蘇我馬子

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蘇我馬子
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基本資料
本名 蘇我馬子 
通り名 馬子 
身体情報 特になし 
職業 大臣 
好物 権力 
嫌物 聖徳太子(イカ臭い)
物部守屋(仏教をバカにした) 
出身地 日本 
出没場所 飛鳥 
所属 朝廷
親戚等

蘇我稲目(父)、物部氏娘<物部布都>(嫁)、刀自古郎女(娘)、蘇我蝦夷(息子)、蘇我入鹿(孫)、聖徳太子(息子の不倫相手)

蘇我馬子(そがの うまこ)は、飛鳥時代の豪族・蘇我一族の長であり、日本最古の苦労人でもある。

「調子に乗ってると痛い目会うぞあんた。」
蘇我馬子 について、用明天皇
「あれ?普通の格好だ・・・」
蘇我馬子 について、小野妹子
「お前の孫だろ、なんとかしろよ。」
蘇我馬子 について、山背大兄王
「馬子さん、何勝手にアンケート取ってんの!?」
蘇我馬子 について、聖徳太子
「じいちゃん口臭い」
蘇我馬子 について、秦こころ
「あー、お父さんいたの?」
蘇我馬子 について、刀自古郎女
「仏像は消毒だぁ~!」
蘇我馬子 について、物部氏娘(物部布都
太子の奇行には度々悩まされた。

馬子を苦しめた人々[編集]

後世に書かれた歴史書では蘇我馬子=権力を独占した一族の糞野郎と記述されているが、実際のところ周辺の人間がアレすぎて事実が湾曲させられたといったほうが正しい。その連中の悪行は下記に記したように近年の研究で明らかになっている。

聖徳太子[編集]

当時、世界最強の国であった中国)と交流を持ちより日本を発展させようと『君も勉強のために行ってきなさい。こっちは大丈夫だからさ。でも、皇帝に会うときはちゃんとお風呂に入ってね。臭いと失礼だから』と身だしなみについてきちんと説明したのに、「馬子さんに臭い言われた」と勘違いされた挙句、「日、出づる所の天子、書を日、没する所天子に致す。(われわれ日出ずる国は日没する国の隋と、対等な交流を望むぜ~。ヤッホ~イ。)」という生意気な(妹子いわくしゃれた書き出しの)手紙を書いて外交官小野妹子に渡し、皇帝に提示させるという危険な行動をしでかした。 その時を境に、度々素行に問題が発生するようになった太子にいちいち注意するといった感じが続いたため、後世ではその様子が太子と対立していると勘違いされる原因となったとされる。 近年、論文【東方神霊廟】において太子女性説が提唱され、【日出所の太子】では息子と不倫していたとされており、対立自体は起っていたとも言われている。

小野妹子[編集]

聖徳太子のお目付け役として遣隋使に起用された人物であったが、謁見の際『なんか面白みのない人だな~』と思って適当に流していたところ太子が「馬子さんに臭いと言われたよ~え~ん(泣)」という言葉を真に受け、『太子を泣かすなんて・・・蘇我馬子許すまじ!』と思ったのか遣隋使以降、彼の著書には顔どころか名前すら出てこなくなった。

女の子が泣いていればそういった誤解も起りやすいものである。

息子同様太子と関係が疑われており、彼が一週間仕事をサボって太子のストーカーをしたという記述が彼の著書に残っている。


物部氏娘(物部布都)[編集]

当時の女性の扱い上仕方ないにしても、表記だけでもかなり酷い。 当時物部氏と対立関係にあった蘇我一族であったが、『こんなことをしていたら日本はダメになる。自分が率先して友好の懸け橋にならねば!』と思った馬子さんは仏教をバカにされたことも許し、「お兄さんの妹さんを僕にください!」と守屋氏に頭を下げ、物部一族の彼女を嫁として蘇我一族に招いた。だが、彼女は政治の道具にされたと思い込み、仏像をことあるごとに焼き払うようになった。無論、こんなことがバレれば一族が終わるのは確実だがそれでも馬子さんは彼女を処罰することなくかばい続けた。 結局焼かれた仏像の怨念により精神を病んだ彼女は、自分の一族や兄すらも恨み、馬子さんの優しさにつけこんで物部一族を滅ぼし財産を自分のものにしてしまっている。彼女の死後その財産は蘇我一族のものになったとはいえ、すれ違いというのは悲しいものである。

蘇我入鹿[編集]

父親が太子と不倫していたうえに、祖母が放火魔ビッチであったことが影響しかなり人格的に問題ある人間になってしまった。そんな孫を不憫に思い甘やかしたことでさらにエスカレートした入鹿は父親の不倫相手の息子・山背大兄王を自殺に追い込んだり他の関係者を暗殺するなどの暴挙を繰り返すようになった。結果的に大化の改新でその暴走は止まるが、彼の行為は許されるものではなかったため、後世では彼の行為=蘇我一族そのもののような扱いを受けるようになったといわれる。


関連項目[編集]