長野新幹線

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この路線は廃止されました。ですが長野県民の心の中では永遠に走り続けます。

長野新幹線(ながのしんかんせん)とは、新幹線でありながら史上初めて廃止された鉄道路線のことである。東京と長野を1時間強で結んでいた。

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概要[編集]

1997年東京長野を結ぶ路線として建設された。翌年の長野オリンピックを見据えた新幹線であり、長野新幹線は長野県民の足として活躍した。しかしオリンピックが終わってみると、東京一極集中の波に長野は勝てず、長野新幹線の乗客は減る一方だった。そして2015年、東京と金沢を結ぶ北陸新幹線が開業することになり、そのルートが長野新幹線とほとんど平行であったことから、北陸からの客を見込めない長野新幹線及び平行在来線は否応なしに廃止になった。なお、長野新幹線廃止のときに長野県知事が「すでに長野新幹線の名前は日本人にとって馴染み深いものとなっている。北陸新幹線も長野駅に停まるのだから、いっそ北陸新幹線の名称を『北陸長野新幹線』にしてほしい。でなければ乗客が混乱する」とJR東日本に申し出たが、北陸新幹線の名称でも乗客が混乱することは一切なかった。

路線[編集]

東京駅から高崎駅を経由し、軽井沢を経て長野駅に至るルートである。実のところJR東日本は建設に乗り気ではなく、軽井沢から先はミニ新幹線(早い話新幹線っぽい在来線)で済まそうとしていた。他にも軽井沢駅の先で電源周波数が50Hzから60Hzに切り替わる地点に達してしまうため、2種類の周波数に対応できる車両の開発に金をかけたくなかった。しかしまさかのオリンピックが長野で開催されることになり、渋々長野駅まで開通することになる。軽井沢―佐久平間で照明が一瞬落ちることがあるのは、周波数切り替え時に電源を落とすときに車両に電気をそのまま供給し続けるバッテリーをケチったためである。 また、長野新幹線は山を登り降りするという厳しい条件も付随しており、これが原因で最高時速は260㎞に制限されてしまっていた。

車両・運行形態[編集]

あさま号のみがE2系8両編成を使って運行されていた。一つの列車種別だけに一つの形式だけという新幹線のなかでもトップのバリエーションのなさを誇り、挽回することなく18年の短い生涯を閉じた。200系E4系が地味に入線したこともあったが、240㎞しか出せないこれらの車両はすぐに追い出された。廃止直前の2014年から1年間にはどういうわけか、最新車両E7系12両編成(グランクラス付き)を投入しており、風前の灯の長野新幹線を嘆く長野県民の嫌味を買った。

関連項目[編集]


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本項は第34回執筆コンテストに出品されました。