親方日の丸

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親方日の丸』(おやかた ひのまる)とは、日本の英雄。

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人物[編集]

経歴は、民明書房刊行の複数の書籍に詳しい。

本名は、山田太郎(やまだ たろう)。通称は、親方(おやかた)、大東亜共栄圏の番人 (だいとうあきょうえいけんのばんにん)、日の丸の復讐者(ひのまるのふくしゅうしゃ)、第二次世界大戦の生ける伝説(だいにじせかいたいせんのいけるでんせつ)など多数。単に「親方」と呼ばれることが多い。人格は極めて高潔である。

その活躍ぶりは、第二次世界大戦終結期の亜米利加大統領にも「OYAKATAがあと10人いたら亜米利加は敗北していただろう」と高く評価された。

彼が、親方日の丸になったのは1941年のことである。身長156cmと、徴兵検査に不合格となるほど貧弱な身体の持ち主だったが、愛国心に駆られて旧日本陸軍の人体実験に自ら志願し、親方日の丸として生まれ変わった。旧日本陸軍が満州で壊滅したため、人体実験の秘密は失われた。

親方日の丸の衣装および覆面は、日本国の国旗が発案元である。頭部には、の印(日本国の国鳥)を使用している。

能力[編集]

親方日の丸は、何等特殊な能力を持っていない。しかし、人体実験の効果で、貧弱な若者から、完璧な日本人へと変貌を遂げた。高い知能を持ち、常人からは超人と見做されるほど強靭、俊敏、機敏、丈夫である。親方は、強い代謝能力を持ち、筋肉の疲労回復の速度が速く、通常の人間を遥かに超える耐久力がある。このため親方は著しい離れ業(1里を1分以下で走る等)が可能である。また、親方が氷漬けのまま長期間仮死状態で生き続けたのもこのためである。親方は病気にかかることもないが、日本酒で酩酊する事も出来ない。親方は豊富な戦闘経験により熟練の戦術家である。親方はまた反射神経や感覚器官もずば抜けて鋭い。親方は七つの殺人技(剣道、柔道、弓道、書道、茶道、華道、香道)を習得している。親方はその超人的な運動能力と組み合わせて、独特の高度な鍼灸や禅を使った戦闘様式を用いる。親方は近接戦闘で相当の能力を持っている。

また、親方は膨大な旧日本軍の知識を持っている。親方はしばしば高度な秘匿事項である防衛省自衛隊公安調査庁内閣情報調査室などの諜報活動に詳しい素振りを見せている。

歴史[編集]

  • 1941年 亜米利加の脅威に対抗するために旧満州国で秘密裏に遂行された人体実験により誕生。以後、連合国と戦う。
  • 1942年 南方作戦に参加し、新嘉坡などを転戦し多大な戦果を挙げる。同年、親方本人の強い希望により陸軍から海軍へ所属替えとなり、太平洋にて戦う。
  • 1944年 南方諸島を転戦したと伝えられるが、記録が焼失した上、親方本人が当時の戦歴を語ろうとしないため詳細は不明。
  • 1945年 終戦を前に、単独、零式艦上戦闘機にて亜米利加への神風攻撃を敢行するも、暗号が解読されていたため、米軍に北極海上で迎撃され撃墜される。そのまま、氷付けの状態で漂流を続け終戦を迎える。このため日本軍の士気は著しく低下した。
  • 1984年 網走の流氷の中から約40年ぶりに発見され、復活する。親方を戦争犯罪人として扱うべきか国内世論は二分されたが、時効として政治的決着が図られる。
  • その後、親方本人は自主的に活動の場を国内の災害救助に限定する。また、護持羅二重尾、愚鈍などの怪獣と戦っている。
  • 2007年 新潟県中越沖地震が発生、柏崎刈羽原子力発電所に向かう。しかし原発火災を阻止することが出来ず、それを恥じた親方は自ら覆面を脱いだ。その後、東京電力に報告へ向かう途中、暗殺者によって至近距離から数発の銃撃を頭部に受ける。病院へ緊急搬送されたが、王大人によって死亡が確認された。

性格[編集]

  • 親方は自他共に認める愛国主義者、民主主義者、人種差別否定論者であり、常にそれに基づいて行動する。
  • 大東亜共栄圏の思想に共鳴していた事は親方本人が認めているが、戦後その思想は撤回し旧陸軍への入隊は誤りだったと告白している。
  • 親方は作戦に関係する範囲で外国語は読むが、話すのは不得手としている。また、片仮名言葉を極端に嫌う傾向がある。
  • 親方は極めて禁欲的で、生涯独身を貫いた。

備考[編集]

  • 親方の日本での知名度は高くはない。
  • 特撮番組『バトルフィーバーJ』のリーダーであるバトルジャパンは、当初の番組企画時には、親方日の丸を基盤にしていた。しかし、親方の人物像に合わないため、この構想は破棄された。

関連項目[編集]