自由が丘

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自由が丘(じゆうがおか)は、東京目黒区の一地区。東急東横線東急大井町線の交差する自由が丘駅を中心として発展してきた都市で、強盗慶太東急モデル都市として田園調布と並び称され、トレンドに滅法弱く、事情を知らないだまされやすいおのぼりさんや、田舎者をひきつけてやまない都市として知られている。特に最近では特定の女性利用者が急増し、その筋の人たちからは「スイーツ(笑)が丘」とも呼ばれているようである。

虚栄の市[編集]

この地は、もともと東京府荏原郡衾村字谷畑(とうきょうふえばらぐんふすまむらあざやばた)であり、田畑が広がるのどかな「村」に過ぎず、東急電鉄も近隣にある九品仏から名前を取った「九品仏駅」をこの地に設置しているだけだった。

しかし昭和7年(1932年)、東京府が近隣の町村を合併して大東京にする計画が持ち上がると、虚栄心の強い村民は「村」はイヤだということで、早速新しい地名探しをし始めた。「衾(ふすま)」という名で新駅を作ることになったが、どこでそそのかされたのか、「そんなニワトリのエサみてぇな名前ははずかしい」というわがままから、モボモガをイメージした「自由が丘」に改称することを願い出たのである。

いわゆる「自由主義」が非国民とされる時代の流れの中で、不埒にも「自由」を町の名前に組み込み、歴史ある「衾」の地名を抹殺するということに当局は良い顔をしなかったが、村民たちが「オラたちも、死ぬ前に一度でいいから、ナウなヤングになりてぇし、トレンディにもなりたいんだわ」と一斉に涙を流すのを見て折れたのである。

かくして隣に「田園調布」を敷設することもあって、東急電鉄の五島慶太も「衾村」を「自由が丘」に改称する後押しをし、「衾」の地名はこの地から抹殺されたのである。ここに過去を捨てた虚栄の市「自由が丘」が誕生したのである。

ちなみに東京乃木坂生まれの黒柳徹子は戦争までの一時期、この地にあったトモエ学園に在籍していたことで知られている。彼女のこの時期の記録は『窓際のトットちゃん』にまとめられているが、この地にいた住民にはタマネギ頭をした早口の小娘が、チンドン屋に混じってドンチャンしたとか、ピンポンダッシュしたとか、犬に噛み付いたとか、あっちで悪さこっちで悪さをしたことが山のように知られているだけで、忘れ去りたい単なる黒歴史としか記憶されていないようである。

東洋のアムステルダム[編集]

第二次世界大戦後になると、今まで以上に「村」だったことは、意図的に記憶から葬られるようになり、かつての「村民」もあえてハイソサイエティを気取るようになった。この地に多くの新参者が新居を求めて東急東横線沿線の地価は上昇し、「アプレ・ゲール」の風潮から、やたらと「自由」を気取る若者が増えてきた。自由を気取る若者は、ここ自由が丘を「自由の新天地」と見做し、東京のどの地域よりも大胆な行為に走るようになったのである。

まず不良っぽい格好をする。洋楽を聴き始める。いきがる。学校の授業を馬鹿にする。「因数分解なんて何の役に立つんですか?」。しかしこのままだったらそれは単なる中二病に過ぎない。自由を求めてますます過激な方向へ暴走する若者たち。やがてタバコや酒がマリファナに、不純異性交遊がホモレズバイに、マルクス主義実存主義がハレ・クリシュナ教団の教えに、ヘソ出しファッションがケツ出しファッションに、ボサボサの長髪がモヒカンや逆モヒカンに、ケバい化粧が刺青や鼻ピアス・ヘソピアスに、ボディペインティングが全身白塗り・全身金粉塗りに、ロックやパンクがヒーリングミュージックに、どんどん変化していき、自由になりすぎたのかそれともバカに火がついたのか、そこを見極めるのは難しい。

やがて日本国にありながら、大麻売春ロリコンを認め、外国人参政権も積極的に支援することが決まり、自由が丘はオランダの首都アムステルダム並みに「自由な」都市として認知されるようになったのである。しかしそれには大きな代償がついた。犯罪検挙率は軒並みぐいーんと跳ね上がり、かつては自由が丘学園で知られるように、学問と教養で売っていたこの町が、たちまちDQNNEETの巣窟になり、美しかった町並みは荒れ果て、夜盗と愚連隊がはびこるリアル北斗の拳状態となってしまったのである。この時点でもはやアムステルダムではなく、ヨハネスブルク並みの危険地帯である。「自由が丘」は全国の教育関係者やPTAに指弾され、渡航自粛が呼びかけられた。こうした状況を背景に東急東横線ではこの駅を一時は臨時停車駅まで格下げしようとまで決まりかかっていたのである。

しかし「自由が丘」解放区の時代は長くは続かなかった。サヨク勢力が後退した1970~80年代、隣接する都立大学学芸大学が名前だけ残して地方に移転したあおりもあって、いわゆる「リベラル」派の凋落が始まった。そして地域の安定をはかるため、東急グループと「田園調布」住民が「自由が丘」解放区に最後の攻勢をかけたのである。「田園調布」は「自由が丘」とは隣接するものの水と油のような関係であり、資産家やハイソサイエティが多かったために、極度の自由化を恐れ封殺したのである。かくして1980年代末までには自由が丘のトンデモ「自由」の時代は、パリ・コミューンが潰えるのと同じく、無残に終わったのである。ちなみに自由が丘のこの惨状は「衾」の地名を捨てたことに対する九品仏の祟りだとも言われているが、本当かどうかよく知らない。

ちなみに田園調布と自由が丘はこの件以来、表面上は仲が良い隣接地として互いに信頼し合っているように見えるが、実際のところ両者の仲は険悪なままであるらしく、田園調布側は「けっ、一枚皮剥げばドン百姓のくせに、このプロレタリアが」と思っているし、自由が丘側は「金満ブルジョワ気取ったって所詮は、目黒区でもなく世田谷区でもなく、大田区の住民だろ」とあからさまな敵意を抱いているといわれている。特に田園調布住民は自由が丘住民のことをこっそり「衾住民(ふすまじゅうみん)」と呼んでいるらしい。

ここからスイーツ(笑)が始まる[編集]

住みたい街は自由が丘[編集]

ブルジョワ田園調布文化の浸透によって、自由が丘は1990年代初頭のバブル景気の上昇に首尾よく乗じることが出来た。 服飾・雑貨を売る店やレストランが住宅街のところどころに点在し、洗練された街並みを形成している。また雑誌などのアンケートでは、「住みたい街」として上位に連ねるようにもなったのである。ちなみに駅のロータリー前には「自由の女神」像が置かれ、この街を見渡している。

自由が丘スイーツフォレスト誕生[編集]

しかしこの街にはやはりいつも「自由」への憧れがつきまとっている。もはや麻薬でラリったり、性欲に溺れるといったご時勢ではない。そうは言っても住民の中には、クラックを決めるような欲望がいつも渦巻いている。この渦巻くような欲望を抑えることは難しい。そこで「スイーツ」の登場である。2003年11月21日に開業した自由が丘スイーツフォレストこそは、「麻薬なき時代の麻薬」、すなわち甘味を麻薬のように蔓延させた、その元祖なのである。

自由が丘は昔から竹林の多いところとして知られていたが、21世紀の今日、駅周辺で竹林と思われているのは、実は巨大なサトウキビである。このサトウキビが繁茂して竹林のように思われているが、この林に入るとぷぅ~んと甘い香りが漂ってくるのですぐ分かるはずである。またどうしてだかミツバチの巣があちらこちらにあり、ハニーの匂いもまた同じく漂ってくる。この竹(バンブー)の林(フォレスト)を抜けると、真っ先に目に付くのが、先に述べた自由が丘スイーツフォレストである。またここからも得体の知れない強烈な甘味が我々を襲ってくるのである。

スイーツフォレストの建物は言うなれば、「ヘンゼルとグレーテル」のあやしいお菓子の家のようなものであり、「チャーリーとチョコレート工場」のあやしい工場のようなものである。多分あの建物の外壁から柱から天井から床まで、歯を立てて齧れば、多分美味しく食べられるようであるが、流石にそんなはしたないまねをして従業員にイヤな顔されるだろうことは容易に想像がつくので、良識あるアンサイクロペディアンは、絶対するなよ。

スイーツ (笑)とは何か[編集]

よもや「ヘンゼルとグレーテル」じゃあるまいし、悪い魔女がいるようには見えないが、それでも扉を開けてみると、我々の予想もしなかった、スイーツ女軍団に遭遇して面食らうのである。ここにいるのは腐女子でもなく、セレブリティでも、オシャレ系OLでも、渋谷系ギャルでも、ツンデレでもない、まさしくスイーツ(笑)としか言いようのない女性軍団なのである。しかも悪い魔女以上の存在なのである。

スイーツ (笑)には様々なタイプが存在する。甘味中毒の過食症で肉がたっぷんたっぷんしている女性もいれば、過激なダイエット拒食症を繰り返しながらもジャンキーのように甘味がやめられない者、自分がグルメだとばかりに「どこそこの店のうんたらかんたらの新製品は~」と訳のわからん解説をして悦に入る者、貞子みたいな髪をぼさぼさにして「あたしの生きがいは甘いものしかない、スイーツ食えなきゃ東急に飛び込んでやる」とばかりに孤独を背負って入店する者など多種多様である。そのいずれもが蜜に吸い寄せられるのようにわんさとたむろっているのが、自由が丘スイーツフォレストなのである。スイーツ (笑)に縁遠い者からすれば「自由が丘スイーツフォレスト」でなく、「自由が丘甘味の森」でもいいじゃないかと思うのだが、そんなことを軽々しくスイーツ女軍団の前では言ってはいけない。たちまちのうちに敵意のこもった視線でにらまれ、もしかしたら八つ裂きにされるかもしれない。その意味でスイーツフォレストはまさに聖地であり、神聖なる森なのである。

スイーツフォレストのパティシエたち[編集]

この神域スイーツフォレストではパティシエと呼ばれる菓子職人こそが神である。過去にどんな悪行を重ねようと、無頼と放浪の日々を過ごしていようと、麻薬の注射針痕があろうと、消せない刺青の傷があろうと、ここは自由が丘である。すべての過去はチャラにされ、甘味の腕を磨いた者だけが手に入れられる栄光がある。スイーツフォレスト専属のパティシエになれたら、女性の8割を占めるスイーツ(笑)の心を鷲摑みにしたと考えてよいであろう。すなわちあらゆる女心を弄(もてあそ)ぶことが可能なのである。

その意味でスイーツフォレストの有名パティシエは一流店のホストと同じようなものである。しかもそれがイケメンだったらもうたまらない!ゲヘゲヘにやつきながらヨダレをダラダラ流す女性陣を押さえつけるのは無理であろう。こうしたパティシエが気取ってちょいと店頭に顔を出すと、それこそあまり頭の脳味噌が豊かそうには見えない女性の群れが、日光猿軍団のようにひしめきあい、つんざくような黄色い声でキャーキャーわめいた挙句、このコーフン状態の余り卒倒するという凄まじさである。失神した何人ものスイーツ(笑)に例のパティシエあたりが「大丈夫ですか?」なんて声をかけ抱きかかえると、いい気になったスイーツ(笑)がついついお姫様にでもなった様子で瞳に花を咲かせて「好きにして・・・」口にするらしい。こうしてスイーツ(笑)は蕩(とろ)けていくのである。

スイーツ (笑)とねらーの最終戦争in自由が丘[編集]

2ちゃんねるを中心とするネットでは、こうした自由が丘に集まる女性を、不躾にも「スイーツ(笑)」と名づけ、こうした女性に対する潜在的な不満を呼び起こしてた。一躍「スイーツ(笑)」の語はネット言論を席巻し、ただでさえ関係の悪かったスイーツ(笑)と2ちゃんねらーの衝突を激化させたのである。2007年に入ってから「スイーツ(笑)を生暖かく見守るスレッド」「鬼女板のスイーツ(笑)ってどうよ」「自由が丘でスイーツ(笑)オフ会やろうぜ」といったスレッドが乱立されるのを見て自由が丘に集まる女性陣は態度を硬化させた。そして自由が丘でねらーとスイーツ(笑)の終わりなき戦いが始まったのである。どうでもいいが「和菓子」を「和スイーツ」と言うのだけはやめろ!

関連項目[編集]