足利義澄

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足利 義澄(あしかが よしずみ)とは、室町幕府11代将軍。彼の前と後を務めた将軍が、同じ足利義稙(義材)であったため、サンドイッチ将軍と呼ばれている。

人物[編集]

9代将軍足利義尚が若くして陣没したため、当時の政治のブレーンであった日野富子細川政元らは協議して、次の将軍を誰にするか熟考した。そしてその結果、足利義政の弟義視の子である足利義材を将軍に擁立することが合意により決まった。

しかし富子は、義材を忌避していた。義材の父である義視は、富子の子義尚と将軍の座を巡り争い、応仁の乱を起こした敵であり、富子にとっては「戦犯」であった。富子は義材を追い落とそうと画策し、対抗馬として白羽の矢を立てたのがが義澄である。

富子は細川政元と結託して義材を放逐し、義澄を擁立した。かくして11代将軍に目出度く就任した義澄だが、傀儡同然で、実権は細川政元に掌握されていた。この細川政元という男は常軌を逸した気違い、変人として界隈では有名であり、少年の頃から「札付き」として悪名が高かった。怪しげな修験道に耽溺し、周囲の人物にも修験道を強要した。またガチホモであり、自分好みの男を見つければ見境なく手を出してケツを掘った。将軍義澄でさえもその例外ではなかった。

政元から日々怪しげな修験道の講釈を聞かされ、夜な夜な夜這いされてはケツを掘られる地獄の日々、将軍として政治を主導しようにも一切の政務は政元に掌握されている。加えて応仁の乱後の混迷で京都の治安は極度に悪化し、将軍の御所に度々野党が押し入る始末。義澄は日々怯えた生活をしていた。

前述の通り政元はガチホモだったため、跡継ぎが出来なかった。これを憂慮した義澄が結婚して家庭を持つ事を打診したところ、「子が出来ないのなら養子を作ればいいじゃない」と言って、寵愛していた小姓の一人を養子にしてしまった。これが細川澄之である。あまりに唐突な行動に義澄は面食らってしまったが、政元に逆らうと後が怖いので、 表向きは黙認した。

この時代、男色は普遍化しており、義澄も嗜み、小姓を侍らせていた。ところが、男漁りに余念のない政元は、義澄の小姓に目をつけ、養子にするという名目で強奪した。義澄は憤慨したが、最早どうする事もできなかった。政元が義澄から強奪し、養子としたこの小姓が、後の細川澄元である。

かくして、政元には澄之と澄元、二人の養子が存在することとなった。当然、二人の間で家督を巡り内訌が生じた。特に澄之の方は政元を踏襲したかのような矯激、苛烈なDQNであり、DQN仲間の香西元長薬師寺長忠と結託してついには政元がサウナで寛いでいた所に闇討ちを仕掛けて暗殺してしまった。しかし、粗暴な澄之や香西元長は敵も多い嫌われ者で、政権を掌握してから程なくして、反澄之勢力を糾合した澄元らに滅ぼされた。ところがその澄元も、台頭してきた別の細川一族である細川高国との駆け引きに敗れて京都を追われ、京都の支配者は著しく隆替した。

この間、義澄が何かしていたのかと言うと、何もしていない。ただ御所の奥でガタガタ震えて命乞いしてただけである。

血なまぐさい騒擾に怯えていた義澄だが、自分の将軍職だけは安泰だと思っていたらしい。だがそれはとんだ勘違いであった。かつて細川政元らが自分を擁立する際に追い出した前将軍の義材が、西国の大大名大内義興の後ろ盾を得て西から迫っていたのである。義材などとっくにのたれ死んでいるに違いないと思い込んでいた義澄は戦慄、狼狽し、細川高国に泣きついた。高国は義澄のあまりの醜態に辟易し、彼を見捨てる事を決意した。

艱難辛苦の日々を過ごした義材は、様々な経験を積み人間として一回り大きくなっていた。大内義興の指南を受け、息子も2倍の長さになっていたらしい。

京都を掌握していた高国は、初め義澄を支持すると見せかけて、義材側に鞍替えし、義興と結託して義澄を放逐した。西国で豊富な経験を積み成長した義材と京都に引き篭もりっぱなしで政元や澄之の傀儡に甘んじていた義澄を天秤に掛け、義澄の「御しやすさ」を考慮しても彼は将軍に相応しくないと高国は烙印を押したのだ。

京都を追われた義澄は各地を放浪しながらも、同じく追われた細川澄元や三好之長と共に捲土重来を期しており、船岡山の合戦に及んで政権を奪い返そうとした。しかしこの肝心なときに義澄は突如発病してしまい、そのまま帰らぬ人となった。旗頭を喪失したことで澄元の軍勢は士気が低下し、算を乱して潰走した。復権への道が絶望的になった澄元はショックで間もなく病没、一人残された三好之長は追い詰められて最後は戦死した。之長は死ぬ間際に義澄に怨嗟の言葉を吐き散らしたという。

石原良純との関連性[編集]

名前が同じ「よしずみ」であるため、石原良純と無理矢理牽強付会させようとする馬鹿がいるが、石原良純との共通点は「凡庸であること」くらいしかない。そもそも、無能な傀儡将軍であるとは言え過酷な時代に翻弄されながらも将軍を(一応)全うした足利義澄と、明日の天気すらろくに当てられないヘボ予報士の石原良純を混同するのは、足利義澄に対する冒涜である。

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