霞ヶ関文学

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霞ヶ関文学(かすみがせきぶんがく)とは、日本において大成した文学形態の一つである。

特徴[編集]

霞ヶ関文学に分類される多くの作品は執筆者の衒学的精神を込めたものだ。これに対して読者は曲解を許されないのが一般的である。古今東西の文学作品に見られない極めて珍妙な作風で、他言語と比較して柔軟に用い易い日本語によってでしか表現できないと考えられている。

執筆者が読者に対して一方的に抱いた芥蔕や、先述したように衒学的精神を文章に込めるため、その作品を読解することは困難で、「紛らわしい」「頭が疲れる」「官から民へ」といった批判が聞かれる。そのため読者は靉靆の念を抱きつつ、適当に数頁をつまんで読み飛ばしてしまうことが如実に見られる現象として挙げられる。

読解の困難さは常軌を逸しており、助詞・助動詞・副詞にまで至る一語一語の解読をしなければ正確な意味を読み取れない。専門の知識を持った者を同伴して読解に取り組むことを推奨する。

代表作品[編集]

幾多もの霞ヶ関文学作品から選りすぐりのものを挙げておく。

『ニッポンコク・ケンポウ』[編集]

『ニッポンコク・ケンポウ』を解説したとされる書籍の例

著者:不明(アメリカ人)

霞ヶ関文学において最も重要な位置を占める大傑作であるが、日本の紙屑の一つでもある。これに関する書籍が出回っており、大学(なぜか文学部ではなく法学部で取り扱われる)でも題材として用いられる。

書店に行くと必ずこの作品の解説書が置かれている。ここ近年では、この作品の内容について国会が審査会を設けるなど、大々的な議論が交わされている。中でも「第9話 へーわをまもろう」の改訂版を発表するか否かで、ZAKI某政党が闘っている。

この作品には「第27話 働け」という話も収録されており、自宅警備員を糾弾する内容であるが、他作品において「自宅警備員を取り締まろう」という記述はあまり見られなず、「霞ヶ関文学の限界」と言われる。尚、作品内では他に「第26話 学ばせろ」において子供に教育を受けさせない保護者、「第30話 金よこせ」において国に資金を投じない者を糾弾しており、発見次第すぐに奴等が来て、大変なことになる。

『ぼくの所信表明』[編集]

『ぼくの所信表明 第75話』を読み上げる総理大臣

歴代の総理大臣が好んで読み上げてきた作品である。他作品よりも比較的容易な文体で記されており、あたかも読み上げる総理大臣が書いたように見えるが、実際は立派な霞ヶ関文学者が書いたものを我が物顔で読んでいるだけである。しかし大人の事情により執筆者は明かされない。

数年に一度(不定期)発表され、2013年3月現在では第81話まで発表されている。これまで発表されたものは全て総理大臣によって読み上げられているが、読み上げる際に間違った行動(漢字の読み間違いや水の飲み方など)をどんな些細なことでも批判されるくらいだから、よっぽど重要な作品なのだろう。

総理大臣が読み上げる間、聴衆は静粛に聴き入らなければならない。ごく希にヤジが聞こえるが、それは空耳に過ぎない。そうだ空耳だ。

関連項目[編集]