長良共和国
長良共和国(ながらきょうわこく)とは、大豊田連邦の構成国の一つで、旧岐阜県の美濃地方と旧長野県の木曽地域に当たる。
歴史[編集]
かつては美濃(みの)と呼ばれた。戦国時代は斎藤道三や織田信長が治めるなど、今風に言えば「岐阜都民」の多い地域であった。岐阜都民の多い西濃以外にも、木材の集散地として東濃と木曽が栄えた。
しかし信長が安土に逃げてから歯車が狂い始めた。徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して市民は期待したが、彼が選んだ地は近江に最も近い太平洋岸の名古屋。ここから一気に衰退して行く。
それから400余年…愛知県が名古屋共和国として独立を果たすと、旧長野県木曽郡と共にトヨタ自動車の金欲しさに濃尾地方の活性化に協力すべく協議し、ついに日本からの脱却に成功した。
地域[編集]
首都[編集]
稲葉京都(いなばきょうと。旧岐阜市)が、織田信長統治時以来の近江攻めの拠点となる。かつて都内を路面電車が走っていたが、近江攻めに邪魔臭いって事で撤去された。近隣の関市や美濃市の市長は、路面電車の撤去に対して、「(富山の)ライトレールは喜ばれてるじゃないか!!」と抗議したが、稲葉京都長官は馬の耳に念佛だ。一方で世間がエコを主張し出した途端「時代はエコ。公共交通機関の促進を」と岐阜バスのアピールを始める有様である。名鉄バスも市バスも路面電車も追い出したくせに。
都内は「栄えている」とは言えないが(金津園を除く)、本当に栄えていない。名古屋共和国で言う「東岡崎駅」周辺並み。ただ駅の建物は比べモンにならないぐらい、新岐阜駅の方が綺麗である。
なお最近「岐阜シティ・タワー43」と言う複合ビルが完成した。意外に思われるかもしれないが、地上43階建てである。ただ周囲から見ると、まだミッドランドスクエアが建っていない頃のJRセントラルタワーズの様に目立ち過ぎである。
尚、徳川時代初期から明治初期まで、首都が稲葉京都では無く笠松であったことは黒歴史である。
長良県[編集]
旧岐阜県の、岐阜地域(羽島市、各務原市、本巣市、瑞穂市、山県市、羽島郡笠松町岐南町、本巣郡北方町)に当たる。
各務原市には「ぎふかかかかかかかみがはら航空宇宙科学博物館」と言う、長過ぎて舌を噛みそうな名前の博物館があるが、名前の割に中身は寂しい。

中濃県[編集]
旧岐阜県の中濃地域(美濃加茂市、関市、郡上市など)に当たる。
美濃加茂市には時代に遅れを取ってしまった村がある。中村玉緒が名誉村長に就任しているが、数ヶ月に1度のペースしか働かない税金泥棒でもある。
木曽県[編集]
旧岐阜県の東濃地域(多治見市、中津川市、恵那市など)、及び旧長野県の木曽郡(木曽町、南木曽町など)に当たる。
これと言って書き込む事は無いんだが、強いて言えば南木曽町を蒸気機関車「D51」が走っている。
揖斐県[編集]
旧岐阜県の揖斐川流域(大垣市、関ケ原町、安八町など)に当たる。
関ケ原町は関ヶ原の戦いで有名だが、それを再現した「関ヶ原ウォーランド」の存在を忘れてはならない。名古屋の大須と肩を並べる程のカオスな場所で、特に亡霊の武田信玄が仲介する場面は見逃してはならない。名古屋と敦賀から等距離で行ける地域で、若狭湾からの隙間風がしょっちゅう吹いている。
池田町は『GKBR』追放運動を徹底的に展開し、『GKBR』の撲滅に成功した。
だが長良県に併合したため、消滅した。
大近江共和国[編集]
「大豊田連邦」の動きに対して、「岐阜は名古屋の私物?上洛大好きの愛知都民の分際で何言ってんねん?」って長浜市と敦賀市が反発している。これは、太平洋と日本海が最も接近する地域が、名古屋と敦賀を結ぶ線(敦名線)だからである。
長浜をリーダーとする滋賀県は、西濃を「大近江共和国」として尾張・近江・若狭・京都の共同統治領にするよう求めている。実際にも、西濃は単なる「尾張(名古屋)の植民地」ではなく、「近江(長浜)の植民地」「若狭(敦賀)の植民地」でもあるのが実態である。