辻政信

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「辻は激怒した。人を堕落へ誘う物は全て消すと決意した。辻は酒と女遊びが分からぬ。辻は、日本の軍人である。赴任先で次々と料亭を閉鎖させ、前線に立っては兵士達を奮い立たせてきた。けれども政治に関しては、人一倍に敏感であった。」
辻政信 について、太宰治
作戦の神様と謳われた辻政信。人物評価は賛否両論である。

辻 政信(さくせんの かみさま、明治35年(1902年10月11日 -没年不詳 )は、色んな面で吹っ飛びすぎる逝かれた軍人であり、政治家でもあった。しかし、その正体はあの時代に現れた妖怪人間である。本人いわく「戦略とローゼンとフォーチューンしかわからん」。好物はレバ刺し。とくにアメリカ産の新鮮なレバ刺しを好んだが、戦争中ではそれも叶わずアメリカ兵で代用した。

概要[編集]

大日本帝国陸軍の迷参謀であり、前線においては頼りになる指揮官であったが、上層部から劇薬として扱われた。要は士気を上げ、前線の兵士達を纏まるには重要な存在だが、無駄に勉強が出来、しかも頭も良かったせいで、つじーん理論と呼ばれるトンデモ理論がまかり通るような人間だった。戦争後は行方を眩まして潜伏していたが、独立後に復活して国会議員として活躍することとなる。最期は、インドシナ紛争中にラオスで共産主義と戦う王党派を指揮してくると言って大敗し、責任を取らされて切腹した。 常に自分の周りから好かれようとするような言行を行った。指揮官時代には部下から好かれようとし、前線視察を頻繁に行い、 参謀時代には上官と同僚に好かれようと上官の好む作戦を次々と立案した。(もちろんかつての現場のことなんか考えず) この気性の為一生を通した言行に一貫性がなく、自己愛性人格障害の典型とされる。

超エキサイティング辻ーん烈伝[編集]

  • 辛いことがあると親父の遺骨を入れた巾着を見て発奮(幼年学校時代)
  • 地図に士官学校から実家の石川まで直線を引き、そのルートで徒歩で帰る(士官学校時代)
  • 演習中に背嚢の石を入れて行軍するパフォーマンスをする
  • 内地に帰るとせっせと子作り。そして現代で言うDV夫…もしかしてSM愛好家?
  • 上海で狼藉を働いた兵士を斬り捨てそうになる
  • 結婚式直後に新妻を放っぽって陸大へ帰る
  • 小銃でP-40を撃墜
  • ビルマからタイ駐屯軍着任時は血だらけの包帯で片腕を吊ったままズカズカと登場
  • 士官学校付だった辻の部下だったタイ軍将校(元陸士留学生)とタイ赴任時に感動の再会
  • 朝礼で部下の中隊長を平手打ち
  • タイ潜伏中は糞長いお経をすぐに暗記して、部下達(元学僧)を脅かせる
  • 陸軍航空科の将校だった弟は「政信を兄と思うな、彼は日本の宝である」と上司に言われる
  • 戦犯訴追を逃れるため坊主に変身して逃亡生活
  • 国府軍の軍事アドバイザーを勤める
  • 国内逃亡生活時に吉川英治から資金援助してもらう
  • 戦後もDQN相棒の服部と仲良くクーデターを画策するも中止
  • 逃亡生活記である潜行三千里が馬鹿売れしたことにより知名度抜群
  • 出身地石川県では下級将校時代の評判により大人気
  • 上記の理由により無所属で衆議院選挙に出馬し当選
  • 自由党を経て自由民主党に移籍
  • 議員年金増額に反対し遺族年金にまわせと訴えるも465対1で敗れる
  • 自衛隊あたりの防災体制に珍しくいい影響を与えたらしい。
  • 服部が死んでかなり凹む
  • 1961年、ワシがホーチミンに直談判するぞと突然ラオスに渡り、その後行方不明になる
  • 辻捜索のために辻愛用の軍服とか軍刀が競売に掛けられ捜索費用に当てられるが、日本戦没者遺族会が殆ど買取り軍服を焼いたり軍刀をブッ壊される。
  • 1979年、郷里加賀市山中温泉に銅像が建立される

その他逸話[編集]

  • 辻ーんは炭焼き小屋の親父を父とする四人兄弟の三男であるが、実の父親は集落の地主だった疑惑がある。実際に幼年学校入学の折、集落の地主が関係者と京都で接触するなどの行動があったり、幼年学校入試から陸軍大学校卒業まで金銭支援していた事が地主一族に伝えられている。
  • 戦況報告のため、辻参謀はハイラルに一旦引き揚げる。
宿舎で休んでいると土建屋が芸妓を揚げて、酒池肉林の中に気炎を吐いている。戦争が起こったらまた金儲けが出来るぞ。軍人の馬鹿共が儲かりもしないのに、生命を捨ておる。阿呆な奴じゃ・・・・襖一重のこの乱痴気騒ぎを、遂に黙視することが出来なかった。大人げない話であるが、いきなりその室に入ってなにも言わず、数名のゴロツキ利権屋に鉄拳を見舞った。兵隊が一枚の葉書で召集せられ、数年間北満の砂漠に苦しみながら、故郷に残した老父母や、妻子に、一円の仕送りさえ出来ず、決戦死闘の戦場で散っていく姿を思い、その背後で戦争成金が贅を尽くしているのを見ると体内の全血管が爆発しそうになるのを、押さえることが出来なかった。 「ノモンハン」辻政信 原書房より
  • 辻ーんは、酒と女遊びが大嫌い。赴任する先々で料亭を閉鎖させてる。これを見る限り相当生真面目だ・・・というよりすぐ近くが山中温泉という歓楽街(色町)だったことと、自分の出生の秘密が本当ならばこうなっても当然だろう。
  • 典型的亭主関白だけど、浮気はしないしマメに家族の元に帰る家庭人な辻。3人目だかに男の子が誕生した時の台詞「おお!これだけ世継ぎがいれば安心して思う存分働けるぞ!」  いくらガチガチの上級士官とは言え、奥さんをびっくりさせるような台詞を吐くなよ!
  • メイクテーラ周辺のタオパンに陣地築いて猛砲撃を食らっていた中、壕内に誰かが飛び込んできた。
「辻だが、戦況はどうだね?」
「は、砲撃を受けていてこの陣地は大変危険です。速やかに離脱してください」
「そうか。貴官も頑張ってくれたまえ」 三 (lll´Д`)シュタッ
  • 常に楽観的で陽気であり、彼の周りは常に笑いの絶えない明るい雰囲気であった。
例えノモンハンで1万8千人の兵が死亡しても。
ガダルカナルで2万人の日本兵が死亡しても。
インパールで3万人の日本兵が死亡しても。
どこから見ても躁病です。本当に有り難うございました!
…誰も辻が躁病だという事に気づかなかったのか?
  • 戦犯解除後のインタビュー
「戦犯解除の喜びは?」
辻「喜びというよりは、非常なさみしさを感ずるんです。要するにです、圧迫と緊張の中にある自分こそが本当の自分だということ
なんでして、つきつめるともっとも正しい私というものは、戦場の中にあるわけなんですよ。いわば今日の私は、沢庵石を取り去った漬け物で、こりゃあもうボケたもんですよ……」
当時の読売新聞のインタビュー記事
お前は何に喜びを感じているんだ!?
注:アンサイクロペディアは、嘘と出鱈目にまみれています。
以上の文章も嘘や出鱈目である可能性が高いです。
…と、言いたい所ですが、アンサイクロペディアにあるまじき事態なのだが……以上の逸話は全て事実である。
事実なんだって。嘘じゃないんだ、ほんとだよ。ルーデル閣下の前例もあるし。単なる躁病患者のレベルを越えた行動力だし。

関連項目[編集]