列」に倣った原作改鋳が大きく作用してのことなので、厳密には「様々な作品の手法を混ぜた挙句、大きく注目されるようになった」というべきかもしれない。
いずれにせよ、様々な混合(英語風にいえばblend)や改鋳に耐えうる地盤となる作品を構築したことは、評価して良いだろう。
(10~20年先の)将来は、埼玉県内に「らき☆すたわ~るど」なる(小規模な)テーマパークの建設も、視野に入れているらしい・・・。「印税は、社会への還元」の名目で建設費用に充てるとの事・・・。
[編集] 四大萎官
上述したとおり、美水かがみはメスのような名称だがオスである。
それゆえ古来、女性のような印象を与えやすい男性の漫画家を揶揄する言葉として、「竹本泉、近藤るるる、吉崎観音の三萎官」という表現があったが、現在ではこの人物を加えて四大萎官とする見識も現れている。
[編集] 関連項目
| この記事「美水かがみ」は私からすればよく出来てるよ。でも、キャラへの愛がちょっと足りないかな。この記事に加筆することによって、もっとキャラへの愛を示そうよ。 (Portal:スタブ) |