阪神半疑

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阪神半疑(はんしんはんぎ)とは、阪神タイガース猛虎)ファンの心情を象徴する言葉である。

概要[編集]

星野仙一監督の2シーズン目であった2003年の阪神タイガースは、4月18日以降には独走態勢を固め始めると、2位のブルーの天敵と14.5ゲーム、3位の最もライバル視する大男集団とは15.5ゲームも引き離し、18年ぶりのセントラル・リーグ優勝を決めた。当然ながらファンが、アホ剥き出しで沸いた事も世間には知られている。

だが、その優勝を決めるまでの道程で、

  • 2002年まで、あまりにも成績が低迷していた
  • 序盤だけは飛ばせても、6・7月までに失速する

などの定例パターン化に慣らされてたファンは内心、勝ちを重ねるチームの力を終盤まで信じることが出来なかった。

1973年や1992年にも「優勝逸機」という惨劇を見せつけられた事を記憶する古参のファンになると、マジックが残りわずかとなった終盤に至るほど疑り深くなる。2003年の場合はリーグ優勝できたものの、それでも信じられずに確かめようとした人々が数多く存在したといわれている。そんな彼らの心情を表現する言葉として「阪神半疑」の言葉が生まれた、と考えられている。

なお、この言葉は後に、タイガース球団の親会社に当たる阪神電気鉄道村上ファンドに敵対的買収を仕掛けられ、結果的に阪急電鉄グループになってしまった際にも用いられた。現在では阪神に関して、何かしら信じがたい事象が起こった際、必ず使われる定例表現となっている。

阪神半疑試合[編集]

過去に見られた、代表的な「阪神半疑試合」の数例を以下に挙げてみる。

1987年[編集]

  • 5月20日:広島戦。9回表まで5対0とリードしていながら、9回ウラだけで6点を奪われてサヨナラ負け。[1]ちなみに「快勝が一転、大惨敗」というダメージから立ち直れないチームは、この日から8連敗を記録した。

2003年[編集]

  • 4月11日:対巨人戦。6点差もあったのに、未成熟であった魔法使い(当時は見習い)を登板させた9回裏2死より追いつかれて、12回で時間切れ引き分け。
  • 5月31日:対巨人戦。2対4を9回表に11得点で逆転。
  • 6月17日:対横浜戦。2日連続サヨナラ勝ち。
  • 6月29日:対横浜戦で16連勝。
  • 7月8日:広島の自力優勝消滅で、史上最速のマジック49が点灯。
  • 8月22日:対横浜戦。これまでの流れに反するように5連敗。
  • 9月11日-14日:対ヤクルト中日戦。マジック2で遠征するも、ホームでの胴上げしたさにマジックを全く減らさぬまま、甲子園まで優勝持ち越し。

2005年[編集]

  • 8月9日:ナゴヤでの中日戦。7-1でリードしていた5ウラ、井川慶の「1人ドタバタ」のせいで一挙9失点。結局、7-11で大敗北。
  • 10月22日:日本選手権シリーズの第1戦で、ロッテの鴎に滅多刺しを受ける。霧の影響で早期に白旗を上げることになる。
  • 10月23日-26日:ロッテの鴎による「3試合連続10得点」の引き立て役という公開処刑に晒され、ほとんど反抗も見せぬまま4連敗で白旗を上げる。

2008年[編集]

  • 5月7日:木佐貫による金本知憲への死球に反感を抱いてか、阪神オタクが巨人の本塁打を叩き落して2塁打とする。なお審判は阪神のOBであり、阪神タイガース教徒の某タレントからは「神の手」と評された。
  • 6月11日: 交流戦でイケメン・ブサイク混成球団に勝利し、59試合で40勝到達。
  • 7月6日:球団史上最速の50勝を達成。
  • 7月22日:2003年より若干遅いとはいえ、世間が呆れる程のハイペースでマジック46点灯させた。しかしここから・・・
  • 9月14日:阪神の失速に巨人の追い上げまで重なった為、6回目のマジック消滅を迎える。
  • 9月22日:巨人の怒涛の追い上げを振り切れず、ゲーム差を0にまで詰められる。
  • 10月8日:対巨人戦で7連敗。144試合中、141試合目にして2位に転落しただけでなく、自力優勝まで消滅。
  • 10月10日:巨人がヤクルトに勝利したのに対し、阪神は横浜に敗北。巨人の優勝が確定し、阪神は142試合目にして、セ・リーグ至上最悪といえる13ゲーム差を逆転されての優勝を逃す結末となる。
  • 10月20日:クライマックスシリーズ第1ステージ第3戦で、ペナントではゲーム差が結構あったはずの中日に敗戦し、阪神の悪夢が終わる。セ・リーグで2位なのに6球団中、唯一辞任することになった監督が、敗戦後に胴上げされる。

脚注[編集]

  1. ^ なおこの1987年5月20日の試合は2009年10月21日に見られた他球団の試合、すなわち福盛の21球のような「満塁被弾突然死」ではなく、1本の本塁打すら許していない試合である。それまで死んだフリを決め込んでいた赤い劇貧球団から9ウラになって突然、怒涛の猛反撃を浴びた為、エースだったマット・キーオの完封劇が呆気なく吹き飛ばされたどころか、完投すらも危うい緊急事態に陥った。そこへ、守護神の中西清起を慌てふためいて継ぎ込んだ、というドタバタ劇であった。それが、当時のチームで最も勝利を見込める2投手の登板でありながら、連打の嵐を止められずに敗戦。結局、2投手で稼いだ9ウラのアウトは僅かに1つだけという惨劇。球団ワースト勝率を記録したこの年だったが、それを象徴する一戦であった。

関連項目[編集]