足利義晴
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足利 義晴(あしかが よしはる)(1511年~1550年)は、室町幕府の第12代将軍。11代将軍足利義澄の嫡男。13代将軍足利義輝、15代将軍足利義昭の父。
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[編集] 人物
足利将軍の中でマイナーの部類ではあるが、仁義に厚い性格故に戦国史愛好家の脳内修行と度重なる激戦を潜り抜けてきた事で歴代足利将軍2位の実力を得た。更に複数の人物に武術を教え、「晴」の字を与える等、幕府の再興に努めており、このやり方は義輝にも受け継がれている。
[編集] 生涯
1511年3月5日、足利義澄の次男として生まれるが、生後三ヶ月で父を失った為、赤松義村に育てられた。1521年、父義澄の宿敵である10代将軍足利義稙が管領の細川高国と対立し、高国に擁立されて将軍となる。その後、義稙を四国に追放し、殺害する。1526年、高国と対立していた細川晴元が、義晴の兄弟で義稙の養子足利義維を擁立、23年に亘る激闘を繰り広げた。その間に義晴は弟子達を側近集団として再編成する事で諸大名の統制を図ったり、近衛家の慶寿院と結婚して公武合体を行ったりする等、将軍権威の回復に努める。嫡男義輝に将軍職を譲って後見人となり、1549年に晴元と和解するが、幕府内の権力闘争に巻き込まれ、追放される。1550年、滋賀県にて死去。
[編集] 義晴の弟子
[編集] 義晴語録
- 「こんな世間、絶ッ対に変えてやる!」
- 源氏再興を決意した時の台詞
- 「知ーらねー、大事な猫なら自力で探せよ!」
- 兄弟の義維の飼い猫が居なくなった時に
- 「まさか義村の馬の背中に全裸記念絵を描いた事がバレたのでは…?」
- 義村から呼び出しを受けた時に
- 「これが、俺の命を懸けた戦いの始まり…」
- 将軍に推された時に
- 「足利を立て直すには、恐れず前へ踏み出すしかない」
- 再起を決意した時の台詞
- 「もう尽きた。何も出来ない自分を慰める言い訳が尽きた」
- 追放時にて
- 「晴元、テメェは何故、最低の場所に俺を飛ばす?」
- 同じく追放時にて
- 「泣くなよ。約束通り帰ってきたろ」
- 京都に帰還した時に妻慶寿院に向かって
- 「今度はお前が幕府の盾になるんだ」
- 息子義輝に将軍職を譲った時
- 「心配するな。俺とお前が組めば、負けやしない」
- 六角定頼と合流した時に
- 「あいつら、絶ッ対に許さねぇ!!」
- 細川高国の戦死を聞いて
- 「あいつを助けたいのはお前だけじゃないんだぜ」
- 甥足利義栄が義維の助命を頼んだ時に
- 「お前が死にそうになっているのは馬鹿でも分かる」
- 出産直前の慶寿院にて
- 「お前は天才だ~!!」
- 狩りを成功させた嫡男義輝に対して