藤ヶ谷陽介

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「ああ、ボールが枠内に入っていく・・・」
藤ヶ谷陽介 について、ガンバ大阪サポーター

藤ヶ谷陽介 (ふじがやようすけ) とは、元ガンバ大阪から追い出されて、ジュビロ磐田に行ったが、そこでも追い出されてガンバ大阪に戻ってきた破壊神守護神である。 ロアッソ熊本南雄太とは良きライバルである。

彼らは良きライバルである

来歴[編集]

1999年J2コンサドーレ札幌に入団したあと、U20日本代表とかに選ばれたりとかいろいろあって、2005年にガンバ大阪に移籍した。前年までの守護神であった松代直樹を押しのけて後半戦からレギュラーに定着し、同年のチーム初優勝に貢献した。

その後は松代と押しつ押されつのレギュラーGK争いを繰り広げたが、2009年に松代が根負けして現役を引退したことで勝負は藤ヶ谷に軍配が上がった。以上の通り、藤ヶ谷陽介は強豪ガンバのGK争いに勝利した実に素晴らしいキーパーなのである。

2014年、ガンバでやり残したことは無くなり更なるステップアップのためジュビロ磐田に移籍。八田直樹と激しいポジション争いを繰り広げ 見事開幕スタメンを勝ち取っている。 が、それも最初の数試合のみで、残りの30試合以上は八田に正GKの座を奪われる。 それに業を煮やした彼は磐田に呪いをかけ、それによりムスカがバルスを喰らい失脚。 7733に代わってからはとうとう自力昇格の可能性も潰れ、昇格POでは山の神に決勝ゴールを奪われる結果となり、 ジュビロはまさかのJ2残留を果たす。

その後、来シーズン用の横断幕を地元OB達の支援などで貰い受けた彼であったが、ここで何を血迷ったか突然ガンバ復帰を果たす。 復帰してから1週間程たった後、インドネシアのクラブとの親善試合でさっそくスタメンで出場。 ガンバでの政治力の高さを存分に魅せ付けた。

ガンバ大阪においての藤ヶ谷 (2005~2011)[編集]

もともとガンバ大阪というチームは、たまに3位とかに入るぐらいのかわいいチームであった。藤ヶ谷加入直前の2004年シーズンの総得点(1st、2nd合計)は69点であった。しかし、藤ヶ谷加入後の2005年シーズンの総得点は82点と、飛躍的に上がっている。これは藤ヶ谷が頼りないからなるべく相手に枠内シュートを撃たせないようにしようというチームメイトの努力の結晶などでは決してなく、藤ヶ谷が素晴らしいからであるということを忘れてはならない。以後、藤ヶ谷の力によって、ガンバ大阪は「得点力のクラブ」と言われるようになる。

2012シーズン[編集]

2011シーズンを3位で終えた脚は、10年前から指揮を執っていた西野朗を解雇し、代わりにジョゼ・カルロス・セホーンという「30年で40クラブの指導歴」という肩書き(ということはどう考えても最低10クラブは途中解雇されているということなんだよなぁ)のブラジル人を連れてくるが、第3節に死神の死刑宣告をくらう。ちなみに、この死刑宣告というのはPKだったのだが、これはガンバのディフェンス陣が「ギリギリまでついて行っても結局苦しい体勢とはいえ枠内に撃たれる(=失点)んだからここで止まってオフサイドを取ってもらおう!」というまったく正当な判断をしたのだが副審が応えてくれず、結局まえだくんをふじがやくんがどかーん、と。ぴーっ。


なんだ、結局自分が悪いんじゃないか。


死刑宣告を受け、早くもJ2降格が確定したガンバ大阪は、ブラジル人を解任。元「ミスターガンバ松波正信を召喚する。

藤ヶ谷は不調なチームの中で一人奮闘し、ついに運命の鹿島アントラーズ戦を迎える。

伝説の一戦[編集]

ここでは、その鹿島アントラーズ戦について詳しく見ていく。 ガンバ大阪は松波正信を召喚した後息を吹き返し、直前まで2連勝するなど好調であった。ところが。

どうして

この日の鹿島アントラーズ戦では、後半45分までに4失点とかなり絶望的状況になっていた。そして、ロスタイム。鹿島国の遠藤康が前線の大迫勇也にパスを出すが精度を欠き、ボールはキーパー藤ヶ谷のところへ。

こうなった

ボールをクリアしようとした藤ヶ谷は・・・

どわあああああああああっとぉ!藤ヶ谷のミスになってごぉぅってんめええええええええ!
藤ヶ谷のプレイ について、NHKアナウンサー

この数日後に行われた、韓国・浦項スティーラーズ戦で、新守護神木村敦志が2失点するもPKを止めるなどの大活躍を見せ、その後のリーグ戦でも出番を取って代わるようになったことから、今後リーグ戦での藤ヶ谷の出番は全くなくなると思われた、のだが。

その後[編集]

ある日、練習中にその木村が右踝を骨折、全治6週間と診断される。(この後、年内のリーグ戦で木村がベンチに戻ってくることはなかった。)

どんなキーパーも投げやりになるときはあるのだ

その後も藤ヶ谷はそれまで2点取ったらゼーゼー言っていたコンサドーレ札幌枠内シュートを2本撃たれたもののきっちり2点に抑えるなど、安定した守備を見せたが、最終節、ジュビロ磐田死神小林裕紀にゴールを許して、さらに健在ぶりを見せつけたのであった。なお、最終節、彼は肋骨を骨折したまま試合に強行出場していた。いつ負傷したかは、きれいな心を持つあなたなら想像がつくはずだ。

関連項目[編集]