芥川賞
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
芥川賞(あくたがわしょう)とは、主に寿命を全うしきらなかった文学愛好者に送られる文学賞の名前である。別に日本いけにえ大賞、もしくは出版社箔付け大賞とも呼ばれている。
これらの行為は一般的には忌避されるべきものであるが、残念ながら、たかが文字の羅列にすぎない文章を文学にするためにはどうしても必要な行為であり、なおかつ、たかが文学に、一種の神性を持たせるためにはどうしても行われなければならない通過儀礼であったため、毎年行われる選考会では、作者自身、もしくは読者を含めての犠牲者の数、さらにはインパクトによって受賞が決められている。
受賞者は自らの命と引き換えに富と名声を一挙に得られる上、近年は運がよければ山田詠美の激しいスキンシップを堪能できる。死ぬ前に死の恐怖を味わえるのだからお得である。
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[編集] 概要
賞の制定時期においては、毎年必ず受賞者が出ていた芥川賞であるが、近年では、受賞者なしという結果もよく見受けられる。これは、単純にノイローゼで死ぬというよりも不況で死ぬ人間だらけになってしまった結果、文学へのいけにえかどうか区別しづらくなったためである。
そのため、昔の作品と現在の作品の質にも大きな差が生まれており、貧乏や差別などで困窮した結果、仕方なくいけにえになるようなプロレタリア系の作品が流行った時代から、最近では、読んでるだけで気が狂ってそのまま電車に飛び込みたくなるような電波系へと順調に移項している。ただし、それらの文学のいけにえ大賞の本場であるロシア文学の寒さ重さ冷酷さに比べると、単なる笑い話である。
「私が一杯のお茶を飲むために、世界はいつでも滅びるべきだ」・・・ドストエフスキー
[編集] 歴代受賞者
過去の著名な受賞者の一覧及び代表的な作品である。
| 氏名及び作品名 | 年号 | 特徴
|
|---|---|---|
| 北村透谷、『人生に相渉るとは何の謂ぞ 』 | 1894年 | 日本文学の初期における代表的ないけにえ |
| 藤村操、『巌頭之感』 | 1903年 | 日本文学とは関係ないが、読者をいけにえにした数についてはとてつもない男 |
| 有島武郎、『生れ出づる悩み』 | 1923年 | 人妻と心中という点で、文学というよりも恋愛へのいけにえである |
| 芥川龍之介、『奉公人の死』、『或阿呆の一生』 | 1927年 | 栄えあるいけにえ第一号 |
| 金子みすゞ、『大漁』 | 1930年 | 大漁のいけにえを祝う文学の裏で、何万もの弔いが行われていることを喝破した人 |
| 太宰治、『人間失格』 | 1948年 | 日本文学史の中で読者を最もいけにえにした男 |
| 田中英光、『オリンポスの果実』 | 1949年 | 太宰の代表的ないけにえ。その熱き血潮を墓石にじかに注いだ |
| 原民喜、『鎮魂歌』 | 1951年 | 原爆を生き延びたのに文学にやられた不運な人 |
| 火野葦平、『糞尿譚』 | 1960年 | 芥川と同じ理由で死んだ以上、賞を受賞しなかったら嘘になる |
| 三島由紀夫、『わが友ヒットラー』 | 1970年 | これもビッグネームだが、文学のいけにえとは言いがたい部分もある |
| 川端康成、『美しい旅』 | 1972年 | 日本文学史における最高のいけにえ |
| 岡真史、『ぼくは12歳』 | 1975年 | 最年少のいけにえとして有名。なお、いけにえになったのは、父親が『生きることの意味』という作品を発表した半年後 |
| 佐藤泰志、『そこのみにて光輝く』 | 1990年 | 新進気鋭の作家ながら、いけにえ未遂を多発するなど、まさにこの賞を受賞する資格に満ちた男 |
| 江藤淳、『海は甦える』 | 1999年 | 近年における最後のビッグネームだが、溺愛した嫁さんの後を追ったため、やはり文学のいけにえとは言いがたい |
| 野沢尚、『殺して、あなた…』 | 2004年 | 作家ではなく脚本家であるが、訳の分からない死というまさに文学向けの生き様であるため、まさに理想的な受賞者である |
| 森村桂、『天国にいちばん近い島』 | 2004年 | 数少ない女性の受賞者 |
| 鷺沢萠、『帰れぬ人びと』 | 2004年 | 若死にした女性作家としては有名だが、残念なことに作品で有名なものがさほどなく、むしろいけにえとしての名声が高い |
| 見沢知廉、『七号病室』 | 2005年 | 存在自体が既にいけにえだったため、あまり文学とは関係していない |
[編集] 続・芥川賞
命長ければ恥多し。1935年から始まった芥川賞は、数多くの文学のいけにえどもを神格化し、ただの文字の羅列によって読者の大事な人生を削り取り、あまつさえ一つしかない命を己の美意識で無残に散らすような行為を正当化してきた。しかし、世の中にはそのような神格化した連中とはまるで逆の、やけに生命力にあふれる文学野郎どもも存在しており、中でも芥川賞の選考者で、変人、なおかつ東京都知事でもある石原慎太郎は、齢70を超えてなお意気盛んで全然死にそうでなく、果たしてお前が芥川賞の選考をしていいのか、という声が多くの(HPが足りない)文学愛好家たちからから上がるほどだった。
しかし、年を経るごとにその感覚は明らかに時代とずれてきていった。そして、1999年に東京都知事になんぞなった時点で完璧にずれた。そして、権力と相対する要素を持つ文学賞の選考に、権力者が就くという笑い話が数年続くことになったが、ついに2003年、自分の権力と生命力を誇示したい石原の猛烈な抗議をよそに、若手からベテランまで10人あまりの作家が新しい選考委員として加わることになった。どこぞの森繁と同じく、同業者の若さと生命力をすすって生きてきた石原の罵詈雑言を聞き流し、新しい選考委員は受賞作をできる限り毎年、無理にでも選定する役割を担うこととなった。石原が「こんなの芥川賞じゃない。たわけ」と、選考の途中に声を限りに叫んだけれど、文学に命をささげる人間の減少はいかんともしがたく、結局、新メンバーでの初の選考が行われた第129回からは、今までのものと区別すべく、「続」をつけて呼ばれることが奨励された。より時代にあった、新しい感覚を持ったいけにえを発見できるメリットがある一方で、前述の「無理にでも誰かに取らせよう」=「ネームバリューがなくても気にするな」という傾向がときに選考委員会を暴走させることがあり、実際、「続・芥川賞」第一回の選考は大いにもめた挙句、史上最低のいけにえを選定してしまう結果となった。討議の途中に石原は本当に帰ってしまうし、ストレスが極限に達した宮本輝と高樹のぶ子は会議そっちのけでそれぞれ勝手にサワガニとカエルを弄び、河野多恵子が不思議な音楽を奏で、村上龍は異様なまでの興奮の中性器を露出するほどだった。最終的に、宮本が火をつけて放したカニが応募作の束に体当たりしてボヤが発生、炎に包まれた中で選考が終了するという凄まじい有様で、これこそが文学の真実と、一部の愛好家が絶賛したが、多くのマスコミが賞の廃止を危惧するほど危険な状況であった。が、結局その後も毎年二回の選考は行われ続ける。
なお、以前とは異なる点として、文学者、作家という枠組みからマンガの作者までを範疇にした結果、ねこぢるやちばあきお、山田花子といった、文学史初期に大変よく見られた生命力を全て作品に吸い取られたような連中を発掘する。これは、いけにえとして宣伝することで、作品の内容はともかく、「実際にやっちまったんだからそれなりに見所があるだろ、おい」と、遺作全てをごり押しして販売、より一層の読者のいけにえ化=作品の神聖化を促しつつ、自社の懐はいつまでも潤うという、まさに一石二鳥、過去の出版社全てが楽しかった時代の再現を狙って行ったものである。
もっとも、それをやりすぎたから文学が廃れていったのだけれど。
[編集] 関連項目
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