関東学院大学

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関東学院大学(かんとうがくいんだいがく 英称:Kanto Gakuin University)とは、神奈川県横浜市に本拠地を置く、ミッション系大学。宗派は北部バプテスト派(後の米国バプテスト同盟、日本国内では日本バプテスト同盟)。 関東学院大学は休眠特許を除いた特許行使数全国3位(東大、京大、関東学院大の順、平成28年度)という特許のガチ名門校である。ちなみに関東学院生は文系生でも特許を平気で取る。

特許[編集]

関東学院大の特許は数知れぬが主に3つに絞ることができる。

特許1:プラスチックメッキ[編集]

何と言っても関東学院の場合プラスチックメッキが外せない。もともとは関東学院実習工場で開発されたものだ。関東学院大は1962年に自動車のプラスチックメッキ製フロントグリル量産化を実現した。 え!?それだけ? 違うに決まっている。プラスチック樹脂に金属メッキが容易に施せるということは、樹脂製の基板に銅メッキ回路や金メッキ回路が簡単に作ることが出来るという意味である。いわゆるプリントメッキという奴である。したがってプリント基板回路のコストダウンに貢献したのは関東学院大である。関東学院大の特許行使数のかなりはプラスチックメッキ関連である。なお、学問的には「表面工学」という分野なので覚えておいておこう。 なんと関東学院大創始者坂田祐氏は「世の為に特許取るな」と言ってしまったがためにオープン技術となってしまった。学園紛争で金欠なのにもかかわらずである。その後学生は大学解体を訴えて学生運動を繰り広げて授業どころではなくなり神学部が1973年に募集停止に追い込まれた。泣いていいのか笑っていいのかわからない結末となった。

特許2:車載ミリ波レーダー[編集]

 ところで車のフロントグリルにはエンブレムが付けられる。後ろの車種名にもロゴがつけられる。ドアにもプラスチック樹脂を施す。そこからミリ波を出すことによって車幅や障害物を察知し事前にブレーキを出すことにも成功している。関東学院大はインジウムのようなレアメタルを使用せずに車載ミリ波レーダーを2009年に発明した。え?これの何が重要なのかって?これは中国が日本に対して「レアメタル輸出を制限するぞ」という脅しが通用しなくなるという国際的戦略発明品なのである。  同じように2013年にインジウムを使わずにタッチパネルを発明したのも関東学院である。ミリ波を出すことによってキリスト教に学生を洗脳させる試みは失敗の模様である。ミリ波は透視も出来、銃器なども見つけ出すことのできるセンサーも作ることができる。だが、学生の頭の中を透視するまでには至ってない様である。

特許3:大豆パウダー[編集]

大豆を10μm程度の微細粉末にしてまずは大豆パンを作ったのは関東学院大である。ですが、大豆パンだけじゃないんです。グルテンアレルギーの方の為に大豆アイスを作った・・・だけじゃないんです。実はグルテンフリーアルコールまで作ってしまったんです。2018年にロシア視察団が訪れた。グルテンフリーウオッカが目当てである。ところで、関東学院大は北部バプテスト派である。あの禁酒法を支持したバプテストである。なのに大豆でグルテンフリーウオッカを作っていいのであろうか?もちろん関東学院の敷地内ではアルコール類は夜間だろうと一切販売禁止である。自分の学校の宗派の教えを無視した悪魔的発明品とも言ってよい。もっとも1919年に制定された米国禁酒法自体が全くナンセンス(廃止が1933年)だからどうでもいいやというのが関東学院の本音なのだろうが・・・。

「人になれ、奉仕せよ」の意味[編集]

関東学院大はネットで日本一誹謗中傷にさらされている大学として知られている。しかも2016年にようやく大学が重い腰をあげてネット上の誹謗中傷を対処すると公言するまで大学自身がスルーしていたのだからいかにこの大学及び大学生のスルー能力が超一流かを物語る。 原因は2003年ごろから2ちゃんねるのある異常者がこの大学を大量のコピー&ペーストで誹謗中傷しそれに一部のネット中毒者が乗っかっていた状況を放置(スルー)したからである。この誹謗中傷の中で「人になれ、奉仕せよ」という校訓を文字通り解釈し、「あいつら(関東学院生は)人間じゃねーもんな」という酷い書き込みが主にアホーちえおくれや2ちゃんねる等で埋まるがこれも当然スルーする。そもそも「人になれ、奉仕せよ」(Be a Man,Serve the World)とは要は「立身出世主義は捨てろ」いう意味である(そもそも当時の関東学院は神学部と社会事業学部のみ)。関東学院設立者坂田祐氏が、「諸君は何かをしようとする前に何であらねばならぬかを考えよ。To doの前にTo beの問題をまず考えよ。」と言った後に捧げられた校訓である。

間違ってはいけないのは「人になれ、奉仕せよ」という言葉はルネッサンス的な「人間(ヒューマニズム)の発見」という意味でもない。「馬は生まれる。だが人間は生まれない。作られるのだ」という傲慢な精神によるものでもない。「人になれ、奉仕せよ」とは「教養人でない奴は人間じゃない」という教養選別主義をも攻撃した言葉なのである。

また関東学院大生は中1レベルの英語ができないからbe動詞を勉強するというデマもネットで流れるがこれも嘘である。関東学院大生が学ぶのは「to do の前にto beの問題を考えよ」の言葉の真の意味であり、つまり「『存在する』という言葉である『be』とは何か」ということをキリスト教学概論で学ぶのである。スルー出来ない者はここで不合格である。さようなら。

キャンパス[編集]

金沢八景キャンパス[編集]

いわゆる郊外型キャンパス。ここで経済、経営、法、教育、栄養、看護、理工、建築・環境、人間共生学部生が学ぶ。かつては神学部もあったが学生運動、特に赤軍派によって潰された。というか関東学院は赤軍派の旗揚げ校である。法学部は小田原の山奥から引っ越してきた。かつては六浦キャンパス(大学)と室の木キャンパス(旧短大)という2つのキャンパスだったものを統一した。しかし、正式名称でいう者は少なく六浦とみんな呼んでいる。

金沢文庫キャンパス[編集]

いわゆる遠郊外型キャンパス。ほとんどの学生は金沢文庫キャンパスと呼ばない。旧校名は釜利谷キャンパスであって、今でもほぼ全員が金沢文庫キャンパスを「釜利谷」と呼ぶ。開校当時の正式名称は釜利谷分校地という。学園紛争終了直後の1980年代に造成し、1986年とっくに学園紛争が沈静化していたバブル期初期にあろうことか文学部を金沢区の山奥に計画通り飛ばした。文学部は2015年に現代社会学科を社会学部に昇格し、英米文学科と比較文化学科の2学科は文学部を改組という形で国際文化学部の下に置いた。当時の文学部釜利谷移転は間違いだったとして社会学部と国際文化学部は2022年に金沢八景キャンパスへ移転予定である。移転後の金沢文庫キャンパスはスポーツ系学部を作るのか体育専門施設のみとしてのキャンパスにするのか不明である。なお、理工学部にスポーツ計測コースがあるのでスポーツ科学部を作る素地は既にある。

小田原キャンパス[編集]

いわゆる超遠郊外型キャンパス。1991年に公私協力方式で誕生した小田原の山奥にあるキャンパス。あろうことか法学部専用キャンパス。しかも礼拝堂が建てられないという「ミッション系大学としてどうなの?」というキャンパスとなった。ガチのクリスチャンは特に小田原キャンパスに対して不満が大きかった。小田原キャンパスは公有地つまり小田原市の土地であるため政教分離の原則から宗教施設が建てられないのであった。大学側は学園紛争なんてとっくの大昔に沈静化していたのにも関わらず学園紛争で大学解体寸前となった恐怖が忘れられないのかまたしても分離という政策を取ったのであった。キャンパス造成時はバブル全盛期であり、土地代がタダというのも大学にとって大きな魅力であった。

超遠郊外の小田原に行きたいという学生は元から少なく受験戦争世代である団塊ジュニアが受験を終えた1997年以降志願者減少に苦しみ、法学部は2017年に金沢八景キャンパスへの移転を完了した。替りに関東学院材料・表面工学研究所を小田原へ移転し、小田原キャンパスの存続が決まった。ここを学び舎とした者にとって4年間の青春の思い出が消えるという最悪の結末だけは回避された。関東学院大学機能性食品科学研究所というアレルゲンフリーに取り組む研究所も2018年に小田原に開設された。なお、八景にある大沢建築設備工学研究所の小田原移転は未定である。特許の関東学院にとって、ここは心臓部となる。というか、最初からそうしろと。

学部・学科[編集]

神学部[編集]

実は関東学院にとって心臓部となる学部であり看板学部でもあったが過激派によって1973年に潰されてしまった。神学部廃止で悲劇が終わらなかったのは金沢文庫・小田原キャンパスの項の通り。スルー検定に失敗したため全員不合格となったのであった。

というか戦前は平和運動を展開したため特高警察に潰されている。スルースキルは大事なのであった。

社会学部[編集]

社会学部現代社会学科1学科のみなのに社会福祉士国家試験受験資格が取れる珍しい学部。でも合格するのは例年60人中15人程度。日東駒専や神奈川大にすら落ちた我々関東学院生にとって、社会福祉士国家試験合格と言うのは人生のラストチャンスであるが成功率は低い。なお、社会福祉士国家試験を合格すると精神保健福祉士合格の近道にもなり、実際は精神保健福祉士資格の方が使えるということに気が付く卒業生も少なくない。卒業後になんども国家試験をアタックして社会福祉士を取る者も少なくない。

国際文化学部[編集]

旧文学部。英語文化、比較文化の2学科構成。比較文化学科は日本語教師資格も取れる。学芸員資格も取れる。学芸員課程取得者は博物館実習という短大や専門卒、高卒では味わえない青春体験をする。もっとも、学芸員資格は99.9%就職の役には立たないけど大学に行った意味は生じる。なお、「比較文化学科」と言う言葉は文化人類学科と言う言葉に置き換えた方がいい。

法学部[編集]

法学部としては異端で法学部地域創生学科では法学部なのに社会福祉士国家資格を取得できる。おそらく日本で唯一と思われる。「司法試験受けないの?」とか「司法書士は?」といった煽りの声はスルー検定必須なので合格しよう。何度も言うが日東駒専や神奈川大にすら落ちた我々関東学院生にとっては社会福祉士国家試験合格と言うのは大学が与えた現実的なラストチャンスである。

経済学部[編集]

通称スポーツ経済学部。スポーツ推薦組が非常に多く、スポーツ推薦組は一般学生とはまったく別のルートで就職する。プロスポーツや社会人選手の世界に行く者が当たり前にいる。特許を取ったりといい意味で驚かせる学生がいるのもここである。このためスポーツ用具の特許取得が多い。一般学生がスポーツ推薦組と同じ感覚で就職活動しようとすると大変危険だ。彼らは下手するとスカウトマンが向こうから来るのでそもそも就職活動自体しない。スポーツ推薦組は自分とは違う世界に居る人たちなんだとスルースキルを持とう。

経営学部[編集]

経済学部経営学科から経営学部経営学科として独立した。特に関東学院の特許実績を商標やマーケティングなど文系の視点でいかに活用するかを研究する。なお、関東学院大の特許登録数自体はランキング圏外である。なのに、休眠特許を除いた特許行使数が全国3位ということはどれほどすごい特許を次々取っているのか…。つまり製品化して売り込むにはどうすればよいのかを肌で実感する実務型学部である。というか、特許って取ればいいってもんじゃないから。

人間共生学部[編集]

スマート3併願制度を駆使したのにも関わらず社会学部を落ちた場合は人間共生学部コミュニケーション学科行、建築・環境学部を落ちると人間共生学部環境デザイン学科行になる場合がある。通称第二社会学部第二建築学部である。二部(夜間)ではないが・・・。でもコミュニケーション学科では社会福祉士受験資格は取れないし、環境デザイン学科は二級建築士ですら実務経験1年を経ないと受験資格が生じないため一級建築士への道は果てしなく遠くなる。なお、環境デザイン学科生は学芸員資格も取れる。コミュニケーション学科もスポーツ推薦組が非常に多い。彼らにとっては通称スポーツコミュニケーション学科なので要注意だ。やっぱりスポーツ推薦組は自分とは違う世界に居る人たちなんだとスルースキルを持とう。

教育学部[編集]

かなりが保育士や幼稚園教諭への就職を決める。最近は小学校教師も多い。企業に行く者はほとんど居ない。ほぼ全員が就職決定。ここでもネット上だけ誹謗中傷が発生し、「関東学院生が保育園に来て草」などととくにツイッターに書き込まれるのだが、それはもちろん関東学院生が保育実習で保育園に来たからである。また「保育士や幼稚園教諭なんて短大や専門で取れるだろ」というすさまじい書き込みも見られるが実は幼稚園教諭1種免許は4年制大学じゃないと取れないし、図書館司書資格は専門学校じゃ取れない。というか、男は短大へは心理的に行けないでしょ!?

そもそも幼稚園は幼稚園設置基準11条というものがあり、幼稚園図書室は努力義務設置なのである。当然、幼稚園図書室の専門職は図書館司書である。図書館司書専門職自体の就職の口自体はかなりレアだが兼任職は割とメジャーであり、一番ポピュラーなのが幼稚園教諭との司書兼任職である。なお学校図書館司書教諭は小学校~高校の学校図書館専門職なので幼稚園図書室の専門職にはなれない事にも注意しよう。保育園図書室も同様である。つまり、幼稚園教諭+保育士+図書館司書というトリプル資格取得狙いでここに来ている子が多いのである。

なお、関東学院と鎌倉女子は幼稚園教諭職・保育士職では神奈川県内で二大学閥を形成している。これは横浜国立も横浜市立も神奈川県立も神奈川大も東海大も保育士や幼稚園教諭を養成していないためである。教育学部生でスルー検定に合格した者、特に男は幼稚園の園長先生や保育園の園長先生など重責な職に就く者が多い。

建築・環境学部[編集]

一応関東学院大の看板学部だが、学内で偏差値が一番高いというわけではない。また関東学院は建築学の実績があるとは言ってもそれは主に建築設備分野なのである。学部の名前から察するように建築物と自然環境を両立させる専門職である建築設備士や一級造園狙いの方が多いですよ、ということである。なのにネットでは「一級建築士すら取れないのw?」という煽りが来るがそこもスルー検定ですよ。なお、建築設備士は1級建築士を補佐する役目を負う。もっとも一級建築士+建築設備士というW取得する人もそれなりにいる。

理工学部[編集]

旧工学部。実は関東学院はプラスチックメッキの量産法を世界で初めて発明した学校であり、ゆえに工業化学がやはり別格である。発明のおかげで銅メッキや金メッキプリント基板なども容易に作れるようになったがそれも関東学院の発明の成果である。他には耐震補強工事であるSPAC工法を発明したのは関東学院である。土木はコンクリートカヌーコンペも行う。コンクリートは海に浮かべる事も出来るのである。表面工学は超撥水技術も必須なので水もスルー出来るようにしよう。非レアメタル材質タッチパネル開発も関東学院だ。豪雪地帯に設置されるヒーター付LED信号機も関東学院の発明品だ。「メッキ(板金塗装)なんて大学でやることなの?w」という馬鹿な奴はミリ波レーダーやタッチパネルの構造すら知らない頭なのだからネットの声に負けないよう理工学部生もスルー検定必須だ。

栄養学部[編集]

通称結構ええよー学部。管理栄養士国家試験は在学生のほとんどが合格する。ここにも表面工学つまりメッキの技術が活きており大豆パウダーの発明も関東学院である。管理栄養士免許は取れて当たり前。食品を開発して1人前という世界なので気を付けよう。介護用溶けないアイスも発明したのもここの学女だ(旧人間環境学部健康栄養学科卒)。「溶けないアイスに価値はない」という暴言がたまにネットで来るが実は溶けないと言っても約40分間溶けないという意味で給食配膳の間に溶けないようにしたという発明品である。この「溶けないアイス」を「解けないアイス」などと言って関東学院を馬鹿にするが漢字も書けない子を相手にするほどここは暇じゃないので栄養学部生の子もやっぱりスルー検定が必要なのであった。

看護学部[編集]

関東学院の中では一番偏差値が高いが看板学部と言うわけではない。1期生は卒業生の100%が看護師国家試験に合格した。2期生は惜しくも1人だけ不合格となった。ここでも高確率で「看護師なんて専門学校で十分でしょ」とか「国立病院付属看護学校に行けば学費が激安なのに」という煽りがネットで来る。しかし、関東学院看護学部の卒業生の約2割は大学院へ行く。3年制看護専門卒では受験資格すら無い関東学院大学大学院修士課程へ進学し修士号を取得する人物が関東学院看護学部の中では本物の勝ち組である。つまり、スルー検定に合格した先には修士号というご褒美がまっている。実は血糊が使いないメスなどの医療器具は関東学院の発明品だ。超撥水技術はネットでも駆使してスルーしよう。

スポーツ科学部[編集]

スポーツ推薦で入った奴の影の所属先。スポーツ推薦組の実態は体育学部またはスポーツ科学部生である。要注意なのは理工学部スポーツ計測コースにはスポーツ推薦組がほとんどいない。そこはスポーツ計測機器を開発・研究する学科だ。だったら、本当にスポーツ科学部作ればいいのにねえ…。

航空学部[編集]

関東学院のもう1つの黒歴史。戦時中に明治学院に既存学部を統廃合された代わりに事実上強制で1944年作らされた航空学科(当時は旧制専門なので事実上の学部)の事。関東学院の理系生は既に学徒動員で横浜市杉田にある日本飛行機社で学徒動員されていた。この川崎重工業の子会社日本飛行機を実習工場とすることにし、単位付与とした。この実習工場となった日本飛行機がすでに末期で木造の模型飛行機を作って敵の目をごまかすという信じられない命令を関東学院生は黙々とこなすこととなった。木造の模造飛行機をずらりと並べ「我が国の戦力は増大なり!」と大本営発表というデマ装置で日本中に拡散する手助けまでした。もはやコントのレベルにまで落ちた関東学院の中でばかばかしくてやってられなくなった宣教師教師たちは当時占領中だったフィリピンなどに宣教師として逃げた者も多い。宣教師自体のスルースキルが足りなかったのだ。

また、「竹やりでB-29は落とせませんよ(笑)」という発言をした関東学院生に対しては「この敵国の教えに被れた非国民めが!」と鉄拳制裁が待っていた。『馬鹿はスルー』という鉄則を忘れた関東学院生の末路は悲惨だった。そもそもこの竹やり鍛錬が既に意味不明の授業?であった。彼ら曰く「精神力でB-29を撃ち落とす」んだと(笑)。そんなことする暇と時間あったらとっとと航空部品でも作ればいいのに…。

やがて、横浜大空襲で工場機能を失った日本ビクター社が関東学院内に疎開して一緒に防空装置、いわゆる空襲警報装置を作る事となった。この時初めて関東学院は旧制航空専門学校としての使命を果たす。1945年8月15日に関東学院生たちは玉音放送を聞いて関東学院生のほとんどは悲しみではなく飛び上がるように「戦争オワター!」と叫びながら歓び、「航空学科の存在は無かったことにして」とばかりに関東学院航空専門学校は終戦が決まった同1945年に即廃止となり、関東学院旧制工業専門学校へ転換した。当時の「旧日本軍という馬鹿はスルーで」という関東学院の英断であった。

関連項目[編集]

  • 神奈川大学 - ライバルなんだけどやっぱ向こうが1段上だよなあ。
  • 東海大学 - 医学部や海洋学部、看護学部、工学部航空宇宙学科でなければ基本こちらと難易度は同じ。
(Portal:スタブ)