藤原釜足

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藤原釜足(ふじわらかまたり、本名:安惠 重男、1905年1月15日 - 1985年12月21日)は、昭和の暗君・黒澤天皇の腹心。 武蔵国深川(現東京都江東区)出身。帝の信を得、長く傍で地味に活躍した。 同郷の豪族の娘、サワムラテイヒメを娶るものちに別れている。言っておくが「なまごみのかたまり」などとは絶対に書かない。書かない。

来歴[編集]

googleの画像検索に自分の顔だけがほとんどヒットしないことに怒る釜足

実家は印刷業を営んでいたが振わず、幼いころより奉公する。初等教育を経て就職するが、かねてから関心のあった謡(うたい)の世界への強いあこがれのため満足せず、立身出世を夢見て飛びこむも失敗、やけになって、無謀にもさらなる難関である黒澤朝の官吏登用試験に臨む。高等教育を受けていない彼が優秀な成績であったはずがないが、なぜか落第しなかった。この理由は諸説あるが、当時の試験には天皇自ら行う口頭試問があり、そこで天皇が彼の特性に気付いたことから、特別措置がとられたというのが有力である。

そう、彼には特性があった。顔も声も悪くないにもかかわらず、いまいち押しが足りないというか、目立たないというか、どうしようもなく地味だったのである。しかしかといって「透明人間」ではなく、彼の存在はその場の雰囲気にいささかの影響を与えていた。それが黒澤天皇の気に入ったのである。天皇は彼を敵対勢力に対するスパイとして利用した。釜足はとにかく地味であったため、農民やその辺の通行人のふりをさせるのにはもってこいであった。彼はすぐにその活躍を認められ、側近として置かれるようになる。そこで天皇の寵愛を受け、朝廷の重要書類を数多く取り扱うほか、長く千秋実とともに道化役として活躍する。

また、セーラー服を着たヤクシマルヒロヒメの軽薄かつ後の日本人のフェティッシュに重大な変化をもたらしたテロル大化のカイカン」に連座したこともある。老いてからも「その辺にいそうな爺さん」としてスパイ活動にいそしむが、黒澤天皇の痴呆による度重なる虐政、それにともなう民心の離反などから映画を極めた黒澤朝が陰りを見せ始めると、彼もまたその流れを受けて、いつのまにか、本人もよくわからないうちに失脚した。最期はアルコールに溺れ、昔を懐かしみながら、いかにも江戸が舞台の時代劇のセットといった趣のボロ長屋で、わざとらしく汚い服を着た中年や老年の男女たちの「こーんこーんこんちきしょう、こんこんちきしょう、こんちきしょう」「てれつくつくつく、てれつくつ、てぃーたらてぃーたら、たらりーりー」「小判の雨でも降ればよい」などの囃子を聞きながら、首を吊って果てたと言う。

えっ、短い?いや、これで十分。

死後[編集]

黒澤天皇から「藤原」の姓をたまわったというのは誤りである。正しくは、亜米利加のカルト王国に君臨するジョージ・ルーカス帝より、「C-3PO」の名を贈られたのである。かくして生涯黒澤朝において主役級の活躍を許されなかった釜足は、死後金色に輝き、野沢那智の変な声をあてられ、世界に愛される道化となった。

関連項目[編集]

Wikipedia
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