苦楽園

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苦楽園(くらくえん)とは西宮市の「七園」(他に甲陽園甲子園 etc.)の中で、最も西に位置する地域。北西部の多くはこれによって占められているといえば過言でない。芦屋市と接していることもあり、高級住宅街としての地位を巡り、六麓荘町と対峙している。

地域概要[編集]

名前は開発者が瓢箪のそれに因んで付けたというが、実際のところは「苦あれば楽あり」という願望に由来するという、結構いい加減なものであったらしい。それは明治期のこと、海岸地域と違って山側は山林ばっかりで開発などなされていなかったのだから、北海道の地名(渇いた大きな川…札幌など)同様に、こんな命名でも筋は通ったのである。

大正11年には阪神グループにより、夙川南部の香櫨園からここまでトロリーバスの敷設計画が立てられた。なぜ鉄道でなくトロリーバスなのかといえば、予算の問題の他、電車の車輪が滑るほどの急坂に問題があったらしい。しかし対抗して阪急甲陽園までの甲陽線を引かれた後、着工されぬまま昭和6年に計画が終了してしまった。現在、そんなわけで七園の中では最も軌道系交通機関に恵まれていない。しかし、ここ苦楽園に来る交通機関が今は阪急バスだけというのも、そう考えると皮肉な話ではある(なおよく誤解されるが、阪急甲陽線の苦楽園口駅は苦楽園への入り口という意味で付けられたのであり、実際の苦楽園とは関係ない位置にある)。

また昭和13年まではこの辺りに温泉があり、苦楽園はホテルなどが立ち並ぶ遊園地として栄えていた。しかし同年の神戸・芦屋・西宮一帯を襲った水属性攻撃…洪水により、壊滅した。そのためやむを得ず、高級住宅地としての整備に方針が変更された。はじめから狙って街を形成した六麓荘町とは、その点で劣勢に立たされている。

中間子理論で昭和24年に日本初のノーベル賞を取った湯川秀樹がかつて在住していたり、平成15年になって突然名を上げた兵庫県立西宮北高等学校の所在地(苦楽園二番町十六)だったりする割には、以上のような経緯もあり、七園の中で最も有名な甲子園などと違って大きく注目されることさえない、哀れな地帯である。やはり安直な命名が悪かったのだろうか。

老松町[編集]

その名のとおり、老けた松がある住宅地。やや大きめな関西スーパーやミニクーペの展示場がある。ネ申だべ。でもひよこ陛下の別荘があるともいわれている。そのせいか、日中一時間に240本走っている苦楽園循環の餌食となり、環境問題が問題になっている。ちなみに、イリオモテヤマネコみたいな野良猫やヤンバルクイナみたいな鳥をよく見るのは気のせいである。

関連項目[編集]