薩長土肥

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
移動先: 案内検索
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「薩長土肥」の項目を執筆しています。

薩長土肥(さっちょうどひ)とは、かつて日本の先進地域であったが、人材が流出し続けて停滞してしまった江戸時代の四藩の総称。

概要[編集]

薩長土肥とは、江戸時代の薩摩藩・長州藩・肥前藩・土佐藩を指す言葉である。それぞれ現代の鹿児島山口佐賀高知の4県に相当する。いずれの藩も西日本の大藩であり、江戸時代後期に藩政改革や人材登用により国力を蓄え、先進技術の導入に積極的な日本の先進地域であったという点で共通している。そのため、これらの藩は雄藩とも呼ばれた。

ところが、どういうわけか明治時代になると優秀な人材が次々に流出するという事態が発生し、その結果、これらの地域は、日本の中心どころか、九州、中国、四国といったそれぞれの地方の中心都市にすら成長することはなく、例外なく埋没していった。九州では福岡や熊本、中国では岡山や広島、四国では高松や松山に人口でも経済規模でも先を越され、地方の片田舎に甘んじているのが現状である。その一方、中央政界には薩長土肥出身者が勢揃いし、政治に幅を利かせていたが、どんな地域であっても優秀な人間の数などは大して変わらないという事実を、4県の現状は身を持って示すことになってしまったのである。

原因[編集]

原因として、先進地域でなかった他の藩からの有力人材発掘があげられる。薩長土肥はあくまでも氷山の一角にすぎず、日本という地域にはもっともっと沢山の有力者がいた、ということである。雄藩などと褒め称えられたこの四州も、結局人の波に勝てなかったというわけであった。先進技術が伝来すれば、いくらでも人が集まる…悪い意味で、日本は恐ろしい国と言える。

他にも、薩長土肥の力を持つ人がどんどん脱落していったこともある。いい根を放出、結局返ってこなかったという結果は次なる人材の育成を阻んだとも考えられる。しかも問題なのは平家物語でも「猛きものも終には塵と化す」という云われもあり、栄枯盛衰は世の理なのであろう。

関連項目[編集]