阿部正弘

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阿部 正弘(あべ まさひろ)は幕末期の老中。後に老中首座。諸外国との折衝、肥大化した大奥の統御、そしてお馬鹿将軍家定のお守りと、内外三方に巨大な敵(?)を抱え、それらの処理に悪戦苦闘しつつも、老中職を見事貫徹した男の中の男である。阿部高和は孫。歴史上の、それほどメジャーな人物でないにも拘らず土6のアニメに登場するという快挙を成し遂げた。土6のアニメに出演を果たした老中は、水野忠邦と彼の二人のみである(だが中の人はコーラサワー、つまり噛ませ犬だった。そしてこのアニメも視聴率は爆死だった。)

来歴[編集]

水野忠邦天保の改革が盛大にコケた後、その尻拭いをさせられる形で老中に抜擢されるという、最初から前途多難な境遇におかれた正弘であったが、眼前に山積になった問題を着実にこなしてゆき、見事な手腕で幕府の舵取りを行った。

聡明、かつ見識の広さで嘱望されていた正弘だが、意外にも老中に抜擢された理由の第一義はその英邁さを見込まれてではなかった。正弘が老中に抜擢された理由、それはずばり彼が人並みはずれたイケメンだったからである。

オットセイ将軍と呼ばれる徳川家斉が性欲に任せて次々と女を孕ませポンポン子供を作ってしまった結果、大奥は肥大化し、家斉の後を継いだ12代将軍徳川家慶の頃には政治にまで口出しするようになり、家慶は大奥のソックパペットであると揶揄されるほどであった。天保の改革を推進した水野忠邦は大奥の経費削減、縮小化を図ったが、大奥の猛烈な反対と忠邦自身の失脚によって頓挫した。一説によると忠邦失脚に最も影響を及ぼしたのも大奥であると言われるほどである。つまり、幕政を行う以上、大奥の意向に逆行したり、ましてや無視することなど不可能になっていたのである。そのため、大奥の女中達を手懐けられるホストのような老中が求められていた。調停能力にも長けた貴公子阿部正弘はまさに適任の人材であった。果たして正弘はその甘いマスクで家定ママの本寿院ら大奥の女達をなだめつつ、幕政に力を入れた。事実、彼が幕政の舵取りを行っていた時期は、大奥の暴発などは一切見られない。文章で書くと簡単だが、大奥という魔窟にひしめく鬼女達を怒らせないように懐柔しながら、もう片方の手でまつりごとも行うというのは想像を絶する苦難である。いかに正弘が有能であったか伺えるだろう。正弘は老中に抜擢される以前は寺社奉行を担当しており、脇坂安董と共に大奥と癒着した寺社に鉄槌を下し、大奥にも大規模な「ガサ入れ」を行った経歴がある。大奥の女中達は脇坂を恐れ、憎んだようだが、阿部は憎悪の対象にはならず、老中に就任する際圧力がかかることもなかった。何故かと言うと、阿部がイケメンだったからである。イケメンは何をやっても許されるのだ

無論、正弘は風采が優れているだけのフランス人形のような人物ではない。彼は眼力にも長け、その功績のひとつに、身分を問わず多くの優秀な人材を登用した事が知られる。江川太郎左衛門川路聖謨井上清直岩瀬忠震大久保一翁ジョン万次郎、そしてかの勝海舟など、錚々たる傑物を登用し、彼らは後に幕末の幕政において大いに重きを成し、斜陽の幕府を支えた。この人材登用は一見大胆に見えるが、正弘は各人について能力から人となりまで丹念に吟味した上で抜擢した。この慎重さには先代老中水野忠邦の影響がある。忠邦も正弘同様、遠山の金さん矢部定謙など幅広い登用を行った。しかし彼は同時に鳥居耀蔵という爆弾を抱え込んでしまった。鳥居は江戸中から嫌われるほどの苛烈な仕置を行い、天保の改革頓挫、忠邦失脚への一里塚を築いてしまった。この忠邦の前轍を踏まないためにも、正弘は念入りに人物を精査したすえで登用を行ったのである。

また正弘の老中期にペリープチャーチンなどが来航し、日本は開国か攘夷か瀬戸際の決断を迫られることとなる。この未曾有の危機に対して、正弘は譜代の幕閣達だけの評定という狭い枠組みから脱却して、外様大名や市井の人々など、日本中の人々から意見を募り、国難に善処しようとした。しかし合議を重ねるうち攘夷派の巨魁徳川斉昭と開国派の井伊直弼の対立が激化し議論は紛糾し纏まる事は無く、正弘はそのとばっちりを喰らう形で一時老中を罷免させられたりもした。

正弘の悩みの種になったものがもう一つある。芋公方こと13代将軍徳川家定である。家定は極度に知能の低いお馬鹿さんだったらしい。[1]正弘は藩主時代、払底の財政をやりくりするべく保育園の保父さんのアルバイトをやっていたため子供の扱いには自信があったものの、家定は子供ではなく子供じみたキチガイであり、正弘は相当手を焼かされた。家定は御菓子作り[2]が趣味であり、しばしば自作の御菓子を正弘に無理矢理食わせていたが、流石キチガイが造ったお菓子だけあって、大半が七色の光彩を帯びたこの世のものとは思えない異物ばかりであった。正弘はそれらを全て食べ、しかもご機嫌取りの為に美味しそうな表情を浮かべなければならないのだから生き地獄以外の何物でもない。こうして内憂外患に苛まれた正弘はわずか39歳で病に倒れ、その不幸な生涯に幕を下ろす事となる。森鴎外は、もし家定に御菓子作りの趣味が無ければ日本の歴史は変わっていたかもしれない、というブレーズ・パスカルの格言に模した評価を下している。

ちなみに徳川家定のお菓子の毒性は、阿部正弘本人に留まらず、子孫にも影響を与えている。特に名高いのは娘の阿部定、孫の阿部高和である。この事から、家定の作ったお菓子は放射性物質であったとの説が、根強く囁かれている。

結論[編集]

こんな人が今の日本にいれば、と思わずにはいられない。

映像での阿部正弘[編集]

桜田門外の変などで有名な井伊直弼と比べると印象が薄く、あまり大きく扱われる事はないが、優れた容姿は反映されており、若林豪(1990年大河「翔ぶが如く」)、草刈正雄(2008年大河「篤姫」)など、大河ドラマなどの時代劇においても美形俳優が扮することが多い。しかし阿部正弘が享年39で没したのに対し若林豪は1990年当時51歳、草刈正雄は御年56歳…御二人には失礼だがいくらなんでも老けすぎである。

注釈[編集]

  1. ^ 実は賢かったけど馬鹿を装っていたとも言われるが、もしそうだとしたら、誰もが国の行く末を模索しているこの時、仮にも国家の統括者でありながら一人馬鹿のフリして現実逃避していた家定は悪辣極まりない卑劣漢である
  2. ^ 今で言うスイーツ (笑)みたいなもんだと思っていただければよい。

関連項目[編集]

  • 安倍晋三
    • 同じアベでも何故ここまで器が違うのか…
  • 福田康夫
    • 自他共に認める平成の阿部正弘、らしい。寝言は寝て言え。
  • 堀田正睦
    • 女性に人気であった阿部とは違い人気がなくよく凡庸と例えられる老中