赤壁の戦い

出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』

「この戦いに勝てば我が代で天下統一出来たものを・・・。」
~ 赤壁の戦い について、曹孟徳
「この戦いはわしらの勝ちだな。」
~ 赤壁の戦い について、劉玄徳
「臣、亮が申し上げます。私が見事東南の風を吹かせましょう。」
~ 赤壁の戦い について、諸葛亮
「でも、急に炎が出たので。」
~ 赤壁の戦い について、柳沢敦
「曹操、孫権、楽しそうだからオレもまぜろ!」
~ 赤壁の戦い について、呂布
「お前らは何もしてないだろうが!この戦いに勝ったのは私のおかげだ!!」
~ 劉備主従 について、周瑜

赤壁の戦い(せきへきのたたかい) とは、三国志における最大にして最も悲惨な戦いである。 曹操軍100万、孫権軍とおまけの劉備軍との連合軍90万、合計190万人が入り乱れて行なわれたパーティーである。


目次

[編集] 概要

最初はトマトの投げつけあいから始まった。

投げられて命中したトマト、標的から外れた流れトマト、そして特に船に慣れていなかった曹操の軍勢では、船酔いに苦しむ兵士たちが食ったばかりのトマトの真っ赤なゲロを吐きまくったことによって、流域一帯の崖、民家、船、馬、その辺のものが真っ赤に染め上がった。

また一部の集団では早くも赤いロウソクを使ったセレモニーに突入しているところもあり、さらに真っ赤になっていった。

また、この190万人の中には慣れていない人はじめても多くいたためごく少数だが血液による汚染も存在した。

当時の大陸の人口は約500万人程度だったとされるが翌年にはいきなり800万人と急に増大したという。

終了後、あたり一面が投げつけられたトマトの残骸、解けたロウソクと少数の血液によって赤い壁と化したことから、このパーティーは後世から「赤壁の戦い」と名づけられることとなる。


[編集] 周瑜の水上キャンプファイヤー

このパーティーのクライマックスは孫権軍の総大将であった周瑜の火を使ったセレモニーであろう。

もとより身体が弱いくせに酒好きな周瑜は、充満するトマトの臭気に当てられてすっかり酔っぱらってしまい、パーティーの演出を担当した男の名を挙げて

「奇才っ! ジョン・ウーに捧(ぐ)っ!」

とか叫びつつ、曹操の船団に手榴弾を投げつけてしまった。

ここから出た火は、折りしも東南の風が吹く様に祈祷を行っていた諸葛亮のせいで風に乗って広がり、傍迷惑にも曹操の大船団を灰燼に帰した。

周瑜が三国時代の放火魔の仇名を奉られるのは、この後である。


なお、一説では、周瑜が酔っぱらっていた頃、どこからともなく(たぶんワイヤーで宙づりになった呂布が現れ、火事場は大混乱。 彼が曹操と孫権の顔面に直撃させたトマトで、ふたりが死にそうになったという。


あわや火達磨になりかけた曹操だったが、張遼

ヤマダァアアアア

の叫び声で火を消しとめ、辛くも危機を脱した。

たまたま呂布ちゃんが浴びせたトマトの水分が火消しの役に立ったことは禁則事項です


[編集] 劉備主従の活躍

え? 劉備たちが出てこないって?

何もしてないもん。


[編集] 戦後

何もしなかったにも関わらず、曹操という脅威をとりあえず消し去り背後の安全を確保したタヌキ主従は、礼もそこそこに孫権の元を出奔。

蜀の地を占領すると、恩知らずにも共に戦った呉と、ついでに曹操の魏の双方に喧嘩を売り、

偽・誤・蝕

の三国鼎立が生じることになる。


なお、漢字の誤変換については、お察し下さい。


[編集] 関連項目


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