自分語り

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自分語り(じぶんがた-)とは自己顕示欲の肥大により引き起こされる病気およびそれに伴う発作。筆者がサークル長を務める大学のサークルや、筆者が入試の日に交通事故に遭うもなんとか合格した高校で知りあった友人にもこの病気を患う者が多くいる。

概要[編集]

自己顕示欲は様々な環境要因によって一定に調整されている。しかし、なんらかの理由によりこの調整機構が破綻すると、聞かれてもいないのに自分について語る「自分語り」をしてしまう。自分語りは、外面上の違いはあっても全て自慢に帰結するとされる。 近年は、SNSの発達により、自分語り患者が爆発的に増加し、社会問題となっている。

分類[編集]

自分語りは、以下に挙げられているように、症状によって分類されている。複数の型が併発する場合もある。

自慢型[編集]

最も典型的な型。自分の優れているところや輝かしい経歴の片鱗がうかがえる素晴らしいエピソードについて語る。直接的な表現を取ることが多い。あまりに分かりやすくダイレクトな表現なので、あまり物事を深く考えない団塊世代やDQNしか使わず、近年はやや減少傾向にある。

(例:俺すごくってさー。小さい頃から神童って呼ばれてたんだけど、勉強で苦労したことないんだー)

自虐型[編集]

自分を卑下しているように見えて、実は自慢をしている型。最終的には周囲に不快感を与えやすい。また、それまでの自分の駄目さ加減を過去形とし、説教に反転するタイプも存在する。

(例:俺なんかもう勉強しかできないからさー。まあ一応それなりの大学でたけどさ、もっとちゃんと遊んどくんだったって後悔してるよ。学生時代の俺なんかマジで学力が他の追随を許さないだけのダメ野郎だからさー)

虚言型[編集]

自己顕示欲があまりにも肥大しすぎ、自分の能力、実績と欲求の求める理想像とが乖離した場合に発病する。事実に嘘を混ぜたり、あるいは純粋な嘘を語る。周囲は嘘に気付いていても、本人は気付かれていないと思っている場合が多い。何の根拠もなく自信家かつ多弁な人間に見られる。

(例:俺小さい頃から神童って呼ばれててさー。近所の年寄りに神の生まれ変わりだって拝まれたりしてて。高校の時に全国模試で一位とったりしてさ海外の大学から推薦きたりしたんだけど、家から近い東大に主席で入ったわ)

他人型[編集]

自分の家族、知人、友人についてその凄さを語る。一見自分語りには見えないが、「すごい人と親しい自分はすごい」と自慢しているのである。上記の自慢型が、自慢する相手側の方が上だった場合に発生しやすく、対象者とは実はそれほど仲が良くなかったり、最悪、架空の人物という場合もあり、虚言型に発展するケースもある。

(例:俺の先輩マジで頭良くってさー。受験勉強とかも1日1時間ぐらいしかしてなかったらしいのよ。俺も勉強教えてもらったことあるけどさ、やっぱ頭いい人はちげーわ。同級生には医者とか弁護士になった奴もいるけど今でも連絡取り合ってるよ)

悲劇型[編集]

自分のつらい過去や悲しい経験について語り、同情を誘う型。女性に多く見られる。上記のタイプの中では意外なことにメンタルが強く、どんな状況でもポエムにして説明する心の余裕を持つ。また2、3日で何事も無かったかのように気分をリセットできる図太さを持つ。

(例:親が海外旅行行っちゃって 彼氏からも見捨てられちゃって 友達もときどき信じれなくなるとき多くて 体弱くて そのくせ痩せたいのに太っちゃって もうやだ )

歴史[編集]

自分語りの起源については諸説ある。帝記旧辞天皇家による最古の自分語りとする説もあるが、これらは完全な自分騙りであるとする見方が強く、また現存もしていないため、判断が難しい。

また、土佐日記更級日記などの初期の日記文学を自分語りの起源とする説もあるが、いずれも自慢の要素に欠け、有識者の間でも意見が分かれている。

このような状況から、確認される最古の自分語りは枕草子であるとするのが一般的な見方である。 二百九十九段の記述に自分語りが顕著に見られる。


雪のいと高う降りたるを例ならず御格子まゐりて、炭びつに火おこして、物語などして集まりさぶらうに、「少納言よ、香炉峰の雪いかならむ。」と仰せらるれば、御格子上げさせて、御簾を高く上げたれば、笑はせたまふ。人々も「さることは知り、歌などにさへ歌へど、思ひこそよらざりつれ。なほ、この官の人にはさべきなめり。」と言ふ。 (『枕草子』二百九十九段より)


現代語訳

雪がとても高く積もっていたのに、いつもと違って御格子を下ろして、炭びつに火をつけて皆で話をしていたときのこと。中宮定子様が、「清少納言よ、香炉峰の雪はどうなっているだろうか?とおっしゃるので、私は御格子を上げさせて、御簾を高くあげたところお笑いになられました。周りにいた他の女房も「香炉峰の雪のことは私たちも知っておりますし、歌などに歌うことはありますが、このように御簾を上げようとまでは思いつきませんでした。あなたは定子様のお側につくのにふさわしい人だわ。」とかいわれちゃったよ。かぁーっ!


とあり、自分語りの発作の様子がうかがえる。 しかし清少納言枕草子二十八段において


物うらやみし、身のうへなげき、人のうへいひ、露ばかりの事もゆかしがり、聞かまほしがりて、いひ知らぬをば怨じそしり、又わづかに聞きわたる事をば、われもとより知りたる事のやうに、他人にも語りしらべいふも、いとにくし。(中略) すべてさし出は、童も大人もいとにくし。昔物語などするに、われ知りたりけるは、ふと出でていひくたしなどする、いとにくし。(『枕草子』二十八段より)


現代語訳

自分語りは嫌。大人も子供もみんな嫌。とても嫌。


と述べ、自分語り患者を批判している。これは発病に気づかず自らの自分語りによって他人の自分語りを批判するとい末期段階の症状である。 枕草子には自虐型や他人型など多くの種類の自分語りが見られ、平安時代にはすでに多くのタイプ自分語りが蔓延していたことを示している。

また、鎌倉時代には後深草院二条により、自分語りとの闘病記である「とはずがたり」が記された。誰に問われるでもなく自分の人生を語るという意味の題名からすでに自分語りをしているという恐るべき作品である。

前近代においては、自分語りはある程度の地位にある、語るに足る内容を持つ者の間でしか発病が確認されていなかった。

しかし、現代になり、インターネットが普及すると、自分語りは爆発的な広がりを見せた。掲示板やSNSにおける自分語りを容認する風潮が原因とされる。 これを受け、Twitterfacebookなどの自分語り患者の隔離施設が設けられたが、効果は十分ではない。

社会への影響[編集]

基本的に、自分語りは好まれない。 そのため、患者が自覚症状のないまま、自分語りによって人間関係に支障をきたしてしまうケースが多く存在する。現在でも、自分語りは病気ではなく本人の性格の表れであるという考え方が支配的であり、「自分語り=悪」として排斥される傾向にある。 しかし、いわゆる「おもしろい」自分語りについては容認すべきとの意見もあり、自分語りに対する社会的対応については議論がある。

また、ネット上における自分語りは、特定の危険性がある。とくに長期の自分語りは、特定が容易な上、ヘイトを溜めやすいため、炎上に繋がりかねない。そのような自分語り患者の保護が求められている。

治療法[編集]

発病のメカニズムがはっきりと解明されておらず、特効薬はない。対処療法として「指摘する」というものがあるが、治療のショックによって患者が死亡するケースもあり、安全性が疑問視されている。

おわりに[編集]

自分語りは危険な病である。実は筆者もこの病気にかかっていたのだが、中学時代から7年間連れ添った彼女の支えもあり、克服することができた。今は、逆に自分語りを防止する立場に立たなければならないと思っている。筆者の知人にも自分語りばかりで人の話全く聞かない人がいて、筆者主催の飲み会でみんなから陰口を言われていたりする。だからこそみんなに自分語りの愚かさを筆者自身の過去を交えつつアドバイスするよう心がけている。こういう身近なところから始めることが大切なのである。自分語りを受け止め、向き合うことが大事だと筆者が尊敬している全国模試で一位をとった高校時代の先輩も言っていた。ひとりひとりが自分語りについて考えなければならないと、元自分語り患者で田舎から上京した東京在住の筆者は思う。

関連項目[編集]