増健欧虎

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増健 欧虎(ますつよし はくとら、1984年1月31日 - )は、ロシア北オセチア共和国ウラジカフカス出身で三保ヶ関部屋所属だった元大相撲力士。本名アラン・ゾーケン・ガバライエフAlan Zoken Gabaraev)。身長187cm、体重154kg。最高位は東関脇(2010年9月場所)。従兄弟は元間垣部屋若ノ鵬。以前の四股名は阿覧 欧虎(あらん はくとら)。得意手は変化、張り手、髷掴み。

来歴[編集]

2006年、三保ヶ関親方が後継者に指名していた尾上親方がまさかの独立、把瑠都ら有望力士を根こそぎ連れ去り、三保ヶ関部屋に残されたのはロートルや万年序二段など残りカスばかりであった。これに業を煮やした三保ヶ関は同年の世界相撲選手権で市原孝行らを破り優勝したロシア人に目を付けた。外国人の世界王者は親方衆がそのあまりの強さに角界が席巻されることを恐れたためこれまで入門した例は無く、三保ヶ関の決断はタブーを破ったことになる。三保ヶ関の怒りの程がうかがえよう。

2007年1月、四股名をつけるのが面倒なので本名の当て字である「阿覧」の名で初土俵を踏んだ。世界王者の実力どおり、怪我に苦しむ市原らを尻目に順調に出世していき、2008年9月に史上最速タイの11場所で新入幕を果たす。

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ナニモノかがウィキペディアに「増健 (四股名)」の項目を執筆しましたが、要出典厨削除厨の暗躍により削除されてしまいました

2009年5月より先代増健(柳川)から増健商店のネーミングライツを引き継ぎ「増健」を襲名、ミドルネームにも増健を音読みした「Zoken(ゾーケン)」を入れることになった。なお某頭の固い百科事典においてこの事実は頭の固い連中によって隠蔽されている。

2010年9月、2代目増健は関脇に昇進した。一方の尾上部屋はといえばほぼ全員が故障に悩まされ、2011年、故意による無気力相撲発覚で師匠を裏切った日大勢がほぼ全滅、直後に親方も飲酒運転で摘発。まさに三保ヶ関の大勝利である。

その後、2013年10月、増健による 「ZOKEN! ZOKEN!」が唱えられ、そのままとっくに相撲を辞めてしまい、ロシアに帰ってしまったのだ。

ZOKEN!ZOKEN!

取り口[編集]

ロシアの大先輩露鵬白露山、従兄弟の若ノ鵬らのロシア勢特有の変化、引き技中心のレスリングスタイルに加え、相手をサンドバッグの如く殴りつけるような張り手を連発するボクシングスタイルを新たに取り入れた。過去にはゴリラロボを血祭りに上げている。

また大相撲では反則とされている髷掴みも得意としており、史上最多の3度決めている。本人は「髷がなければ力士ではない」として髷掴み解禁を訴えている。

このように、昨今の画一化されたつまらない取り口ばかりの相撲界に一石を投じるべく新たなスタイルを確立している。

エピソード[編集]

  • その入門の経緯から審判部副部長である三保ヶ関の寵愛を受けており、2010年3月場所(14敗で8枚)、2010年11月場所(11敗で3枚)、2011年1月場所(10敗で2枚)のように負け越した場合は負け越し点が減算されることになっている。
  • 相撲教習所に落第するほど日本語が不自由であり、2009年の目標を聞かれた際に「モクヒョウ?」と両手を広げ、「阿覧は言葉が話せないのか?」と周囲を白けさせた。唖乱と揶揄する者さえいたという。これを耳にした兄弟子の柳川から「お前なんか三保ヶ関じゃねえ!!」と怒鳴られながらも、心暖かく叱咤激励し日本語を教えた努力の甲斐あって、少しではあるが話せるようになってきたようだ。その柳川の姿に感動し、幕内に昇進した今でも柳川を兄弟子として慕っている。柳川からパチスロなどを学んでいるようだ。また、将来は増健襲名もまんざらでもない様子であり、実際に同年5月増健を襲名した。

 改名歴 [編集]

  • 阿覧 欧虎(あらん はくとら)2007年1月場所-2009年3月場所
  • 増健 欧虎(ますつよし はくとら)2009年5月場所-2013年9月場所

 関連項目 [編集]

朝青龍殴られ 01.jpg この項目「阿覧欧虎」は、ちゃんこ不足のようでごわす。
さあ、そこの新弟子も力士の要たるちゃんこを作ってみるでごわす。強く当たったらあとは流れで行くでごわす。ごっちゃんです! (Portal:スタブ)