考える牛

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左が考える牛。格好つけて足組もうとしてるが組めていない。

考える牛(かんがえるうし)とはスペインバルセロナにあるの像。

概要[編集]

「な、何てことだ。私はとんでもない物を発見してしまった。」これからスペインへ旅行に行く人は、バルセロナに行くといい。こんな台詞を口にしてしまうかもしれない。バルセロナには数多くの芸術的な創作物で溢れている。ただ、どんな芸術品も今から紹介するそれと比べたらただのガラクタとしか思えなくなるとんでもない国宝が置かれているのだ。それも公然と。その名も考えるだ。

って考える生き物だよな?現に考える人ってタイトルの銅像がある位だし、他の生き物より頭を使って生活からそんな物があっても良い。しかし、考える牛というのはどうだろうか?そりゃあ牛は哺乳類だし、考える事もあるだろう。でもこの考える牛は人のように腕を組んで座り込みながら何かを考えているのだ。今日はどの時間に草を食べ、クソをして、寝るか。いやそんな他の牛でも思っていそうな単純なことを考えている様子ではない。もっとこう、何か深いものを考えているに違いない。

考える牛・考察[編集]

自らの未来について考えている?[編集]

スペインには牛追い祭りという牛にしてみれば傍迷惑なイベントがある。ひょっとしたら、彼は自分の将来を考えているかもしれない。

私が牛である以上、その生贄とされる日が来てもなんら不思議ではない。今でこそこうやって冷静でいられるが、その日が来たらどうだろうか?湧き上がる観衆、否応無しに増す鼓動、そして遺伝子に刻まれた本能・・・暴れたい衝動を抑えられるはずが無い。暴れたらどんな末路が待っているか・・・私はこのまま滅び行く存在なのか?こうして考えていることは無駄なことなのか?うん、私は考える事ができてもそれを伝える脳ミソが無いから無駄だね。そうとわかったらよ~し、極上オックステールシチューになる前に一暴れだぜ!ヒャッハー!

いやらしい事を考えている?[編集]

生き物にとっては子孫を残す事は自分が生きる事の次に優先すべき物であり、発情期になれば自慰中の中学生並みに頭の中がザ・ワールドとなっているので、大好きなあの娘とどうやったらヤれるかを考えている可能性が高い。そうでもなければ家畜風情が脳をフル回転して物思いに耽るわけがない。

どうしたものか、この有り余る性欲。とはいえ、私はブロンズ像。ここから動けぬ哀れな牛。ああ、霊長類が羨ましい。届きそうで届かない。私の前足は間接の問題でナニに触れる事すら叶わぬ体・・・だが奴らは両手で包み、擦ることができる。妬ましい。は何故全ての生けとし生きる者に平等ではないのだ?自慰由が欲しい!

近くのあの娘に見とれてる?[編集]

バルセロナには考える牛の他にキリンという物がある。そもそも考える牛だって裸じゃねーかと言われれば反論は難しい。しかしこちらとて言い分はある。このキリンは明らかに裸のマハをインスパイア(つまりはパクリ)した物であり、そう呼ばざる得ないのだ。明らかに誘っているというか、この街の人達は明らかに狙っている。上記のように下心丸出しの牛なので、どう落とそうか考えているという可能性も否定できない。

仲間について考えている?[編集]

オリジナルである考える人は地獄の門の上から門をくぐる人を見下す存在であるが、その像のオマージュ(要するにパクリ)である考える牛も同じ見届ける存在ではないだろうか。つまりはこの像、牛達にとっての地獄の門である食肉処理場の入り口の上に飾られる予定で、もう費用掛かるし何より面倒なので街に放置されたと考えられる。何より地獄の門のキャッチフレーズは「この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ」だそうだ。ということはこの像は牛なので、「この門をくぐる牛は一切の希望を捨てよ」となる。まさに食肉処理場に相応しいキャッチフレーズだ。

単に調子が悪いのでは?[編集]

心なしか、牛が疲れているように見えなくは無いだろうか?特に脊髄に異常をきたしていれば、これだけ猫背になるのも頷ける。更には目を見ると、眼球の調子もおかしいとわかる。というより、牛がこんな風に座り込むという事自体がおかしい。き、きっと風邪で頭がどうにかなっているのだろう。だ、断じてBSEとかではないはずだ。

関連項目[編集]

Wikipedia
ウィキペディア専門家気取りたちも「考える牛」については執筆を躊躇しています。そのような快挙を手際よくやりおおせたことは、我らの誇りです。