金ヶ崎の戦い

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金ヶ崎の戦い(かねがさきのたたかい)は戦国時代の破廉恥な事件、というかレイプ未遂事件の一つ。金ヶ崎の退き口(かねがさきののきくち)または金ヶ崎崩れとも呼ばれ、第六天魔王様が人間不信に陥る事になった原因の一つとして有名である。

概要[編集]

開戦までの流れ[編集]

岐阜と将軍足利義昭を手に入れた織田信長は京を押さえ日ノ本を武力で制圧する天下布武に乗り出す事に決めた。だが、岐阜から京都までの道のりは長いため、北近江を制圧していた浅井家の浅井長政と当時美人で有名だった実妹のお市を結婚させ、同盟を結ぶ事で道中の安全を確保したのである。

京に上った織田信長は足利義昭と喧嘩しながらもあちらこちらの政略の手を伸ばし、一躍有名人となった。気に食わない義昭は朝倉家や浅井家、本願寺の顕如武田信玄に「信長ブチ殺してくれ!」と手紙を出しまくったといわれる。だが、長政は美人のお市たんとセックス三昧の満たされた日々(リア充)を送っていた。当然ながらヘタレ将軍の言う事など無視して閨にこもりっきりでお市様のケツを愛でていた。

そんな妙にゴタゴタしていた元亀元年(1570年)4月、信長は配下の諸将に加え、三河のパシリ君壱号である徳川家康や爆弾正松永久秀なども引き連れて言う事をきかない生意気な若狭・越前の朝倉義景への嫌がらせのために京都を出発し、琵琶湖湖西をのこのこと進軍していた。

長政の秘めたる思い[編集]

一方、お市様とのセックスに疲れた浅井長政は休憩がてらに近江の湖北に立つ山城・小谷城から義兄・信長の進軍を眺めていた。そこで長政はある事に気がついてしまう。漆黒の威厳のある鎧に身を包まれたスラリとした身体、ピンッとはねたりりしい髭、美男美女の名産地である織田家総帥としての余りにも男らしい顔…妹のお市ですらアレだけの器量と名器なのだから義兄上のおケツはもっと凄いに違いない…。あろうことか信長の尻に見とれてしまったのである。だが信長はおそらく頼んでもホイホイとヤらせてはくれまい、ならば…いっそ…とココに息子(万福丸や浅井井頼の事ではない)をびんびんにおったてながらある重大な決断を決めたのである。非常に残念な事に当時の武家の間では衆道はごく一般的な事だったし、非常に不幸な事に当時の武家の間ではヤンデレはごく一般的な事だったのだ。

ベッドにいつまでも長政が帰ってこない事を不振がったお市は長政を探して小谷城内をネグリジェ姿でウロウロしていた。が、なんとそこにいたものは信長のケツを眺めながら下半身裸のまま仁王勃ちでハァハァしながらあれをしごいているている夫の姿だった。一瞬クラクラしながらも兄の尻を狙う不埒者の存在を信長に急ぎ知らせるため、使いを出したのである。夫と兄がそんな関係になる事などたまったものではない。

信長撤退[編集]

若狭を我が物顔で進軍していた織田信長は妹・お市から差し入れを受け取ったといわれる。「妹から差し入れ来たぜ!うらやましいだろ、特にそこの権六!」とあちこちに自慢して回ったのであるが、その差し入れの中身を見てビックリ、両端を縛ったの袋だったのである。これはいったい何のことだろうと聞いて回った信長はある結論に達した。

「夫の浅井長政がお兄様のおケツを狙っておりますので肛門を豆の袋のようにギュッと締めて身を守ってください。というか逃げてぇ!お兄様逃げてぇぇぇ!」という事だったのである。他人の尻を犯すのは大好きでも自分の尻をつつかれるのは大嫌いな信長は仰天した。さらに浅井長政は当時見事な体格で有名だったのである。あんなゴツい男のアレはきっと凄まじいに違いない、そんなのに貫かれたらおかしくなっちゃう壊れちゃう!と怯えた信長は「じゃ、俺バイトあるから」と諸将を置き去りにしてダッシュで京に逃げ帰った。

悲惨なのは置き去りにされた羽柴秀吉明智光秀、それにわけもわからず若狭までつれて来られた徳川家康である。直後、浅井軍は信長の尻を狙ってものすごい勢いで襲い掛かってきたのである。が、そこにいるのはハゲ鼠やキンカン頭と狸の置物、絶望にぷるぷる震える哀れで可愛らしい信長がいると思っていた浅井軍は怒りに燃えて猛烈な勢いでこの哀れな犠牲者のケツを突きだしたのである(で)。

一足早く京都に戻って金平糖をポリポリとかじりながら堀秀政のケツをイジっていたウツケ殿の元に戻ってきた諸将は浅井軍の体液などでズタボロだったといわれる。

その後[編集]

信長はこのことで元々人間不信気味だった性格とケツの穴が余計にひん曲がり、より苛烈な性格になっていったといわれる。またこの事件後、浅井家は信長包囲網に参加したびたび信長の尻を付けねらい、後の姉川の合戦への布石となった。

関連事項[編集]