赤城 (空母)

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畏クモ天皇陛下ハ御自ラ全臣民ノ爲ニ
本項ノ全内容ヲ天覽遊ハサレタリ
Naval Ensign of Japan.svg 大本營認可
本項ノ全文章及全内容ハ完全ニ正シキ事實トシテ大本營ニ依リ認可セラレタリ
全臣民ノ爲ニ畏クモ現人神タル天皇陛下ハ御自ラ本項ニ御目ヲ通サレ給ヘリ
此ノ項目ノ内容ヲ疑フハ現人神タル天皇陛下ヲ疑フト同義ニシテ
誤リタル思想ヲ持ツトセラルヽ場合ハ政治犯思想犯トシテ内亂罪ノ對象トス
「連装砲なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ。」
赤城 について、リオ・マリーニ曹長
Wikipedia
ユーモア欠落症患者のために、ウィキペディア専門家気取りたちが「赤城 (空母)」の項目を執筆しています。

赤城(あかぎ)は、大日本帝国海軍が誇る航空母艦の一隻である。

建造経緯[編集]

建造当時の赤城。

ワシントン条約の締結により、八八艦隊計画艦のうち天城型巡洋戦艦の二番艦から改装された。当初は双子の姉である天城と共に空母になる予定だったが、姉が手術中にナマズの怒りで背骨を骨折し引退を余儀なくされた挙句解剖されたため、急遽従姉妹にあたる加賀が改造手術を受けることになった。

手術結果とその影響[編集]

縦ではなく、横に三段だったら上手くいってたかもしれない。

ジェントルマンとこの先例を元に2年間にわたる手術の結果、赤城は三段の飛行甲板と20サンチ連装砲を2基4門、同単装砲を6門装備する空母として生まれ変わった。しかし、この手術の結果、赤城は空母として様々な問題を抱えることになった。

  • 甲板を三段にすることで通常の3倍の運用能力を得られると思われたが、そんなに世の中単純にできておらず、甲板の長さが足りない上に2段目の連装砲が邪魔になって結局一番上の甲板しか使えない有様[1]だった。
  • そもそも、この20サンチ連装砲は帝国海軍が「どーーーーーーーーーーーーーうしても戦艦が欲しい!」と駄々をこねたために無理矢理くっつけたようなものだったので、仮に付いててもまともに撃てる代物ではなかった(撃った場合、甲板=皮膚が爆風で吹き飛ぶ)。

結局、赤城は同じく三段甲板・邪魔な連装砲・さらに長すぎて暑苦しいポニーテールという欠陥を持つ加賀と共に、再手術を受けることになった。

そんなに戦艦と航空母艦が欲しいのなら、上の方法の他にもこういう手があったのに・・・

再手術と初恋[編集]

再手術により、赤城と加賀は生まれ変わった。そこには戦艦の面影など何処にもない、画体のよい文字通り飛行機のための箱と化した2人の姿があった。この頃になると、2人は互いの境遇や姿がよく似ている(唯一、頭が左右どちらに付いているかが見分ける方法だった)ということもあり、心引かれるものがあったようである(実際、上海事変に加賀が出動したときは、赤城は一人きりである寂しさから3年間も造船所に引きこもってしまった)。そして再手術の終わった赤城と上海尻餅をついて怪我した後のリハビリが終わった加賀は、その後何処に行くのも一緒であった、そして死ぬのも。

栄光、そしてその死[編集]

1941年、帝国海軍はついに鬼畜米英に一矢報いることを決定。年上だが、一人っ子で虚弱体質の鳳翔・龍譲を差し置いて、いとこ同士で仲の良い赤城と加賀をはじめとする6隻の従姉妹・双子の空母たちをハワイに送り込み、真珠湾を壊滅させることに成功した。

ところが、その直後に加賀がまた尻餅をついて負傷。加賀だけが内地に戻り、赤城が単身インド洋に向かった。この時の赤城の悲しみはさぞ大きなものであっただろう(実際、セイロン沖海戦では他の空母の爆撃機が10~20発の爆弾を投下しているのに対して、赤城の爆撃機はたったの2発しか爆弾を投下していない)。だがセイロン沖海戦の後、赤城は内地に凱旋。再開を果たした2人はその夜激しく検閲により削除

1942年5月27日、赤城と加賀、そして双子である蒼龍・飛龍は日本を出発。こともあろうに神国日本の上空をやすやすと敵機が散歩するという事態を打破すべく、一路ミッドウェwwwに向かった。だが、この時臆病な鬼畜米英は空母が三兄弟しかいないことを憂い、帝国海軍を徹底的にストーキングして彼らの動きを把握した上に、巡洋艦「利根」の偵察機が面倒くさがった上に、「空母っぽいものがいるようないないような・・・」という中途半端な報告をしてきたせいで、6月5日、三兄弟に気づくのに遅れた4隻は三兄弟の放った爆撃機の猛襲を受けた。

この攻撃で加賀の燃料車が爆発を起こして首が吹き飛び、赤城も蒼龍と共に積んでいた爆弾・魚雷が誘爆して火だるまになった。午後4時、従姉妹にして最愛の恋人である加賀はガソリンタンクが引火して内臓破裂で壮絶な最期を遂げた。ところが赤城は「死ぬときは一緒」だったにも拘らず、偉人だけどどうすごいかが分からない丸坊主放置プレイにしたせいで火傷が進行、結局一人反撃をしていた飛龍がもう無理ぽと気づくなり「膾炙しろ」の号令で、火傷でのた打ち回っている赤城を味方駆逐艦が魚雷で膾炙。翌6月6日午前5時、赤城は加賀の待つ海底へと沈んでいった。

命に代えてでも妹を守り抜こうとしたシスコン漢の末路。これも赤城の死があってこそである。

この作戦で4隻の優秀な従姉妹と双子を失った帝国海軍は、彼らのクローンを作るべく雲龍型の建造に着手するが、オリジナルに選ばれたのは蒼龍・飛龍のほうだった。加賀・赤城の死をリハビリ中の日本で知った瑞鶴・翔鶴は大いに悲しみ、特に翔鶴は双子のである瑞鶴をなんとしてでも守り抜くことを心に誓ったのである(事実、翔鶴はマリアナ諸島で戦死するまで瑞鶴への仕打ちを全部一人で受け止めている)。

頭の固い人々の辞典での「赤城」[編集]

さて、この記事はウィキペディアに於いて、外部サイトからの「喪前ら朴理だろ」との指摘[1]を受けて一度消された経緯のある項目である赤城 (空母)[2]に対する壮大なる皮肉でもある。

事実を並べると似通ってくる一例である。指摘した該当サイトの文献を見る限り、該当サイト側方も使用した資料を明記していない。明記していない以上完全なオリジナルだという証明は不可能であるし、仮に出来たとしてもデータや事例など、過去に出版された書物からの幾らでも引用に可能であるため、説明文に対してそれが完全なオリジナルであると証明することは到底不可能である。その点を突いてウィキ側も「オマエモナー」とか「喪前こそ朴理やろ(ニヤソ)」と切り返しのつっこみをくらいのユーモアのセンスと度量も欲しかったがそうしないウィキ側に後ろめたさを肌で感じることが出来る。

因みに、一般的に知られる客観的(といわれる)事実のみを一部抜粋して列挙すると以下の通り。

  • ワシントン条約によって空母に改装された天城型巡洋戦艦の一隻であること。(『日本の航空母艦』、『連合艦隊艦戦ガイド』等複数)
  • 竣工時、三段空母であったこと(同上)
  • 最上甲板以外本来の飛行甲板としては使用されなかったこと。(同上)
  • 昭和10年10月-13年8月の期間、佐世保工廠で改装されて一段甲板に改装されたこと。(同上)
  • その際左舷中央に島型の艦橋を増設したが使い勝手も悪く評判が悪かったこと(同上)
  • 開戦時第一航空艦隊(南雲忠一司令長官麾下)の旗艦であったこと。(『艦船名鑑』等複数)
  • 真珠湾、インド洋、ミッドウェーなど太平洋戦争(大東亜戦争)初期の主要な艦隊航空戦に参加したこと。(『連合艦隊艦戦ガイド』等複数)
  • 初期の航空戦で奮戦しその艦載機は戦艦を含む複数の艦船を撃沈するなど大きな戦果を得たこと。(『連合艦隊艦戦ガイド』等複数)
  • ミッドウェー海戦において指揮の不備によって大破喪失したこと。(『海戦ガイド』等複数)

などがある。 勿論、当方が用意した市販されている一般的な書籍(二次資料)に基づくものであり、該当サイトの内容には一切依存していないことを証明するため引用元を敢えて列挙した。

これによって以下のことが再確認された。

  • 著作権とはそれを主張しだした者の得る既得権であること。
  • それが必ずしも主張者オリジナルで無くともそうであるとこじつけて証明できれば既得権益を受けられること。
  • このことによってウィキペディアの存在としての矛盾が露呈したこと。

脚注[編集]

  1. ^ まあ、中段甲板はそもそも飛行甲板じゃないんだが

関連項目[編集]

みなさん、松平です。 この項目「赤城 (空母)」は、日本史に関連した企画書ですが放送日が迫っています。アンサイクロペディアではその時でないのに歴史が松平アナを動かす! (Portal:スタブ)