葛西敬之
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
葛西 敬之(かさい よしゆき、1940年10月20日 - )は、東海旅客鉄道(JR東海)の会長。名古屋共和国こと愛知県ではトヨタ自動車の張富士夫(征夷大将軍、現代の徳川家康)と列ぶ権力者と言われており、「現代の豊臣秀吉(関白太政大臣)」と目されている。
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[編集] 国鉄改革
1963年、東京大学法学部を卒業後に日本国有鉄道(国鉄)へ入る。当時から国鉄は労使紛争が激しく、国鉄労働組合や国鉄動力車労働組合が幅を利かせ、鉄道員がヤミ休暇、勤務時間帯の入浴、上への不満があればすぐにストライキ、挙句の果てには飲酒運転や派閥闘争を行うなど、利用者を完全に無視した荒廃状態へ陥っていた。結果、国鉄は自動車と航空機に客を奪われ、25兆円もの債務を抱えて破滅に至った。
葛西は中曽根康弘と同様に、荒廃の中核であった国鉄労働組合を目の敵にして、国労職員を徹底的に排除する構えで改革に乗り出した。そのためならば、少々汚い手でも平気で用いたとされ、これが彼のダーク的側面を強めるにつながっている。
結果、国鉄労働組合は分裂と縮小を起こして少数派へ転落し、輸送の安定を第一とする現在の体制を作り上げた。
[編集] JR東海発足後
本来、紀伊半島の東の付け根を占める愛知県は、西の付け根を占める大阪府と同じくJR西日本のエリアに入るはずだった。しかし、当時の運輸大臣であった疑惑のデパートこと三塚博が、「京都人や大阪人に東海道新幹線を持っていかれたら、ボクチンのお庭(=東京)にいる愛犬(=東京の国会議員・中央官僚・マスコミ・大企業)が弱っちゃうよー!ウワーン、ママー!!」という邪推を振りかざした為、JR東海という存在理由が不明な会社が急遽設立され、紀伊半島のうち三重県の大半(亀山以東と新宮以東)と愛知県は、JR西日本から強引に切り離され、JR東海に入れられた。この悪影響が回りに回って、JR西日本は西暦2005年にエクストリーム・謝罪で優勝したわけだ。
JR東海は「JR倒壊」「JR東海道新幹線」と揶揄される通り、東海道新幹線が地震で倒壊したらそのまま倒壊しそうな鉄道会社である。JR東海が発足すると、葛西は社長に就任した。その後、会長へ転じた。
JR東海では、とにかくトヨタ自動車を真似たような徹底とした合理化、そして名古屋鉄道や日本航空・全日本空輸より客を奪うことを考えていたといわれており、結果として国鉄時代のムダな要素(食堂車、ボックスシートetc.…)は全て削られることになった。スローライフ主義者や、地域間交流を重んじる者が多い鉄道ファンから嫌われるようになった原因がここにあると言われており、名古屋共和国では「短編成填め込み主義で窮屈だ!在来線を何とかしろ!」っていう苦情も出ている(結果として増結はなされた)。
近年では、JR東海は鉄道を趣味とする者を排除しているが、鉄道を趣味とする者は葛西をその首謀者と断定している。
2000年9月11日に濃尾地方を襲った大豪雨の際、無理に列車を走らせたおかげで東海道新幹線の車輌をホテル(缶詰)にした時は、「あれは未曽有の大災害が原因で、正常で適切な運行だった」と釈明し、同年のエクストリーム・謝罪でJR東海が準優勝を得ることに貢献している。なお、彼自身もその新幹線ホテルに乗り合わせていたが、車内にある良い隠れ家(多目的室)に逃げ込んだため、事なきを得た。
現在ではリニア中央新幹線の敷設へ力を注いでおり、アメリカ合衆国にマグレブ式リニアを敷設するというどう見ても無謀な持論を雑誌で述べたこともある。
[編集] 思想
個人的な経験かどうか知らないが、とにかく中国を憎みきっており、それをすべての国民に広げるために、雑誌「Wedge」を創刊し、次に教育面に手をつけるために、トヨタと合弁で少年刑務所「潰瘍学園」を作った。のちに、この施設は福本伸行により異常に誇張されて「人間学園」という名前で作品に登場することとなった。
[編集] 関連項目
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