車輪の下
出典: へっぽこ実験ウィキ『八百科事典(アンサイクロペディア)』
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車輪の下(-しゃりんのした)とは、ノーベル文学賞受賞者であるヘルマン=ヘッセが書いた小説であり、れっきとした純文学である。なお、この書は「教育界の禁断の書」とも言われ学校組織の暗黒面を余すところ無く記載していることから、PTAから悪書指定を受けて何度も焚書された曰く付きの本である。
純文学であることから、時々この本で読書感想文を提出する厨房や工房がいるが、よほど感想文の書き方を工夫しないと即親呼び出しになり、泣いたり笑ったり出来なくされるので、やめとくのが吉。
目次 |
[編集] あらすじ
主人公ハンスは、反日団体の活動家である父親により、地上の楽園とだまされて侮日記者養成学校に放りこまれるが、そこはやはり地上の楽園であった。早朝から深夜まで続けられる反日教育と、鬼教官ハートマンからの叱責、連帯責任による懲罰、いじめといった壮絶な毎日であった。
最初、ハンスはなんとかその反日教育について行き、反日の闘志となりかけるが、逸般人であるハイルナーと友人になったのが幸い、教師からは懲罰の対象に、同級生からはいじめの格好の的となった。しかも、ハイルナーはさっさと脱走し、ハンスだけが取り残されたが、一応真人間のハンスがその環境に耐えられるはずもなく、鬱を発症し、自宅警備員となった。
ハンス自身、さすがに自宅警備員のままではまずいと感じたのか、心機一転都内の某企業に就職、とりあえず会社の仲間ともなんとかやっていけると感じたが、これまでのストレスから歓送迎会で酒を飲み過ぎ、中央線のホームから誤って転落、そのまま中央線にグモッチュイーンとなり、帰らぬ人となった。
ちなみに、父親は息子の死の知らせを聞くまで、帰りの遅い息子に加える拷問法を考えていたが、息子の死を知り、自分の誤りに気づき総武線に飛び込み自殺をした。
[編集] この本の正しい読書感想文
上記のとおり、当書には、学校関係者にとってはきわめて都合の悪い内容が記載されていることから、どうしてもこの本で読書感想文を書きたいのならば、学校関係者にとって都合の悪いハンスとハイルナーを徹底的にこき下ろすことだ。さもないとじっくりかわいがられる。
下に、この本における学校に提出しても大丈夫な感想文の例を示しておくので、参考にされたい。なお、そのままパクった場合、大量に同じ文章がコンクールに出品されてパクリがバレ、先公によってクビ切り落としてクソ流し込まれるだけなので、やめておくことをオススメする。
[編集] 学校に提出しても大丈夫な感想文の例
- 「車輪の下」を読んで 三年B組 山田 ポン助
- 私は、この本を読んで、正直なところふつふつとわき上がってくる怒りの感情を押さえることが出来なかった。
- 何に対する怒りか?それは、ハンスとハイルナーに対する怒りである。
- まず、ハイルナーだが、彼は親の金で学校に通わせてもらい、大切なことを勉強させてもらっているにもかかわらず、その大恩を仇で返し、脇道にそれ遊び惚けていた。それ自体許されないことであると思うが、さらに私がひどいと思ったのは、あまつさえ自分だけが脇道にそれる勇気も無いために赤の他人であるハンスまで巻き込んだことである。これは、自分だけでなく他人をも道連れにするという言語同断の行いであり、彼が放校処分になったのも当然だと思った。
- 次に、本作の主人公であるハンス。彼も善人面をしているが、結局の所誘惑に弱いだけの男だと思った。父親は、生活の苦しいなかハンスにだけはつらい思いをさせたくないと学費を出してくれているにもかかわらず、ハンスは愚かなハイルナーの甘言にだまされ、ともに悪の道へ進んでしまったのだ。そのような意志薄弱な者は、人の上に立つ仕事に就く資格は無いと思うが、彼の意志薄弱さにも怒りを感じた。
- そして、それだけではない。私自身に対する怒りもこみ上げて来た。というのも、私自身の中にも彼らのような弱い心はあるからだ。たとえば、寄り道はいけないことにも関わらず、つい寄り道をして遊んでしまう。しかも、自分一人だけならまだしも友達まで誘ってしまう。また逆に、友達からピンポンダッシュに誘われたとき断り切れない自分がいることだ。そして、勉強しないといけないとわかりつつアニメを見てしまったり、つい漫画を読みたくなってしまうこともある。「ついこれくらい」という言葉。つい出てしまう言葉である。
- 私自身、自分には甘いので、「ついこれくらい」と思ってしまうが、それが実は身の破滅である。最近、某力士が大麻で逮捕されたが、この力士も、「ついこれくらい」が重なり、最初は稽古を少しさぼるだけだったのが果ては大麻に手を出してしまい、臭い飯を喰うこととなったのだ。だから、「ついこれくらい」という言葉に負けてしまったハンスとハイルナー、そして、負けることの多い自分や友達に怒りを覚えた。
- また、この本の作者も、そんなハンスやハイルナーに肩入れするような書き方をするのはどうかと思う。明らかに自分への甘えに負けた敗者である彼らに肩入れするのはどだいおかしい話である。確かに自然描写の美しさ、自然の移ろいの描写は素晴らしいもので、そこだけを見ればノーベル文学賞を受賞したのも理解出来るが、主題としては非常に理解に苦しむ作品であると思った。作者であるヘッセ自身、神学校で劣等生であった過去があり、そのルサンマチンもあったであろう。しかし。「ついこれくらい」に負けることを肯定することの毒害は計り知れないと思う。この本を悪書とした先生方やPTAの見る目に間違いは無かったと思う。
- だからこそ、僕も「ついこれくらい」という自分の気持ちと戦い、、刻苦勉励精進し、甘い遊びの誘惑を断ち切り、勉学に励みたい。お金を出してくれている両親や、遅くまでサービス残業をしている先生方のご恩に報いる為にも。そして、私自身がクラスの雰囲気を良くし、勉強一つに向かうクラスを作りたいと思う。そのためにも、まずは家にあるゲームや漫画を全て捨て、純文学や学術書を家にそろえようと思う。そして、苦手な数学にも不退転の覚悟で得意にしたいと思う。
| 本項は第6回執筆コンテストに出品されました。
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