象牙の搭
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
象牙の搭(ぞうげのとう)とは、ここ。 この場所、つまりwebの異称。 又は、ここではないどこか。
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[編集] 概要
一説に古代吉里吉里国文明が発生した当時、ラピュタから吉里吉里人の発展を制御、支配していたレムリアンの遺産ともされる。 その意味ではオーパーツ。
[編集] 発見と歴史
1861年、霊能力者であったデュエム・クワインは、神の啓示を受けてレムリア大陸中央で改築中のハノイの塔に赴く。 塔はレムリアで公共工事の根幹を担う国家事業であり、吉里吉里人達は完成した暁に天へ昇れると信じていたようだ。[要出典]
当時のクワインは祭司見習いに過ぎなかったが、塔が一段移動する度に行われる託宣の際、中央塔の支柱だけ色が異っているのを気にしていた。これは霊能力と共に観察眼にも優れたクワインが、一流の洞察力を持っていた証でもある。何故なら塔は有史以来常に改築が続けられており、吉里吉里人達の感心は専らがいつ改築が終わるのか、つまりは支柱に通された円筒状のパーツが移動を終えるのか、それのみにあったからだ。
彼は啓示を受けてから塔の132枚目の移動祭まで五体倒置をして待ち続けた、と自著『ピエール-我が愛しの伴侶』にはあり、それによれば象牙の搭との関連に気付いたのは祭りの最中だったという。深夜に中央塔の支柱から試料を削り取り、自宅の霊波研究室で解析を行った彼は、三層からなる塗装の被膜下から燐酸カルシウムを発見し、調査論文を発表する。これが後に有名となった『中央塔支柱象牙説』である。
しかしこの論文に吉里吉里人達は全く興味を示さず、事実が認められるには実に400年以上の歳月を要した。
24世紀に入り、クワインが20代に差し掛かった頃、147枚目の移動祭が行われる。そしてこの頃になり、ようやく吉里吉里人達は塔の致命的な欠陥について気付き始める。それは枚数が増えるに従って移動に掛る手間が指数倍的に増え続けるという事で、いつまで経っても改築が終わらないのではないか、と言い出した者がいたのだ。事実、移動祭の間隔は徐々に長くなってきていた。塔のパーツは全部で256枚であり、これは聖なる数で絶対不変とされた。理由はレムリアンが16進数を用いたからとも、バキュラが破壊できると信じて腱鞘炎になった者の呪いだとも言われているが、真偽は定かでない。
吉里吉里人達は大きく三派に分かれ、塔の改築を今まで通り続ける保守穏健派、複数枚の移動を行うべきであると主張する急進改革派、それに支柱の数を増やしてはどうかと唱える混乱至上主義者達で争った。この争いはレムリアと陸続きであったムー帝国、そして大西洋のアトランティスにも飛び火し、塔を中心として4半世紀にも及ぶ戦乱を巻き起こす。
だがクワイン自身は実は余り移動に興味はなく、寧ろ禁忌である解体派と繋がっていたともされる。論文に注目を集められなかった彼はレムリアを出て諸国を放浪し、吉里吉里国に戻った時はまるで浮浪者然の風体だった。蓬髪に臍まで伸びて棚引く山羊鬚、襤褸布の様な外套に身を包み、支柱象牙説を発表した2日後に彼はハノイの塔へ辿り着く。平穏そのものの広場には鳥が歌い、蝶が舞い、花々が咲き乱れている。そびえ立つ塔に近付き、支柱に縋って彼が口づけし、有名な台詞を叫んだのはこの時である。「おまえを信じろ、おまえが信じるオレでもない、オレが信じるおまえでもない、おまえが信じるおまえを信じろ!」
これが後に有名になったデュエム・クワインのベーゼ(接吻)である。 吉里吉里人達が彼を指さして「だからどうしたんってんだべ?」と嘲笑したのは、遠い未来の話であったとされる。
[編集] 塔を巡る人々の争い
教授っ、出番ですよっ♪ ほら…、そこの…、ここを見てる…、あ・な・た・☆ミ
[編集] 関連項目