鎌田吾作

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鎌田 吾作(かまた ごさく 19XX~)は、日本で活躍していたベルギーアメリカ合衆国レスラーである。本名はダンカン・ミルス(Duncan Mills)

人物[編集]

生い立ち[編集]

鎌田吾作は第二次世界大戦直前の昭和X年、東京の新日暮里に生まれる。高校卒業後にスポーツジムで受付のアルバイトを始めた吾作は、そこで肉体改造に勤しむ男たちを見る自分の目に、ある種の尊敬とは違う感情が生まれていることに気がつく。悶々としながらもそこでのアルバイトを続けていた吾作だったが、ある日ジムの常連である哲学者ビリー・ヘリントン木吉カズヤガチムチパンツレスリングを行っているところを見て衝撃を受け、己の性的倒錯を初めて自覚するにいたった。

その後も数回に渡って覗きを重ねていた吾作は、ある日覗きの瞬間をビリーに発見されてしまう。咄嗟に「バッグを取りに来たんです」と取り繕う吾作だったが、心の奥底にある本当の気持ちをビリーに看破され、半ばなし崩し的にビリーとガチムチパンツレスリングをすることになってしまう。最初は戸惑いつつぎこちない動きでレスリングをする吾作だったが、ビリーの「ケツの穴はな、蕾が気持ちよいぞ」という言葉についに開眼。ビリーのジーンズを大ダメージジーンズにするなど、目覚しい戦果を挙げて初戦を飾った。

私は蟹になりたい[編集]

本当の己と向き合い、兄貴分であるビリーのおかげで心の平安を得た吾作だったが、そんな中、悪化の一途を辿っていた太平洋戦争のため、吾作の元にも赤紙が届き、出征することになる。

内地の新日暮里中隊に所属した吾作は、厳しい訓練の日々を送る。ある日、撃墜されたアメリカ軍の戦闘機の搭乗員が山中に降下。軍司令官の碇屋中将から「搭乗員を確保、アメリカの革野郎に適当な処分をせよ!」との命令が下った。一昼夜に渡る山中探索の結果、吾作は虫の息であった搭乗員を発見。そこで吾作は衝動的に米軍パイロットを掘ってしまい、肛門裂傷による出血多量で死なせてしまう。

終戦後、吾作はスポーツジムに戻っていつも通りに仕事をこなしていた。そんなある日、吾作は戦争犯罪者として特殊警察に逮捕され、東京まで連行される。極東国際軍事裁判条例に基づいて行われたC級裁判の横浜法廷で、捕虜を殺害した捕虜虐待の罪で被告席に立った吾作は「(戦争だったのだから)そんなの関係ねぇ」と主張する。しかし「戦争中といえども相手の同意なしに掘ることは許されない」というアメリカ流の論理に跳ね返され、ダーク潮干狩り刑判決が言い渡される。当時、ダーク潮干狩りの刑は「鎖とレザーボンテージで体の自由を奪われ、熊手状のスタンガンによる拷問、看守からの執拗な乳首攻めが行われる」と噂されており、長期間に渡って受けると気が狂ってしまうと言われるほど過酷なものであった。

巣鴨プリズンに身を移された吾作は、同様の判決により戦犯とされた人々と過ごし、日々刑の執行が行われる現実を目のあたりにする。それでも、無罪を主張する吾作は同房の囚人たちとともに米大統領にあてて減刑の嘆願書を書き続ける。その後、碇屋中将が処刑されて以降、1年以上巣鴨プリズンでは刑の執行がなく、やがてアメリカと結ばれる講和条約により、皆が釈放されるものと信じていた。

春を迎えたある朝、チェンジブロック(房の移動)が言い渡され、吾作は減刑されるものだと喜んだ。しかし、連れて行かれた先で待ち受けていたのは、刑執行の宣告だった。執行時刻が迫るなか、失意の吾作は兄貴とスポーツジムの同僚に宛て、次のような遺書を書く。

……せめて生まれ変わることができるのなら……。
いいえ、私は生まれ変わっても、もう、人間になんかなりたくありません……。
人間なんていやだ、牛か馬のほうがいい。……いや、牛や馬ならまた人間にひどい目にあわされる。
……どうしても生まれ変わらなければならないのなら、いっそ、深い海の底の蟹にでも……。
そうだ蟹がいい。蟹だったら深い海の底の岩にへばりついているから何の心配もありません。
兵隊にとられることもない、戦争もない。兄貴やレスリングのことを心配することもない……。
どうしても生まれ変わらなければならないなら、私は蟹になりたいね……

一ヶ月後、あまりにも非人道的なダーク潮干狩りの刑に国内世論の反発が高まり、ついに特赦が下る。昼夜問わず行われた執拗な電気ショックと屈辱的な行為を強制してくる看守に耐え、なんとか生き永らえた吾作だったが、長期間に渡る拘留生活と精神的ストレスから、釈放後の彼はすでに一般人として普通の生活を送ることは出来なくなっていた。無垢な少年のようであったその顔は極度の緊張と執拗な拷問によって悪鬼の如く歪み、再会を心待ちにしていた者たちでさえ目を逸らすほどだったという。

釈放から半年後、レスラーとしてこれからも活躍が期待されていた吾作は誰にも行き先を継げずに突如消息を晦ましてしまう。必死の捜索にも拘わらず、現在に至るまで吾作は発見されていない。なお、吾作の友人であり、彼が日本デビューする事になった端緒を作った人間でもあるビリー・ヘリントンは吾作の失踪について、「吾作は蟹になったお。そうなったお」とのみ答え、それ以外は一切語ることは無かった。

そしてモータースポーツ界へ[編集]

事態はとんでもない方向に展開していった。モータースポーツ界に吾作そっくりの人物が旋風を巻き起こしていた。その名もセバスチャン・ベッテルF1デビュー以来、数々の最年少記録を打ちたて、顎の皇帝ミハエル・シューマッハの再来とまで言われている男である。 そして、定例記者会見にて自らが鎌田吾作であることを発表。テレビ新日暮里の人気スポーツ番組「しコルト♂」にて、トロロッソのシートを獲得の際、ゲルハルト・ベルガーに肉体関係を迫られたことを暴露した。現在はレッドブルに所属。チームメイトはリッカー山野の化身、マーク・ウェバーである。 またF1の傍ら、秋田県を中心に展開するラーメン店の「吾作ラーメン」を経営している。

ドラマ『私は蟹になりたい』[編集]

後にテレビ新日暮里がこの吾作の手記を元にしたドラマ『私は蟹になりたい』を製作。当時としては異例の平均視聴率81.0%を記録し、同社が放映した『情熱大陸』のビリー・ヘリントンの回によって破られるまで六十年以上に渡って不動の王座を守り続けた。 ほんとかよ。

関連記事[編集]

外部リンク[編集]

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