非暴力主義

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非暴力主義(ひぼうりょくしゅぎ)とは平和主義の一つで、身体や武器等による物理的暴力を理論や研究等による知性的暴力で排除する立場である。

概要[編集]

まず最初に注意しなければならないのは、彼らは平和主義者である。決して無政府主義者ではない。結果的に混沌になるとしても、それは彼らが望んだ訳ではない。全ては彼らの主義主張を妨害し混沌に導いた抵抗勢力が悪いのである。

次に、彼らは決して左翼ではない、もちろん決して右翼でもない。平和への希求は本来は右左翼とは関係ない、人類共通の願望である。

そして、「暴力を使わない」という標語を立ててしまった以上、手は出さないようにするのが彼らの信条である。従って彼らはまず議論をもって戦いに望んでくる。ところが大抵は夢想主義者と悲観主義者という相剋同士の戦いとなる。最初から決着など付く筈がない。従って時には彼らも実力行使が必要と感じる場合がある。このような時に彼らは物理的なパワーではない力に訴えてくるのである。大体そうゆう主義を持つやつはたいていいじめられっ子である、甘ったれるんじゃねぇ

最後に、彼らは決して無抵抗主義者ではない。従って彼らが仮に抵抗してきたとしても、決して主義主張に反するものではない。

コツ[編集]

非暴力主義による抵抗運動の要点は「価値の無いものを高価に見せかける」ことにある。

主なパターン[編集]

彼らは決して手は出さない。腕力で訴えた事になるから。

彼らは往々にして足を出す。脚力が有りすぎても尻尾を掴みやすいだけらしい。

彼らは頻繁に舌を出す。だが彼らの舌力は偶に意味不明で、いわゆる暴力的である。

彼らは結構気前よく金を出す。彼らの資金力は大した物だ。

彼らは居飛車穴熊を得意としているようだ。いつも劣勢だが宇宙戦艦ヤマトを切札にしてる。そのせいかなかなか負けない。cf.右四間戦法

彼らは「最後の手段」として割と序盤からを出す。美麗な女性だったら嬉しいのに。

留意点[編集]

彼らが「相違する意見の持ち主」に対して呼称する軍国主義とは、その内に秘めたる破壊衝動を軍国主義復興という形で表現しようとしているパフォーマーに過ぎないが、そういう人間は極々一部でしかなく、また世間的にはそういう人間も全て含めて電波発信源と見なされている現状なので、殊更にレッテルを張って世間に訴えかけなくても十分なのである。

一般的に崇高なる思想の持ち主から「愚民」と称される、いわゆる一般人にとっては、「しつこく騒音を蒔き散らかす存在は鬱陶しい」という感想しかないのが大概である。暴走族を見る目と同様で、関わって欲しくない、放っておいて欲しいだけなのである。

彼らは誤解している、敵を増やしているのは自分自身の行動故なのである。

敵を作らないように生きればみんな平和なのに。

ガンジー原器[編集]

ガンジー原器( - 元気)とはハンガーストライキ期間の基準として用いられた原器。

非暴力主義の本格的な実践者であるガンジーは何か気に入らないことがあるといつも断食していた。 空腹に耐え、痩せ衰えた肉体を衆目に晒すことで「がんばった自分へのちょっと贅沢なご褒美」を人に要求するのだった。 肉体的苦痛は問題なかった。彼はスピリチュアリストだったから。自分の精神が軽んじられ、無視されることの方が余程こたえた。 仲間が死んでも問題なかった。死ぬ奴は貧乏人ばかりで頭の中も貧相な奴が多かったので全然平気だった。 ガンジーはポールバンダル藩王国の宰相カラムチャンド・ガンディーの子で、豊かな食事を与えられて育ったので体が丈夫だった。 [1] 中肉の人間がハンガーストライキに挑戦すると水を飲みながらでも1~2ヵ月で絶命するところだが、 ガンジーは特に太っていた訳でもないのに約3か月の断食からたびたび生還した。 奇跡としか言い様の無い事態だが、これは隠れてカレーを食べていたからで、優れた栄養バランスが彼を78歳まで生かした。 ハンストに参加した貧弱一般人は大抵1週間もしない内に音を上げたが、ガンジーが「空気嫁」と言って自分と同じ期間仲間を野ざらしにした。死体はガンジス川に流した。

当時インドを統治していた大英帝国は下らない要求を掲げてデモを繰り返すガンジーらをどんどん留置場にぶち込んでいった。ガンジーの計算通りだった。 インド中の牢屋という牢屋が満杯になった。仕方がないから先に入っていた者を出して後から来た者を入れることにした。 ガンジーはブタ箱の中のゴミのような人人ごみ(彼にとってはどうでもいいこと)や断食のつらさ(これも彼にとってはどうでもいい)を誇大広告して帝国を批判した。

こうしている間にも名も無い仲間は大勢死んでいき、生き残ったガンジーの超人的な生命力ばかりが強調され、カリスマ性が演出された。 ガンジーの死後、彼が耐えた断食期間の内でも最も長い100日が「ガンジー原器」とされ、世界各地で反体制勢力によるハンストが起こるたびに 支配層から「せめて0.5ガンジー(50日)くらい耐えてみせろよ」などとヤジが飛ぶこととなった。

衰退[編集]

非暴力主義の抵抗運動はしばらく成功し続けていたが、人間並みの社会的地位を獲得する者が増えすぎたせいで市民権のありがたみが薄れてきた。 一人の人間を国会議員にする為には多額の資金を投じ騒音を撒き散らして選挙運動を戦い、 ただ競争の為だけに社会全体のヒト・モノ・カネの流れが一時停滞・混乱するという全体の不利益を引き受けなければならなかった。環境問題にも通じるマクロ規模の不経済である。 あまりウザかったのでこれ以上反体制派の要求を受け入れないで済ませる為に非暴力主義へのメタゲームが組まれることとなった。

米国ジョージア州オルバニーの公民権運動にマルティン・ルター=キング牧師が加勢するとの情報が入った時、支配層は完璧に的確な対応ができた。

「キング博士についてはしっかり研究しました。モントゴメリーにやって来たばかりのころのことから、そこでの運動戦術など。彼について書かれたものを読みあさって、彼がガンディを尊敬していることもわかりました。……一方、わたしたちといえば、大量逮捕を行う準備をしていたのです。彼らの手段は、逮捕者を多数だし、そうして留置所を満員にし、もはや逮捕などできないところまで追いつめ、屈服させようとしたものだったと言ってもいいでしょう。……そこでわたしは、周辺の町と連絡をとり、収監の準備を進めることにしたのです。……それに加え、彼がやって来る5か月前から、警察官には非暴力の戦術に関する特別訓練を行いました。点呼が終わると毎日毎日、非暴力の運動の処遇の仕方に関する講義を行ったのです。」
キング牧師の来訪 について、警察署長ローリー・プリチェット

警察が穏やかにデモを取り締まり続ける中、1962年7月24日、非暴力デモに参加していた者の一人が商店に投石した。 むしゃくしゃしてやった?そんなはずは無かった。マスゴミが沢山見ていた。 演技過剰なデモに紛れてちょっと感情的な振りをしてみたかっただけである。おかげで運動はイマイチ煮え切らずにポシャった。

脚注及び参照[編集]

  1. ^ 「密林の聖者」と呼ばれカリスマとなったシュヴァイツァーも比較的豊かな牧師の子で、良い物を食っていた。彼は幼少期に殴り合いの喧嘩をした友人に「僕が君みたいに週二回も肉入りのスープを食べていたら負けなかった」と言われたという。シュヴァイツァーは後世に名を残すことになるが彼の友人は裏世界でひっそり幕を閉じる。

Grandmaster Fujinagaの「リズム&ブルーズの政治学」"6-7 非暴力、大敗を喫す ーー オルバニー運動 (2004年9月13日)"を参照

関連項目[編集]

Kenshirou.png この記事はもう終わっている。死にたくなければこの「非暴力主義」に加筆しろ。 (Portal:スタブ)