阿倍比羅夫

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阿倍比羅夫(あべのぴらふ)とは飛鳥時代のとってもつよぉい将軍である。しかしちょっと方向音痴の気があるドジっ子。一流の料理人でもあり、後にトルコに渡ってピラフを生み出した。

蝦夷征伐[編集]

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658年(語呂合わせでは『い蝦夷の奴らをっつけろ』と覚えるがヨロシ)、朝廷の命令により戦艦『アミバ』を筆頭にピラフ艦隊を率いて蝦夷征伐に向かったが、方向音痴である阿倍比羅夫は何故かハワイにたどり着いてしまい、そこで我こそはハワイの王様であると名乗る怪しい輩の一党と180日間に渡る大激闘を繰り広げた。因みにこの時戦った怪しい輩こそ後のカメハメハ大王である。

ハワイでの合戦によりピラフ艦隊は日本に帰るための燃料と物資の補給為行く船を手当たり次第に襲う海賊行為を繰り返した。これが所謂日本の海賊倭寇の始まりであり他国に多大な迷惑をかけ、損害を与えたため後年李氏朝鮮から文句を付けられた。

無事日本に帰還した比羅夫の一行は蝦夷を討伐したが、どこまでが蝦夷なのか分からなかった比羅夫一行はそのまま樺太を越えて満州まで侵攻してしまい、当時ロシア一帯を支配していた火星人の怒りを買って散々な目にあい、100人ぐらいが火星人UFOに拉致された。なおこの時拉致された日本人達は1000年以上後に自称宇宙人や預言者を名乗って帰ってきた。その中に細木数子江原啓之もおり、おそらくは火星人達に人体実験でもされたのだと思われる。ソビエトロシアでは、拉致が貴方を宇宙人にする!!

蝦夷からの帰り道で、また比羅夫一行は航路に迷って遭難してしまった。まあ誰も海図が読めなかったんだし無理もない。運悪くダイオウイカの住処に迷い込んでしまいダイオウイカの襲撃を受けたが、その場に居合わせたジャック・スパロウ船長と協力してダイオウイカをやっつけた。しかしその後スパロウから『怪しい奴=バルボッサの取り巻きだな!?』と勘違いされ追い回された。

それから色々あったものの、何とか無事日本にまで帰還することが出来た。比羅夫の軍はアシュラマンダーブライチコロに出来る猛者どもばかりだったので、普通の人間ならとうに死んでてもおかしくないような極限状態でも生き延びることが出来たのである。方向音痴の比羅夫が何故日本まで無事戻ってこれたのかと天智天皇にたずねられると、嗅覚の鋭かった比羅夫は天智天皇の脇の下の匂いが臭かったからそれを嗅ぎながら日本までたどり着けたと正直に答えた。比羅夫は天智天皇にケツ100回叩きの刑に処された。

白村江の戦い[編集]

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662年、天智天皇の命令により百済救援の命を受けた比羅夫は九州へ向かったが、方向音痴の比羅夫はまたしても道を間違え、百済ではなく天竺まで渡ってしまった。兵力を大幅に削がれた日本、百済軍は白村江の戦いで惨敗したが、そんな事も知らず比羅夫はインドでヨガマスターになっており、ストリートファイトで軍資金を稼いでいた。

やがて比羅夫はトルコにまで渡り、そこでエビピラフを生み出した。しかし天智天皇に連れ戻され、鎖で繋がれて大宰府の番犬にさせられた。没年は不明であり、そのまま大宰府長官として一生を過ごしたとも、逃亡してかつて侵略した蝦夷に渡り、安倍貞任ら安倍一族の祖先になったとも言われている。ちなみに甥とも言われる阿倍仲麻呂も方向音痴で、唐に渡ったきり帰れなくなってしまった。

それにしても、これだけ道に迷ったり遭難したりしてよく行き倒れなかったものである。

関連項目[編集]

  • 坂上田村麻呂
    • 比羅夫と同じく蝦夷と戦った将軍。しかし比羅夫以上の方向音痴でとんでもない所へ…
  • 阿曇比羅夫
    • 名前は極めて似ているが、別の人。


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