野村克也

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プロテストミュージシャン、ヒルマン(左)と腹黒い笑顔を交わす野村克也(右)
現役時代はホークスの選手だった。
漫画あぶさんより、ロッテ在籍中の様子(1978年)。
「ばっかじゃなかろかルンバ♪」
~ 原辰徳監督の采配 について、本人
「ノムラカントク、バカ!」
~ 野村克也 について、タフィ・ローズ

野村 克也のむら かつや1935年6月29日 - )は、日本を代表するツンデレ爺。職業は月見草リサイクル工場経営、プロ野球東北楽天ゴールデンイーグルス監督業などである。

目次

[編集] 人物

  • 腹黒い笑顔がトレードマークだが、見かけによらず本当に腹黒い。日本プロ野球界を代表するツンデレとして有名である。
  • 他のプロ野球選手仲間とうちとけられず孤立しがちだった時、気さくに声をかけてくれた長嶋茂雄に恋愛感情を抱いたが、本心とは裏腹にツンな態度をとり続けたため嫌われてしまった。今では口もきいてもらえない。
  • 自身の気質と合わない選手はトレードに出す、二軍落ちなど手痛い仕打ちをするが、普段ボロクソに文句を言う選手が活躍をすると、活躍を認める発言もする。
  • ちなみにボロクソに言う選手は野村がそれなりに期待、注目している選手が多い。廃品回収に出すこともあるが。
  • 以前所属していた南海キャンディーズふにんきダメ虎では選手に対する好き嫌いがはっきりしていたきらいがあるが、近年は高齢化の為か、持ち前の皮肉も少なくなり、選手たちに愛情を持って接していることが多い。でも腹黒い。
  • 今の姿では想像しづらいが通算成績においては657本塁打や2901安打などチャン・フンワン・チェンジーといった外国人を除けば最高の成績で日本人史上最強のバッター。三冠王、1シーズン52本塁打、監督兼捕手兼四番打者という、まさに中二病的厨キャラ性能を有しておきながらも、同時代のワンと長嶋の栄光の影に隠されていたという不遇な環境が現在のツンデレキャラを作り上げたのではないかと考えられる。それゆえか何故か野村が在日のような扱いとなってしまった。カワイソす。
  • 王貞治と組んだON砲は対戦相手にとって脅威の的であった。
  • キャッチャーとしては、打席に入ったバッターにをささやくささやき戦術を使用、そのツンデレな態度とあいまって、並みいる強打者の撹乱に一定の成果を上げた。
  • まだリサイクルという言葉すら使われていなかった1970年代に野村再生工場という今でいうリサイクル工場を立ち上げて世間の注目を集めた。この工場は1977年に一旦閉鎖されたが1990年に操業を再開し、2001年に休止、2006年に復活して現在に至っている。再生以前よりもできがよくなる場合があるため世間の評価は高いらしいが、一方で使い物にならなければ容赦なくスクラップにしていることについては、もとが廃品だったため誰も気にしない
  • 着用しているメガネは野村が独自に開発したもので、ノムラスコープと呼ばれている。これをかけるとバッテリーの配球を高い精度で予測することができる。が、それだけではなく、うら若い女性のアーン♥♥を透視することができる。
  • 「野村ノート」という黒歴史ノートを作成、所有している。
  • 去年まで「カツノリを使わないと死んじゃう病」という世界に類を見ない奇病を12年間患っていたが、闘病生活の結果、今年になって完治した。しかし、愛犬であるサッチーの時たまに起こす奇行に頭を悩ます事もしばしばある。
  • 最近では健康面が不安視されており、ナニがデカイと噂の福盛の9回の劇場に心臓を脅かされる日々が続いているが「このままやと、選手達に殺されるわ!」とまんざらでも無い様子だ。しかし福盛は2008年から「とかノリが行けるなら俺も」病にかかり渡米したため、その心配(楽しみ?)もなくなった。
  • 愛称はムースである。ロジャー・マリスが名付けた。由来は常にベンチでも打席でもムスッとしていたからだとか、アメリカにいるサイの一種であるムースから名付けたとなどと伝えられている。
  • なお、南海時代の本拠地大阪球場跡に建設されたなんばパークスのホークスコーナーでは数々の名選手のパネルが飾られている。しかし、選手と監督として南海史上最高クラスの活躍をした野村であるがここではなぜか完全いなかったことになっている。南海的には今でも完全に黒歴史となっている模様。
  • 現役時代は南海-ロッテ-西武と現役27年間に渡って45歳までプレーした。しかし、この事実はほとんど知られていない。
  • 現役時代はその活躍の割にほとんど目立たなかったノムさんだが(ロッテ在籍中に座右の銘『生涯一捕手』が流行語になったぐらい)、1990年にヤクルトの監督に就任してからようやく世間一般的に認知されるようになった(それまでは、野球ファン以外の一般層にはあまり知られていなかった)。やはり南海時代は黒歴史なのか。
  • 2chで野村監督の批判を書くと、すぐに顔を真っ赤にした集団で叩かれる。批判を書いているのは今岡と一場の嫁というのは有名である。
  • 楽天時代、「Aクラスにならなかったら監督を辞める」と言っておきながらも結局辞めなかった。しかし、誰も気づいていない。業を煮やした球団は、Aクラスになった途端に解任を通告した。

[編集] ツンデレ発言

新庄について
阪神時代 - 「新庄は天才や」
楽天時代 - 「新庄は口だけや」「まあ、あの人は芸能人ですから」
→新庄が引退宣言 - 「あれほどの選手が引退するのは寂しい……」

(おそらく無視・賞賛・非難を体現したかったのだろう。しかし順序が入れ替わっている。)

空気清浄器を贈った広澤に対して
「お前……ワシにあんな安物を使えいうんか……」
→野村邸で空気清浄機を目撃した広澤に対して照れながら
「ああ、いや……こんなもん……。捨てるのも恥ずかしいから、仕方なく使っとっただけや」
サインを求めるファンに対して
「チンケな色紙や」「ワシを誰だと思っとるんや」
→丁寧に色紙にサイン
他チームの松中について
「松中は健康診断があるからといって(06年日米野球を)辞退したんや。カネもうけばかり考えおって。世のため人のためというのがないのか」
「億万長者が来たわ。あいつが6億も7億も、もらう価値あるのか。引退した後も、もらえる契約になっているらしいじゃないか。内角が打てない4番なんて、おらんやろ」
→「わしがWBCの監督なら、四番は松中や」


福盛和男について
「ああいう人の道を外したヤツは嫌いや。」「福盛がメジャーで通用するようじゃメジャーも終わり」
→結局楽天復帰を許可。
首脳陣批判でポストシーズンは2軍幽閉となったトッド・リンデンについて
「人間的に失格」「戦力外」
→リンデン2度目の謝罪後に握手をして和解「目標に向かって頑張ろう。」
楽天名誉監督就任要請について
「名誉に感じる球団かよ」「即答すると恥ずかしいからや。球団の考えがミエミエや」
→「断る理由は無い」

[編集] 関連事項

[編集] 特記事項

  • あまり知られていないが、実は歌が非常に上手い。
  • 「俺の花だよ月見草」1993年に発売されたノムさんの曲である。少年時代に歌手を目指していただけあって(家庭がかなり貧乏で、それから脱却したかったから)、さすがである。