零式艦上戦闘機

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「防弾なんて飾りです。偉い人にはそれがわからんのですよ。」
零戦の防弾性能 について、リオ・マリーニ曹長
「当たらなければどうということはない」
零戦の防弾性能 について、シャア・アズナブル
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零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)とは、大日本帝国海軍艦上戦闘機である。そのあまりにも卓越した性能であり国産のチハ同様精神力で余計に強くなる画期的なシステムを搭載している。通称はレイ戦若しくは零戦(ぜろせん)。NATOコードネームはジーク

名称[編集]

零式艦上戦闘機の初期型

当機の名称は零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)であり、略称は零戦(れいせん)である。 戦後になってゼロ戦と呼ばれたが、軍事関係者・軍オタからこれは誤りだ、と指摘され続けた。しかし、2000年頃になって当時の新聞も「ゼロ戦」と零戦にルビを振っている記事が見つかり、赤面したのか、最近ではこの件はあまり言われなくなってしまった。しかし、一部の軍オタは、ゼロ戦は呼称として当時使われることはあっても、民間の俗称であり正式なものではない、正しくは「れいせん」である!と今でも連呼している。しかし、実際には、戦時から母艦乗員や陸上部隊でも、ゼロ戦という呼び名は普通に使われており、坂井三郎によるとどちらの呼び名も正解、とのことである。だいたい海軍には英語教育もあったんだから[1]、ゼロ戦って呼んだって別におかしくもなんともない。 さらには「永遠の0」という「零」の漢字も「ゼロ」のカタカナも使わず、アラビア数字を使い呼び始める革新的な人々も現れた。

開発の経緯[編集]

零戦の開発は1937年(昭和12年)9月に海軍から提示された「十二試艦上戦闘機計画要求書」に端を発する。三菱では前作である九六式艦上戦闘機に続いて堀越二郎技師を設計主務者として開発に取り組んだ。十二試艦上戦闘機に対する海軍の要求性能は堀越技師らが「ないものねだり」と評するほど高く、ライバルの中島飛行機が途中で辞退したため、三菱単独の開発となった。

海軍の要求性能は以下の通り

機種 艦上戦闘機
使用別 航空母艦(基地)
用途 1. 戦闘機

2. 一撃で魚雷を抱いた攻撃機を粉砕

座席数 1
特性 つおい
航続力 ながい
機銃 20mm2を必ず装備
防御 いらない
実用高度 なるべく高く

以上のように当時としては不可能のような機体性能を提示されたが 堀越技師を筆頭とする開発チームは見事要求に答え、世界へ誇る超高性能機を開発した。 また、海軍では大戦終盤、次第に追い込まれてくると、本機に爆弾を乗せ有人誘導ミサイルとしても使用したのである。

武装[編集]

翼内20mm機銃2挺(携行弾数各60発)
機首7.7mm機銃2挺(携行弾数各700発)
30kg又は60kg爆弾2発

当機の20mm機銃は敵機を一撃で粉砕しうる威力があった。当時、他国の戦闘機が12mm機銃であり、また陸軍機が7.7mm機銃のみであることを考えれば反則行為である。後に13.2mm機銃を増設したり、20mm4挺にしてみたり、さらには無理矢理30mm機銃をつけたものまであったが、エンジンは強化されなかったので、飛行特性は落ちてしまい、性能は差し引きそんなに改善されなかった。

また、自慢の20mm機銃が実はまっすぐに飛ばないションベン弾道で撃つと主翼がブルンブルンと荒ぶり、敵戦闘機には滅多に当たらなかったという話もあるが、戦時中の言論統制下の日本では言わない約束で、新聞に載ることもなかった。

「あぁ、次はションベンだ・・・」
20mm機関銃の性能 について、阿部高和

航続距離[編集]

零戦の航続距離は、当時の戦闘機の常識外のものであり、3000kmを越えていた。

長すぎる航続距離と海軍の過信は、誤った運用法を定着させてしまった。すなわち、『数千㎞先の敵基地を援護無しで叩きに行こう!!』というハチャメチャな作戦である。 仮眠室トイレも、そして娯楽用品も無い戦闘機上で緊張感を保ったまま10時間近い時間を掛けて敵基地まで飛び、また戻るという攻撃によって、機体も操縦士も共に磨耗する。途中戦闘、アメリカ空軍の戦闘機のインフレにより搭乗員らは苦戦を強いられた。

なおこのずば抜けた航続距離であるが「いくら何でもこれはあり得んだろう」と戦後に再調査が行われた結果、何と燃費データを改竄して10%もごまかしていた事が判明している。

防弾[編集]

当機は設計当時より海軍の無理な要求を実現する為に徹底的に軽量化されたので、防弾を全く考慮されていなかった。

これは、「一回の主力海戦で使えればいい」という日本海軍の発想が下地になっており、零戦に限らず当時の海軍機にはどれにも防弾装備は施されていなかった。そもそも、そんな発想が日本海軍には存在しなかった。

これについて、攻撃こそ最大の防御であり、快速性と運動性で優位であれば下手に装甲を施すよりかえってパイロットの人命は守れるのだ!と主張する者もいる。しかし、それが正しかったかは戦史が証明している。大戦序盤は確かに活躍したが、一発の被弾でも墜落する機が続出し、航空隊はじわじわ損耗、大戦後半では問題化した。が、生産ラインの問題や後継機開発の遅れ、そしてなんといっても使い勝手の良さから終戦までとって替わる機は海軍ではあまり現れず、前線で使われた。為に、大戦後半では逆に米軍のいいカモとなり、鉄の棺桶、もといアルミ製棺桶となってしまった。

なお、某国においては他機種ではあったが、防弾性に怯える部下の搭乗員に対して「当たらなければ、どうということはない」と、ある上官は訓示している。要は気の持ち様、長所を活かせということ。

また防弾がゼロだからゼロ戦という説があるが、前項の通り当機の略称はれいせんでありぜろせんではないので、これは誤りである。

確かに防弾も大事だろうが、それよりも機体強度をどうにかしろ。急降下に耐えられないから速度抑制するってアホか。発動機の性能向上化が、どれほど面倒臭くても取り組め。

設計変更[編集]

「いいねいいね。これ最高だね。だけど一つだけ欠点があるんだ。それを直せばもっと良くなるよ」

こういって、思いつきで設計の変更を迫る輩は昔から存在した。もちろん、それで良くなれば「俺が言ったんだ」と、胸を張ってPRしてくれるタイプである。勝ち馬に乗るところに特徴がある。

ゼロ戦、じゃなかった、零式艦上戦闘機もこうした輩の被害を受け、当時まじめだった堀越青年はその言葉に乗ってしまった。翼端の形は実に5回も変わっている。また、翼の形を変えるのに飽きると、今度は搭載エンジンを変えるようになった。翼の形状が変わってもなんとかなるが、搭載エンジンが変わると必要なメンテナンス消耗品が変わってしまう。現在の自動車メーカーのマイナーチェンジ(ちなみにこの機体を開発したのはランエボを作った会社で、製造し、エンジンを供給していたのは、STIの会社である)以上に厄介なことが行われていたわけであり、塗装色変更ぐらいに留めておけば、はるかに良い整備性が得られたに違いない。

発展と末路[編集]

  • 素晴らしい戦闘機であった。それはもう間違いない。そこで、海軍はこの戦闘機を量産することにした。(最初はデカイの使えるのかとも思われたらしい。)
  • 爆撃機としてもそれはお前の仕事じゃないといわれつつも使えた。戦況が逼迫してくると護衛用戦闘機の乏しい日本に、自分で護衛できる零戦は最高の爆撃機とも思われた。そこで旧式化した頃も、海軍は続けて増産することにした。
  • 迎撃機としても使えた。沈頭鋲の採用により画期的な高速度をたたき出した零戦は優秀な上昇性能を示した。そこで海軍は更に更に増産することにした。
  • こうして、とにかく零戦を量産することとなった。
  • ところが南洋地域での遠距離爆撃という無理な作戦が祟り、零戦の消耗が激しくなった。
  • それでも零戦は量産された。
  • 2000馬力級のエンジンを持つ欧米の戦闘機が前線に出てくるようになると運動性能よりも速度で負けるようになった。
  • それでも零戦は量産された。
  • 欧米の大型戦闘機が強力なターボエンジンを積むようになると、高高度での性能差が大きく開いた
  • それでも零戦は古いスーパーチャージャーを積んでいたため絶えず量産された。
  • 更に日本軍全体が不利になると、熟練工にも召集令状が届くようになり、生産の質までもが低下した。
  • それでも零戦は精神力で強化できたため量産された。
  • 補給路を絶たれ、本土を直接爆撃されるようになると、生産そのものが難しくなってきた。
  • こうして零戦の量産は終わったが、そのころには他の戦闘機も量産できなかったのでどうでもよい話である。
  • というより、そもそもゼロ戦からして丹精込めて作られた職人手作りの品だったため時間がかかり、根本的に日本の生産体制が量産に入るのかすら連合国からしたら怪しいものである。
  • ちなみにアメリカ系エンジンと無線帰投方位測定器(苦しい式)を持ち、スイス製の機関砲をドイツ製の照準機(注:違法コピー品)で撃っていたのはマニアにはわりと有名な話である。

もっとも米国は海軍の主要対空機銃にスウェーデンのボフォース社製の40mm砲を採用し、ドイツもスイスのエリコン社製を使うなど、他国メーカー製の武装や部品の使用は当時は欧米でも当たり前だった。こうして、終戦直前まで計1万機以上が量産された。

零式艦上戦闘機の派生型[編集]

十二試艦上戦闘機(1号機・2号機)(A6M1)
零式艦上戦闘機一一型(A6M2a)
中国上空で国民党軍の戦闘機をフルボッコにした。ふとした拍子に主翼にしわをつけたりたまに壊しちゃったりするお茶目さん。
零式艦上戦闘機二一型(A6M2b)
翼が空母のエレベーターに引っかかっちゃったので折りたたみ式に改造してみた。設計上問題なかったはずなので現在でも原因は謎のままである。低速性能は神。
零式艦上戦闘機三二(A6M3)
発動機を換装しめんどくさかった折りたたみ部分を取り外したら性能が低下したので黒歴史。翼の端っこを切り落としたので、角張った形をしている。こいつだけコードネームがジークじゃない。連合軍には「ゼロとよく似ている」といわれているが、よく似ているどころかまんま零戦である。
零式艦上戦闘機二二型(A6M3)

こいつも型番がA6M3。調子乗った結果作ってしまった黒歴史をもみ消そうとした試みである可能性が高い。角ばっていた主翼端はふたたび丸型に戻り、二一型と同じ幅になった。発動機はより馬力の強い三二型のものが引き継がれたが、米軍はもうゼロ戦に対抗しうる戦法と機体を出していたため誰も気にしないようだった。

零式艦上戦闘機一二型

もっと軽くしようとした結果、甲戦の誇りである翼端折り畳み機構と着艦フックを廃止を捨てた機体。これも黒歴史だったのかは知らないが、こちらはほぼその存在が消されている。

零式艦上戦闘機二二型甲(A6M3a)

ションベン弾をもっと強くしようと銃身がすごく大きくなった20mm機関砲に付け替えただけ。

零式艦上戦闘機五二型(A6M5)
軽く作った零戦なのに重装甲化して重くした機体 なぜか格闘性能はあまり低下していないらしいがこの頃にはそもそも格闘戦が発生しないので無意味に近い
零式艦上戦闘機五二型甲(A6M5a)
零式艦上戦闘機五二型乙(A6M5b)
アメリカへの憧れで機首の7.7mmを片側だけ12.7mmにしたもの 機銃の穴が片側だけ延びてて不思議な形状にされている
零式艦上戦闘機五二型丙(A6M5c)
ただでさえ重くなった零戦にさらに機銃を増設してとんでもなく重くなった機体 結果はお察しください
零式艦上戦闘機五三型(A6M6c)
零式艦上戦闘機六二型/六三型(A6M7)

軍部の欲求不満を思いっきりぶつけられた不遇な機体。そもそも急降下性能も防弾性能も低い零戦に爆撃させようとしたことが間違っていた。急降下すれば分解し、水平に飛べば敵戦闘機に一撃で吹き飛ばされる。後に軍部は開き直って丸ごと爆撃させて粉々にし、黒歴史を例によってもみ消そうとした。

零式艦上戦闘機五四型/六四型(A6M8)
零式艦上戦闘機四一型
零式艦上戦闘機四二型乙(通称:死に墜つ)
中島飛行機による改造機。7.7ミリ機銃8丁を装備。詳しくはラバ空を参照せよ。
零式艦上戦闘機一○○型
おなじくラバ空で紹介されている機体。零戦の10番目の型で、エンジンを搭載しないという画期的な機体。
木零戦
零戦を木製化した機体。疾風を木製化したキ84がかなりの性能低下をきたしているので、零戦の木製化ではとても実用に耐えないくらい性能低下しているはずだが、量産されて実戦投入された不運な機体である。
零式練習戦闘機
二式水上戦闘機
中島飛行機が零戦を魔改造した水上戦闘機。そして魔改造な割には後々海軍が本気出して作った紫雲より性能がいいと評価された機体である。なお撃墜スコアもある。同じ日本人が乗るイージス艦の搭載するオーパーツをぶち抜いて乗員1人をあぼーんすることもできるが、そういうことをするとでかいフロートを吹っ飛ばされる。アメリカのバッファロー戦闘機18機対ニ式水8機で空戦したら、バッファローを17機もたたき落とした。強い!
零夜戦
竹槍B-29を夜襲した。
噴式零戦
ドイツのMe262などのジェット戦闘機に触発された堀越が設計した零戦最後の型。形状は極めて後のF-86セイバーに酷似している。というかF-86の方が本機のコピー機である。愛称は嶺花と予定されていたという。

更にラバウルでは二式30mm機銃を装備した三二型や複座改造機も存在していた。

これでたぶん全部だと思う。どう考えても設計変更しすぎです本当に(ry・・・そりゃあ堀越青年だって過労で倒れるさ。また、堀越氏は雷電のことでもいぢめを受け続けることとなるのだがそれは別のお話。

ちなみに現在運用している国は唯一、トリステイン王国だけである(見た感じ五二型っぽい)。

特殊装備[編集]

実は零戦は特殊装備、非常ブレーキを装備していた。大戦中期に欧米の高速度戦闘機が出現しても、零戦が簡単にやられなかった理由はこの装備による。空で非常ブレーキを掛ければどうなるか? 羽田沖で某旅客機が試したとおり、一瞬のうちに失速する。失速すれば下に落ちるので、敵の戦闘機から逃げられるのである。

この装備は通称タラップと呼ばれ、操縦士が左右の足で同時にタラップを立てることで瞬時に失速状態を作ることが可能となっていた。

主な撃墜記録保持者[編集]

運用国[編集]

脚注[編集]

  1. ^ まず海軍サイドがローマ字追放運動を指導した事実がない。あれはプロ市民が勝手にやった事である。

関連項目[編集]